2.屍少女にメイド服
俺が現実を受け止め、異世界での生活を決意してから30分は経っただろう。
ここは、あの汚い小部屋から2つ隣の部屋。ガス灯と思しき照明が天井から部屋全体を明るく照らす。
部屋の隅に、どんと置かれた豪華な縁取りの姿見鏡の前に立ち、鏡に映る自分に見入っていた。
「これが……俺?」
鏡に映っているのは、身長160センチくらいの美少女だ。
年齢もおおよそ15~17歳くらいと、たいぶ若い。
肩で切り揃えられた髪は混じり気のない白で、瞳は薄紫。元死体だから肌は土気色で、生気がない。不気味さと神秘的な雰囲気を兼ね備える美少女がメイド服を着ている。
メイド服ってのは、何処の世界でも同じ様なデザインらしい。
真っ白なシャツに、黒のスカート、その上に羽織るフリルが付いた白いエプロン。
頭には、リボンとフリルが盛られたカチューシャがちょこんと載ってる。
人はこれをコスプレと呼ぶ。ハウスメイドの服装としては、完全に失格だ。
アニメや漫画じゃあるまいし、異世界人の頭の中は大丈夫なかの?
どうしてメイド服なのか? それは俺が一番知りたい。
戻ってきた俺のマスター、ピンク頭のニコラウスに渡されたのがこの服、俺は文句も言えない。
趣味と頭の中を疑ってしまうチョイスだ。
いや、待て。相手はまだ若いんだ。美少女に着てもらうなら……と魔が差したのかもしれない。
女物の服なんて着たことがない俺は、予定調和よろしく悪戦苦闘した。
「ブラジャーの付け方って、これで合ってるのか?」
寄せて上げる――、これだけの行為がこんなに難しいとは思わなんだ。
今まで見てきた数々のアダルトDVDの記憶を逆再生すれば、ブラジャーやガーターベルトの付け方なんて、お手の物だろうと思ったが、甘かった。
服のサイズが合っていないのか、胸元が窮屈だ。
いや、服のせいじゃないな。これは俺の胸が規格外なんだ。
全裸だった時よりエロさが際立つとは、如何なものか。
この場で数回ジャンプすれば、たちどころにシャツのボタンが弾け飛ぶだろう。原則として制服の破損は自己負担が基本だ。異世界でもこの基準がまかり通っているかもしれない、激しい動きは極力控えよう。
短いスカートの裾の乱れを適当に直し、両足を覆うニーソックスから唯一露になってる肌――、絶対領域に目が引き付けられた。血色の悪い肌を指の腹でゆっくりと撫でる。
「なんだこりゃ?」
目を凝らさなければ、気づかなかった。
脚から指を離して、続けざまに腕にも目を凝らす。何を見ていたかと言うと、俺の脚と腕には1センチ感覚で薄っすらと縫合線が入っている。
まるで、チラシの切り取り線。それか、パズルの繋ぎ目だ。
興味本位でシャツを捲り上げて腹を見るれば、地図みたいに線が縦横無尽に駆け巡っている。
つまり、この縫合は全身に至っている。たぶん、皮膚の下の臓器も……いや、これ以上はやめておこう。
シャツを正す最中に、ニコラウスが言っていた思い出す。
「パーツを選りすぐったってことは、このデカ乳はニコラウスの趣味か?」
変なヤツだけど、なかなかいい趣味してんじゃねえか。
フッと不適に微笑んだのと同時に、控えめなノックが閑散とした部屋に響く。
「はいはーい、着替えなら終わってるぜ」
「お、お邪魔します……」
上擦った返答がドアの向こうから聞こえた。
数秒置いてニコラウスが部屋に入ってくるが、ドアの前から動こうとしない。
「んだよ。そんなとこに突っ立ってないで、こっち来いよ」
「う、うん」
目を眇めながらも、手招いてやれば、ほっとした表情を浮かべて駆け寄ってくる。
こいつ、なんか犬みたいだな。
「お前ってさ……」
俺はごく自然な動作で、ニコラウスを見上げる。
今の俺が160センチだから、180センチ超ってところか? こいつ、元の俺より身長が高いぞ。ヒョロ長いニコラウスが照明を遮って、俺の頭上に影を落とす。
体格の方は、分厚くて丈の長いローブを着てるから分からない。
「今、いくつよ?」
「え? 今年17歳になったんだけれど」
答えが頭上から降ってくる。
「へー、17歳ね。……待て。じゅ、17!?」
「そんなに驚くことかな?」
驚くなと言う方が無理な話なんだが――。
魔法ありのファンタジー世界だとしてもだ。切り刻んだ死体でキャラメイクしたゾンビをメイドにする男子高校生がいるのか? とんでもねえ天才だが、俺に言わせればサイコパスだ。
息子がゾンビ作って喜んでいるってのに、親と家族は何も言わないのか?
