1.俺はすでに死んでいる




 俺の名前は、行田誠。

 年齢30歳、職業はしがないサラリーマン。

 


 俺は数千、数億と犇く歯車の1つで、しかも、吹けば飛ぶ塵ほどの大きさしかなかった。

 外れてしまっても、社会そのものの動きに支障はない。

 そう――。社会は、俺を本当の意味で必要としてはいない。

 

 あの世界に……社会に……。

 俺の居場所なんてなかった。

 

 居場所が欲しかったんだ。

 俺を必要としてくれる世界が、何者かが、ただ無性に欲しかった。




 今、俺は最高にくだらない夢を見ている――。

 一般で言う夢だと分かって見ている『夢』、明晰夢だ。

 夢の中の俺は女に性転換していて、ニコラウスと名乗るピンク頭の外国人と話している。


「……な、」


 ニコラウスは、目を見開いて俺を凝視するも、言葉が上手く続かない。

 そんなのはお構い無しに、俺は自分の頭を指差して続けざまに、


「頭まっピンクにすんの、外国人の間で流行ってんのか?」


 と、口角を吊り上げて見せた。

 なんでもありの夢の中なんだ、思い切り馬鹿にしたって問題ないだろう。


「これは……どう言うことだ?」


「は?」


 期待していたのと違う返答だ。俺とニコラウスの会話はまるで成立していない。

 わなわな拳を振るわせるニコラウスから自然と距離を取り、動向を窺う。

 ニコラウスは俺を一瞥しては、忙しなくウロウロ歩き回るを繰り返すこと3回目。

 ハッと宙を見て、ピタリと立ち止まった。


「まさか……いや、そうだ。絶対、そうに違いない!」


「もしもーし?」


「ついに……ついに完成した。いや、これは僕が想定していた以上の成果だ!」


 何やら、納得の結論が出たらしい。

 ポカンとしている俺の前で目を爛々と輝かせ、飛び上がって喜んでいる。

 一人で盛り上がるニコラウスとは逆に、俺のテンションは急降下だ。


「盛り上がってるとこ悪いんだけどさ」


 冗談が通じてなさそうだから、髪云々の話はやめだ。

 と思えば、いきなり振り返って、俺の両手を握ってきた。

 本当になんなんだ、こいつ? 独り言は多いは、挙動はおかしいわ……怖いんだが。

 歓喜でキラキラに輝いて見える眼差しから、流れるように目を逸らす。


「自ら思考し、言葉を選択して、自己表現を加えて発現してる。つまり、君には精神がある。死霊降霊術の併用によって魂の召喚にも成功してる! やっぱり、僕の仮説は正しかったんだ」


 こいつ、俺の話を聞いてない。思わず、舌打ちが漏れた。


「おい! 少しは人の話聞けよッ」


「あ……えっと、ごめんね。ちょっと興奮してしまって」


 俺が怒鳴ると、やっと我に返ったニコラウスがシュンと項垂れ、謝罪した。


「君は実験体09(ノイン)-α。僕が蘇生術で造った動く屍(ネクロイド)。その成功作にして、最高傑作だ」


「そせいじゅつ? ねくろいど? なんだそれ?」


 専門用語を並べられただけで、俺の欲しい答えはない。

 俺が知りたいのは、ここが何処で、ニコラウスが何者で、どうして俺が女になってるのかの3つだ。

 聞き方が悪かったのか?


「術の存在そのものが死者への冒涜と言われ、国家から使用を禁止された闇魔術。ネクロイドとは、蘇生術によって自我を与えられた動く屍だよ」


「おい、ちょっと待て!」


 飛躍しすぎた内容に、俺の理解が追いついてこない。


「魔術って……お前、真面目な顔して、何言ってんだ? 頭大丈夫か?」


 俺のこの反応は、真っ当だろう。

 魔術って、つまりあれだろ? 魔法使いが呪文唱えて使う摩訶不思議パワーだろ?

 魔法で俺は女になって、しかも屍ってことはゾンビになったのか?

