屍少女は悪しか喰らわない

那由汰

0.プロローグ


 これは、俺がガキんちょだった頃の記憶だ――。



 その日、俺は不貞腐れながらテレビと睨めっこをしていた。

 同い年の友達とくだらない理由で喧嘩して、それなりに気に入っていたシャツを破られた。

 ブチギレた俺はそいつを思い切りぶん殴って、家に帰ってきたんだと記憶している。

 

 両親が共働きでいない俺の家には、祖母ちゃんがいた。

 祖母ちゃんっ子だった俺は、帰宅するなり祖母ちゃんの部屋に行った。


 畳の敷かれた一室でテレビのお守りをしていた祖母ちゃんは、転がり込んできた俺を見るなり、多くは聞かず、シャツを着替えさせて、怪我した膝に絆創膏を貼ってくれた。

 母親みたいにしつこく喧嘩や怪我の理由を聞いてこないから、俺は祖母ちゃんが好きだったんだ。


 ちょうど、午後のロードショーでスプラッタ映画が流れていた。

 とある研究施設の実験が原因でゾンビが大量発生。次々と人を襲い、その肉を食っていくパニック映画。逃げ惑う人間の阿鼻叫喚と画面に映る腐ったゾンビの顔、飛び散る血飛沫。大人になった今見れば、滑稽なほどチープな作りのB級映画だ。

 テーブルを挟んだ向こう側で、俺のシャツを黙々と繕っていた祖母ちゃんが、不意にこう言った。


「人間の肉ってのは、柘榴の味がするのさ」


 映画の内容より、祖母ちゃんの言ったことの方が印象的で、何故か今でも覚えている。



 祖母ちゃん、人間の肉が柘榴味って本当なのか?

 俺、柘榴なんて一度も食ったことねえから、わかんねぇよ。



 たださ、祖母ちゃん。

 人間の肉って、そんなに美味くねえのな。




 とにかく、今現在の俺の記憶は曖昧だ。

 眠っている、と言う状況だけが漠然と理解できている。

 どうして俺は眠ってるのか? なぜ眠る事になったのか? それに至るまでの過程が問題だ。


「……」


 思い出せる範囲で記憶を遡れば、午後の会社のデスクに行き着く。

 その日は朝から体調が優れなかった。なんと言うか、左肩が妙に痛かった。原因不明の痛みで仕事も捗らず、さらには午後には頭痛と吐き気まで起き始めた。

 耐え切れず、会社を早退した。フラフラと覚束無い足取りで駅までの道を歩いて……。

 その後の記憶が途切れ途切れで、抜けが酷い。


 キーンッと耳鳴りがしたかと思うと、意識が遠のく。

 回転する視界と、外部からの断続的な痛み。

 誰かが俺の肩を揺すって、何か言っている。

 けたたましいサイレンの音。

 白衣と看護師服の数人に顔を覗きこまれながら、仰向けの状態で運ばれていく。


 それから……それから、どうなった?

 思い出そうとすると、頭が二日酔いの時みたいにガンガン痛んだ。

 まさか、日頃の不摂生が祟って病に倒れたのか? うん、大いにあり得るな。

 まさか死んだわけではないだろう。

 この間の健康診断で引っ掛かった項目は1つもなかった。

 

 若い俺には、まだまだやりたいことがたくさんある。

 彼女の1人もいないまま、過労なんぞで死んでたまるか。

 強いては、眠ている場合ではない。

 起きて、自分の身に何が起きたのか確認しなければなるまいて。

 たどり着いた結論が、俺に行動を起こさせる引き金になった。

 眠っていた脳が動き出し、ボンヤリとしていた意識が覚醒する。


「ふんッ」


 カッと開眼。と、同時に気合を入れて上体を起こす。

 誰か付き添いでいてくれるといいんだが、なんて思っていたら、目の前に何かがあった。

 俺の額が目の前のそれにぶつかった。

 ぶつかった勢いで、寝ていた俺にとっては邪魔としか言いようのないそれが後方に吹っ飛ぶ。


 ドンガラガッシャン――。


 派手な音と振動。それらと共に、紙切れとほこりがモワりと舞い上がる。

 ぶつけたことに驚いて、思わず額を抑える。が、何かを吹っ飛ばすほどの勢いでぶつけたと言うのに、痛みが全くない。そして、触れた自分の額が異様に狭いと言うか、小さいことに気づく。

 何がなんだか分からぬまま、周囲をキョロキョロと見回す。

 見知らぬ小部屋にいた。薄暗くて、ごちゃごちゃと本やら書類やら、用途不明のガラクタが雑然と置かれているのが目に入った。

 

 どこだ、ここ?