死体の入手経路によっては、警察に出頭させないとまずいだろう。
「1つ、確認いいか?」
「え? な、なに?」
俺を見下ろすニコラウスの視線が忙しなく右往左往する。自画自賛にも聞こえるが、俺みたいな美少女に真剣な瞳で見つめられたら、ドキッとしてしまうのが男の心情なのは良く分かる。
分かるんだが、いちいち頬を染めないで欲しい。
「俺の体の入手経路って、聞いても大丈夫か?」
「やっぱり、自分の体だから気になるよね。でも、どうしてそんなに改まって聞くの?」
「その……お前がパーツ欲しさに、気に入った女の子を……こう、グサッ! っと」
「そんなことしてないよ! それじゃ、ただの猟奇殺人鬼じゃないか!」
声を荒げて否定するのを見るに、ニコラウスは取り返しのつかない過ちは犯していない。
いや、良くない。死体を弄るのも過ちだ。まずいな、俺自身の感覚も麻痺してやがる。
「不慮の事故で亡くなった女冒険者さんの遺体を……火葬される前に、ちょっとね」
「んー、なるほど。それ聞いて、ちょっと安心した……ちょっとだけな」
俺の体は、ニコラウスがセレクションした美少女の集合体。
世界にただ1つのオーダーメイドってわけだ。
「このメイド服、お前の趣味か? なんならご主人様って、呼ぶか?」
名案を閃いた俺は「お呼びですか、ご主人様~?」と猫なで声で体をしな使えて見せた。
ニコラウスはお気に召さなかったらしい。大きなため息をつかれてしまった。
なんだよ、その反応。つまんねえな。
「それは、最後に勤めていたメイドさんが置いていったんだ。手元にある女性物の服がそれしかなくて、仕方なくだよ」
つの口をする俺に、ニコラウスが力なく首を振って否定した。
メイドを雇っていたと言うのだから、ニコラウスの家は金持ちなのか。
金持ち坊ちゃんの道楽にしては趣味が悪い。
本当にコイツと主従関係を結んでも大丈夫なんだろうか?
一抹の不安が俺の脳裏を過ぎるが、それより気に障る事が1つある。
さっきから良い子ちゃんぶって、真面目腐った意見ばっかり並べやがる。
よーし。少し、からかってやるか。
「じゃあ、1つばかし聞くけどな。俺をオカズにしたことがないって、自信持って言い切れるのか?」
「なッ! どうしてそっちに話が行くの?」
唐突な話題変更に、ニコラウスの隈が薄っすら浮かぶ両目が大きく見開く。
その反応に、俺の口元が弧を描く。
「毎日、俺のあんなトコロやこんなトコロ弄ってたんだろぉ? 健全な男なら、ムラムラするもんじゃねえの?」
スススッと距離を縮めて、上目遣いで勘ぐってやった。
ニコラウスの控えめな喉仏が上下したのを見逃さなかった。
「ぼ、僕は……研究対象として君を見ていただけであって。決して! む、ムラムラしたりなんか……」
目が泳ぎっぱなしで、説得力の欠片もない。
素直になれよ。俺は正直者が好きなんだ。
「それともお前、あっちの趣味があんのか?」
とどめとばかりに、手の甲を頬に当てて意味深な表情をして見せる。
何を言うんだと、ニコラウスは顔を真っ青にしてブンブンと顔を左右に振った。
「君に欲情したことは……ある! 何回もあるよ! もう、これでいいでしょう!?」
羞恥心で泣き出しそうな声だったが、感服してしまうほど正直な告白だった。
真っ赤な顔をして肩で息をするニコラウスに、俺は満足げに頷いた。
ふん、いい気味だ。弄るのはここまでにしてやろう。
やっと顔のほてりが引いたのか、俺を視界に入れないように壁と睨めっこしていたニコラウスがこっちを向く。
ほう、なかなかに立ち直りが早い。
「そうだ。体に違和感はない?」
「強いて言うなら、股が落ち着かない」
「……大丈夫そうだね」
ドヤ顔の俺を見て、はぁーっと溜息をつく。
眉をハの字に下げて、そのままクルリと回れ右、俺に背を向けてしまった。
おっと怒らせたかと身構えたが、杞憂に終わる。
振り返って、フッと微笑み、
「屋敷を案内するよ。行こう――ノイン」
と、俺に手を差し伸べた。
「ノイン?」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。
「名前がないと不便でしょ? だから、実験体番号の09-αから取ってノイン。ダメかな?」
「俺の名前は……」
訂正しようと言いかけた口を噤む。
