第3話 盛り上がれないふたり

「わしらを守ってくれた乗り手様に、かんぱーい!」

「かんぱーい!」

 ホテルのレストランに老若男女が詰めかけ、ソールを囲んでいる。

「乗り手様が守ってくれなきゃ、このホテルごと竜に潰されてたんだ。今日はいくらでも飲んでいってくださいよ!」

 ヒゲをきっちり整えた、このホテルのオーナーが両手を振りあげて叫ぶ。祝いの宴会に集まった人々が、またも歓声を上げた。


「いやあ、素晴らしいことをなされましたな!」

 老人が、ソールの前のグラスに並々と酒を注ぐ。このあたりの特産、大麦の蒸留酒だ。

「い、いや、それほどのことはしてないよ。竜と戦うのは、巨人機乗りにとっては当然のことだ」

 酒はあまり飲めるほうではない。グラスに手を付けられないまま、精悍な顔立ちに戸惑いを浮かべていた。しかし、まわりの人々はそれに気づく様子もない。彼らにとっては、町ごと消えていたかもしれない命が救われたばかりだ。これで浮かれるなというほうが無理だろう。


「なんと立派なお言葉でしょう!」

 オーナーが感激の声をあげ、ソールの前にドン! と大皿を置いた。

「どうぞ、お好きなだけ食べてください!」

 中には、リゾットが山盛りになっている。少なく見積もっても十人、いや二十人前はありそうだ。

「いや、こんなにはいらない……」

 その声を聞く前にオーナーは引っ込んでしまった。ほかの客たちと何やら話し込むつもりらしい。


「乗り手様! お名前を教えてください!」

 すっかり勢いに飲まれてしまっているソールのもとへ、今度は若い女たちが詰めかける。

「そ、ソール……だけど」

「ソール様! 素敵なお名前です!」

 黄色い声をあげる女たち。ソールの袖を引こうと、いくつもの手が伸びてくる。

「ソール様、よかったら、今晩は私と……」

「いいえ、それよりも、我が家に泊ってください!」


「ち、ちょっと待ってくれ。外で風を浴びてくる!」

 命を長らえたと思っている彼らが浮かれるのも無理はないが、これ以上付き合うのは耐えがたい。

 ソールは逃げるようにホテルの出口へ飛び出していった。



 ■



 扉をくぐった途端、夜の冷たい空気に包まれた。

 すっかりあたりは暗くなっている。空には鷲獅子グリフィン座が大きく輝いていた。

「まだ竜は倒せてないっていうのに……」

 空を仰いで、ひとり呟く。誰にも聞かれていないつもりだったのだが。

「ずいぶん、モテるみたいだね」

 視界の外から、声がかけられた。


「……君か」

 ホテルの外壁にもたれたままの姿に目を向ける。

 その人影は、身長はソールの胸のあたりまでしかないのに、生意気そうに笑みを浮かべていた。

 つぎはぎだらけのシャツとパンツ。飾り気と言えそうなものは、首から下げたペンダント……のようなものぐらいだ。どうやらそれはこぶし大の歯車に鎖を絡みつかせただけの代物らしい。