 状況整理がつかないまま、ただ呆然と室内をジッと睨む。

 どう見たって、ここは病院じゃない。俺は病院に運ばれたんじゃないのか?

 眉を顰めて、もう一度周囲を確認する。するとさっきの衝撃で崩れた本の山が動いた。

 それから、モゾモゾと崩れた本の山から這い出してきたそれを見て、自分が吹っ飛ばしたものが「人間」だったことを知った。

 

 薄暗くて、怪しい小部屋。そして、怪しい人影。

 まさか、誘拐? それとも拉致か? でも、俺なんて攫っても何の価値もない。

 実家だって裕福ではないし、俺自身は国家の機密事項を知る重要人物でもない。

 年収の低さに喘ぐ何処にでもいるごくごく普通のサラリーマン。それが俺だ。


 よろめきながら立ち上がったそいつは、こっちへ近づいてくる。

 硬いベッドの上で全身を緊張させて身構える。

 いつでも逃げ出せるように体をずらした――その瞬間、気づいてしまった。


「んだよこれッ?」


 と、自分で叫んでおいて、さらにその声で驚く。

 俺の声が、俺の声でなくなっていた。

 女の声――、それも澄んだ鈴を転がすと言う表現が良く似合う若い女の声。

 驚くなと言う方が無理難題だ。

 

 おっと、話を戻すか。自分の声を聞く前に、何に驚いたのかと言うとだな。

 眼下に広がるは裸体――。きめ細かいが不気味なほどに土気色の肌。

 華奢だが程よい肉付きの四肢。そして、目測でおよそDカップはありそうな形の良い乳房。

 目覚める前まで、俺は確かに成人男性だった。それも、今年で30歳になる独身男だ。

 だが、今の俺はどうだ。

 体も声も女になってる。つまり、まだ見ぬ自分の顔も女になっていることだろう。

 

 これが俺の体? どうなってんだ? 全然、状況が掴めねえぞ!

 

 華奢な腕を動かし、ベタだが、頬をギュッと抓ってみる。

 痛みがない。じゃあ、これは夢なのか。なんだよ、驚かせやがって……。

 夢の中で女になるなんて、どんだけ欲求不満なんだよ。




 あった物がなくなり、なかった物がある。

 手は自然にある場所へと伸びていた。


「めっちゃ、柔らけぇ……」


 俺が手を伸ばしたのは、自分の乳房だ。せっかく女の体になった夢を見ているんだ。

 あるものを揉んでおいて損はない。

 ムニムニと柔らかく、それでいて指を柔く跳ね返す心地よい弾力も兼ね備えている。

 うん、デカいおっぱい。やっぱり、いいもんだ。


 ため息混じりに、黙々と胸を揉む。ん? 何か、大事なことを忘れているような……。


「あの……」


 一心不乱に胸を揉む俺に、控えめな声がかかった。 

 忙しなく動かしていた手がピタリと止まり、重たい沈黙が流れる。

 ゆっくりと首を動かせば、身を屈めたそいつとばっちり目が合った。


「えっと……」


 まぁ、落ち着けよ。

 どうせ、これは夢なんだ。そんなに身構える必要は無いだろうよ。

 どうせ目が覚めれば、今見ている光景は全部消えるんだ。

 目覚めるまでの辛抱、恐れることなんて何もないだろう。


 俺自身に語りかけ、鼻からスーッと大きく息を吸い込んだ。

 非常事態の時は、何はともあれ深呼吸が大事だと俺は知っている。


「誰?」


「やっと会話が成立したと思ったのに……想像してたのと全然違う」


 ガクリと肩を落として、ボソボソと呟かれる独白。

 大袈裟に落胆する男……と言うか、見た目年齢的に青年だな。

 ガッカリしてるところ申し訳ないんだが、考えても見て欲しい。

 知らない場所で女に性転換してて、全裸で寝ていた。極め付けに知らない年下の男に全裸姿を見られている。

 落胆と言うか、絶望したいのは俺の方だ。


「……おい」


「ああ、そうだ。自己紹介だよね……僕の名前はニコラウス――、ニコラウス・P・マクスウェル」


 ヘラリと苦笑いを浮かべた青年、ニコラウス……なんとか、かんとかは律儀に名乗った。 

 記憶にない名前だ。結局、こいつが誰だが分からない。

 とりあえず見て分かったのは、横文字の名前にしても、外見にしても、こいつは外国人だ。

 日本に住んで長いのか、大層ネイティブな日本語で喋っている。

 俺はそんなニコラウスを暫し見つめてから、口を開く。


「なあ、その頭はどうしたよ? 染めてんの?」


 ニコラウスの頭髪は、薄暗い部屋でもハッキリ分かる見事な緋色だった。

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