昔の名前を名乗ってどうする。『行田誠』は、すでに死んだ。
人生をやり直すと決めたんだから、名前も一新すべきだ。
「いや、なんでもない。ノインでいい」
差し伸べられた手は取らず、俺はニコラウスの隣に立った。
俺とニコラウスのブーツが、石造りの階段を上る音が反響する。
ユラユラと揺れるランプの明かりが、2つの影法師を壁に映し出す。
「もう一回聞くけどさ。お前のその髪って、染めてんのか?」
「これは地毛。母方からの遺伝だよ」
「ふーん。異世界人の髪ってのは、随分カラフルなんだな」
「別に普通だと思うけど。ノインの世界ではどうだったの?」
自分の前髪を弄りつつ、ニコラウスは不思議そうに尋ねる。
「黒、金、茶、灰色の4色だな。じいさんとばあさんになったら、皆白髪になるけどな」
階段を上る間、取りとめも他愛もない会話が続く。
「お前、異世界人なのに日本語が達者だよな。何処で習ったんだ?」
「に……ほんご?」
「今、俺らが話してる言葉だよ。俺、外国語なんてほんのちょっとしか話せねえもん」
俺との噛み合わない会話に、ニコラウスが米神に人差し指を当てた。
それも本の一瞬で、すぐに合点がいったのか、うんと頷いた。
「僕が話してるのは、人族の8割が話す標準言語だよ。このジョイスには、2つの言語があって、1つは人族の話す人語。もう1つは精霊族の話す精霊語。それ以外にもあるのかもしれないけど、そうなるとマイナーな少数部族の言語になるね」
となれば、考えられるのは1つだけだ。
ジョイスの人語とやらは、日本語と発音や文法が全く一緒ってことになる。
地球にもエスペラントっつう世界標準補助言語があるらしいが、名前を聞いただけでどんなものかは知らない。「面白い偶然だね」と囁いたニコラウスに俺も賛同する。
「精霊なんてのもいんのか」
「屋敷の案内が終わったら、情報交換も兼ねて、お互いの世界について話す時間を設けようか」
「そうだな。それがいい。分からないことだらけじゃ気持ち悪いからな」
言語云々より、俺には精霊の件の方が魅力的に聞こえた。
超自然的で目には見えない、前世だといるのかも定かではない精霊がこの世界には存在している。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだがこの世界での新生活が楽しみになってきた。
俺が目覚めたのは、ニコラウスが住んでいる屋敷の地下で、蘇生術を研究するために改造した秘密の実験室だ。
この広い地下施設もニコラウスが一から作ったのだと言うのだから、驚きの連続だ。
「お前、本当にいいのか?」
「何が?」
「肉体はお前が作った自信作だけど、中身が俺って言う男の魂だ。定着させるなら、女の魂の方が良かったんじゃないか?」
「蘇生術は禁術にされてしまったから、その後、全く研究が進まなかったんだ。ネクロイドと意思疎通が図れるなんて思ってもみなかった」
嬉々としたニコラウスの声が、徐々に大きくなっていく。
「肉体と魂の性別が異なっていても関係ないんだ。むしろ、気さくに会話できる友達が出来たみたいで、すごく嬉しい」
屈託のない笑みが、ランプの明かりで揺らめく。
「……変なヤツ。元死体の俺と喋るのが楽しいなんて」
本日何度目か分からない苦笑とため息をつく。でも、不快なわけじゃない。
手の掛かる後輩を見守る先輩――、そう例えるのが打倒だろう。
こいつには俺が付いてないと駄目だ、と謎の使命感すら湧いてくる。
笑みを浮かべ、饒舌に喋るニコラウスは、見ている限りでは歳相応の青年だ。
しかし、こいつはたぶん……いや、確実に破格の天才だ。
天才は一般人と見ている世界が違うと言う。
どんな日常生活を送っているかは知らんが、こいつはこいつで、孤独だったんだろうな。
「そもそも僕、生きてる人…特に女性と話のが苦手で。死体となら、上手く喋れるんだけど」
「お、おう……そりゃ、大変だな」
果たして死体との会話は、『会話している』の枠組みに入れていいのか?
サイコパスとは縁遠い俺には判断しかねる。
ただ分かったことは、何処の世界にも共通してコミュニケーション障害はいるってことだ。
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