 冗談じゃねーぞ! ……あー、夢だから本当に何でも有りなのか。


 よく見れば、ニコラウスの着ている服装もソーシャルゲームで見かける魔法使いにそっくりだ。

 俺はゲーマーでもオタクでもない。こんなファンタジー感溢れる夢を見たのは初めてだ。

 こんな想像力が俺自身にあったことにも新たな発見だ。転職して小説家にでもなるか。


「例え夢でも笑えるのと、そうじゃねーのがあるだろ」


「夢だって?」


 素っ頓狂な声を上げると、ずいと俺の顔を覗きこんだ。

 緋色のひさしの間から、海色の真剣な眼差しが俺を射抜く。


「な、なんだよ」


「もしかして、屍に残った記憶と魂が拒絶反応を起こしてるのかな……いや、そうだとしたらこんな風に自ら思考して、会話するなんて芸当できないだろうし」


「さっきから、何1人でブツブツ言ってんだよ」


 俺を好奇心からであれこれと観察するニコラウス。

 やられる方の身になってみろ。俺には、不躾な行為にしか感じない。

 これには流石の俺も苛立ちを隠せなかった。

 ムッと険しい表情で睨みつければ、ニコラウスはうーんと唸って首を傾げる。


「えーっと……ごめん、何の話だっけ?」


「だから! 俺は男で、何処にでもいる普通のサラリーマンなんだよ。蘇生術だの、屍だの、死者への冒涜だの、そんなのはどうでもいいから、なんで俺が女になってるのか説明しろ!」


「僕が選りすぐったパーツで制作した屍の少女。それに君の魂を定着させ、生者と全く変わりなく活動できるようにした……が、一番簡素な説明かな」


 米神を人差し指でトントンと叩きながら、スラスラと言葉を紡ぐ。


「僕からも1つ質問してもいいかな?」


「あ? なんだよ。藪から棒に……」


「君は、今の状況を夢と言うけど……それは何故?」


「だって、こんなの現実でありえるわけないだろ? 魔法だの、召喚だの、魂の定着だの。そんなもん、空想の産物だ」


「君は魔法を見たことがないのかい?」


「現代社会に魔法も、魔法使いもいるわけねーだろ! いるなら、会ってみたいね!」


「魔法使いじゃなくて、魔術師が正式名称なんだけど……もしかして、君は異界の者なのか?」


「異界ってなんだよ。俺が住んでるのは、日本の首都だっての」


 これだから外国人はと、大袈裟に肩をすくめた。

 その間、俺の話を聞いたニコラウスは徐々に表情を曇らせていく。


「この世界――ジョイスで、魔法を見たことがないなんて者は産まれたての赤子くらいだよ。魔法は空気と同じで、極ありふれた存在だ」


「はぁ? ジョイス? それ、何処の国だよ」


「信じられないけど、君はこの世界の人間じゃないみたいだ。僕が異界から呼び寄せてしまった迷える魂……と言ったところかな」


「何言ってんだよ。こんなのくだらねー夢だろ! 目が覚めたら、俺はいつも通りに会社に出勤して……それで!」


 喋れば、喋るほど、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していく。

 片手で頭を抑え、グシャグシャと髪を掻き毟る俺の肩に、ポンとニコラウスが手を置いた。


「僕もそう思いたいくらいに浮き足立ってるよ。でも、これは夢じゃない」


「俺は喜んでねえからな! ……顔、抓っても痛くねーし! 痛みを感じねえってことは、やっぱ夢だろ?」


「屍に痛覚はない。なにせ、死体だからね。だから、君は痛みを感じられない」


「じ、じゃあ……」


 言いかけるも呂律が上手く回らず。言葉が続かない。

 沸々と湧き上がってくる感情……そう『絶望』を抑えるのに俺は必死だったんだ。


「君が見ているもの、感じているもの全てが現実だよ。でもまさか、魂が異界の……しかも男性が適合してしまうとは想定外だったな」


「なに、ブツブツ言ってんだよ! どうしてくれんだよ、これ!」


 眼前の理不尽に俺の怒りが最高潮に達した。

 違和感しかない自身の可愛らしい声に精一杯のドスを込めて罵声を浴びせた。


「どうするも……全権はマスターである僕が握ってるから」


「それなら俺を、俺の魂を元の体に戻せよ。今すぐにッ!」


「それは無理だよ」


「なんでだよ!」


 ベッドから素早く乗り出して、ニコラウスに掴みかかる。

 ニコラウスの上着がブチブチと嫌な音を立てているが、そんなのはどうだっていい。

 ニコラウスの方は、腹立たしいほど冷静な表情で俺を見下ろす……と、言うより観察している。


「この肉体に、君の魂が宿った……つまり、それは元の肉体の死を意味する」


「わけ分かんねえよ。もっと、バカでも分かるように説明しろよ」


「推察するに、何らかの理由で元の君は死んだ。魂は肉の器を離れ、現世と幽世の狭間を漂っていた。ちょうどその時、術を発動した僕の召喚に応え、新たな器であるこの屍に宿った……と言うわけだね。どうかな、自分の死に付いて、思い当たる節はない?」