 目深にかぶったキャップ帽の下には、すすで黒くなった顔。その中で、鮮やかなオレンジ色の瞳が、夜闇の中で輝くように浮き上がって見えた。

 竜と戦う前に、このホテルで会った時と同じ瞳だ。


「あれは、モテるなんてものじゃなくて……」

「ロビン」

 ソールの言葉に割り込んで、まだ高い声で告げてくる。虚をつかれて瞬くソールに、いらだったように自分の胸を叩いて見せる。

「オレの名前だよ。さっき、後で聞くって言ってただろ」

「あ、ああ。そうか。……無事だったんだな、よかったよ」

 実のところ、町人に取り囲まれて確かめるヒマもなく、心配していたところだった。ケガひとつない様子を見て、安堵の息が漏れる。


「ま、まあな」

「ロビンは、中に入らないのか?」

 中からは、酔客たちの調子はずれな歌が聞こえてきている。

「そういう気分じゃない」

 ますます盛り上がる宴会から取り残された二人は、しばらく黙ってから、同時に「ふっ」と息を漏らした。


「……さっきは、ありがと」

 微笑みから一転、ふてくされたように下を向きつつも、ロビンがつぶやく。

「当然のことをしたまでだよ。感謝されるほどじゃない」

「当然なわけないだろ。だって、もうすぐ竜を倒せてたのに……」

 その瞬間を思い出しているのだろう。橙の瞳に陰りが見えた。

 あのとき、バーンは剣を投げ捨て、盾を構えた。そのまま振り下ろせば竜を倒せていたはずなのに、守ることを優先したせいで……そう、考えていた。


「それを気にしてたのか」

 腕を組むソール。ロビンは唇を噛んで、一瞬、目元に怒りの色を浮かべ……すぐにそれを飲み込んで、別のことを口にした。

「……竜は、また来るの?」

「来る」

 竜は執念深い。一度逃げたとはいえ、近いうちにまたこの町を襲うつもりだろう……それは、ソールの経験からして間違いない。


「実のところ、君がいなくても竜を倒せていたかどうかはわからない」

「えっ?」

 突然の告白に、ロビンは驚いて男の顔を見返した。太い眉の間にしわが刻まれた表情。どうやら冗談や慰めで言っているわけではなさそうだ。

「ここのところ、何匹もの竜と戦っている。見た目ではわからないが、バーンは傷ついてるんだ」

「あの戦いぶりで?」

「あれじゃ、バーンの本来の力の半分ってところだ」

 男が大きく息を吐く。

「本当なら、竜が現れる前に金を稼いで、巨人機を修理できる技師にみてもらうつもりだったんだ」


 ロビンはしばし黙り込んだ後、意を決したように大きくうなずいた。

 そして、じ、っとオレンジの瞳をソールに向ける。

「あのさ。オレ、技師なんだ。模造機を直すのは得意だし、巨人機の整備もできると思う」

「君では……」

 無理だ。そう言おうとした言葉は最後まで続かなかった。

 ロビンの瞳には、確信めいたものが見て取れた。できる、というだけの理由があるからこその目だ。


「それなら……」

 その時、不意にホテルの戸が開いた。

「ソール様! あまり焦らさないでください!」

「待ちなさいよ、抜け駆けする気?」

 先ほどの娘たちが、もつれあいながら飛び出してくる。

「あら、おみぐるしいところを。おほほ……」

 服の裾を払う彼女らの視線が、一点で止まる。薄汚れたロビンの姿を見て、ぴくりと表情がこわばった。


「……何よ、仲間に入れてほしくて覗いていたの?」

 見る間に、女たちの表情には嫌悪が浮かび始めていた。それが伝染したかのように、ロビンも舌を鳴らした。

「別に。ソールと話してただけだよ」

「あんたなんかが、気安く名前を呼ぶんじゃないわよ」

「よそ者のくせに、『町を救ってくれてありがとう』なんて、図々しいったら!」

「オレはよそ者じゃない!」

「だったら、捨て子ね」


 先ほどのかしましい様子が嘘のように、娘たちは嘲る。ロビンもまた、石で打たれた獣のように、怒りをあらわにしていた。

「あの工場が竜に潰されればよかったのに」

「なんだと!」

「そこまでだ」

 ついに臨界点を迎えたロビンがとびかかろうと身構えた瞬間、ソールはその間に割って入った。


「ソール様、でも……」

「俺は彼の世話になることにした。悪いが、宴会は君たちだけで続けてくれ」

 娘たちに向かってかぶりを振り、ロビンの肩に手を置く。

「……ごめん」

 ロビンは帽子のつばを押さえ、下を向いていた。

「そんなやつのところに行かなくても、ほかにも泊まれるところぐらい……」

「俺にも都合があるんだ」

 それだけ告げて、ホテルに背を向けて歩きだす。


「ソール、待って!」

 その背中を追いかけて、ロビンが引き止めるように腕をつかむ。

「君をかばったわけじゃない」

 かまわず、かたくなな男はさらに歩調を強めた。

「そうじゃなくて……」

「自分は責められて当然だとでも思ってるんじゃないだろうな」

「だから、そうじゃない!」

 駆け出したロビンが前に立ちふさがり、大きく声をあげる。

 さすがに、ソールも立ち止まらざるを得ない。


「オレの工場は、反対側だよ」

 そういわれて、ソールはようやく、自分が目的地も知らずに歩きだしていたことに思い至る。

 そして、すさまじく恥ずかしい気持ちを抑え込んで、短く答えた。

「お……おう」

「しっかりしてくれよ、町の恩人さん」

 ロビンは急にこの長身の男が頼りなく感じられて、がっくり肩を落としていた。

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