 まるで鼻歌でも歌ってるみたいな言い振りだった。


「死んだ? 俺が……」


「死体に再び魂が戻ることは出来ない。本来なら、還るべき場所に行くしかないんだ。それを僕が禁術で呼び止めた。こうなった以上、君はこの体で生きるしかない……と思う」


「嘘だろ?」


 服を掴んでいた俺の手が、力なく落ちる。

 無理もない。自分が死んだと知って、ショックを受けない人間がいるなら見てみたい。

 ショックがでか過ぎると涙も出ないって、本当だったんだな。


 2分ほどの静寂の後、先に口を聞いたのは俺だった。


「俺、死んだんだな」


「うん」


 と、律儀に相槌を打つニコラウス。


「もう、元の俺には戻れないんだな」


「そうだね」


「……そうか。これが現実なんだな」


 これは所謂、『転生』と言う現象だ。

 仏教の浸透した地域でしか通用しない前世と来世の密接な繋がりが証明されたと言うべきか。

 そんな宗教じみた話は、どうでもいいか。


 体は女で、しかも喋って動ける屍になってしまったが……俺は俺として生きてるじゃないか。

 仕事に追われ、帰宅してもやることもなく泥の様に寝るだけの毎日。

 元の俺の人生は、お世辞にも「いい人生だった」とは大手を振って言えるものじゃない。


 これはボーナスだ――。


 このよく分からない異世界で、人生をやり直すチャンスなのかもしれない。

 目の前にいるニコラウスは、信用できるかはこの際置いておいたとしても、俺に手酷いことをする気はないみたいだし、むしろ待遇は良さそうだ。

 身に危険を感じたら、ここから逃げ出せばいい。こいつ、見るからに弱そうだから女の俺でも本気でかかれば倒せそうだ。


 物事はポジティブに――。祖母ちゃんがいつも言ってたじゃないか。

 「人生はなるようにしかならない。騒いだって仕方がない」ってな。




「1つ聞きたいんだが、お前は俺をどうしたいんだ?」


「僕の望みはただ1つ。君の所有者(マスター)になって、君を行動を観察したい」


「マスター? 観察?」


 ニコラウスの言葉をそのまま鸚鵡返しする。


「主従関係みたいなものだよ。僕の唯一無二の実験体として、僕の指示にできるだけ従って、成果を出して欲しいだ」


「上司と部下……じゃねえな。どっちかって言うと医者と患者みたいなもんか」


「うーん、近くもないけど。かと言って、遠くもないね」


「俺を俺として生かしてくれるのなら、考えてやってもいいぜ」


「もちろん」


「よし。その話、乗ったぜ」


「なら、今ここで口約を結ぼう」


 口約でいいのか? 書面に残す契約の方が、後で揉めなくて済むが?

 面倒臭いったりゃありゃしないが、こっちの世界の事情はさっぱり分からない。

 言われるがままに頷くしかなかった。


「禁断の秘術にて生を与えられし者。その名を09-α。マスターとして、汝とここに契約を結ぶ」


「……おう」


「我が命尽き果てるその日まで、我と共にあれ」


「俺に、拒否権なんてないんだろ? お前が嫌だって泣きべそかいても、離れてやらねえよ」


「成立だね」


 俺がそう言うと、ニコラウスははにかんだ微笑を浮かべる。

 ゾンビの俺に一生傍にいて欲しいだなんて、頭がおかしいレベルで物好きなヤツだ。

 そもそも、今の俺は肉体こそ女だが中身は男だ。

 プロポーズとも取れるニコラウスの命令に、別の意味で背筋に薄ら寒いものを感じる。


「い、言っとくけどな。俺、中身は男だからな。その……女扱いは勘弁だぜ?」


「え? ああ、そう言う事。それなら、心配しなくても大丈夫だよ」


「そうやって安心させといて、いきなりエッチなことしたりしないよな?」


 両手で胸元をワザとらしく隠して見せると、


「し、しないよ! 僕は、ただ純粋にネクロイドの研究がしたいだけで……あとできれば、食事、洗濯、掃除の家事や、身辺警護を欲しいかなとは思ってるけど」


 これまでにない早口で言い切ったニコラウスは、大袈裟な動作で頭を左右にブンブンと振った。


「なぁ、ニコラ……マスターって、呼んだ方がいいのか?」


「ううん、君の好きな呼び方で構わないよ」


「じゃあ、ニコラウス。わりと今すぐ、服が着たいんだが?」


 ベッドから降りた俺を頭の先からつま先まで見て、その顔が見る見るうちに真っ赤になった。

 異世界に屍女として転生した俺は、会話中ずっと生まれたままの姿だった。


「あ……あああああ! そうだった、ご、ごごごごめんね。すぐ用意させるから!」


 俺から視線を逸らしたニコラウスは慌てふためきながら、小部屋に1つしかないドアから飛び出して行った。


「んー、悪いヤツじゃないけど……かなーり、変なヤツだな」


 独りになった俺は、腕を組んで自分の今後を考える段階に入った。



 こうして、俺の新たな人生は薄汚い小部屋から始まった。

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