第502話維摩VS舎利弗
維摩が病気で寝込んだという噂を流した時、釈迦は、維摩の住むヴァイシャリーの町近郊のマンゴー樹園で、500人の弟子と修行僧8000人、それから32000人の上級仏教修行者(菩薩)を相手に説教を行っていた。
維摩の思いを察した釈迦は、一番弟子の舎利弗に、維摩の病気見舞いに行くように、指示を出す。
しかし、舎利弗は、「とてもとても」と、表情を曇らせ辞退する。
そして、その理由としては、
「私は、維摩さんが苦手なのです」
「かつて、静かな森の中で、座禅を組んでいた時の話です」
「あの維摩さんが、通りがかりまして、こんなことを言われたんです」
「あのな、舎利弗さん、こんな静かな森の中で、座禅を組んでるだけで、それが座禅って言えるのかい?」
「うるさいと座禅が出来ないのかい?」
「お前さんの座禅は、そんなちょっとした音でも、出来なくなる程度のもの?」
「そんなんじゃ、普通の人間の生活では座禅は無理ってことだね」
「まあ、最後はどんどん人間から逃げて、無菌室で座禅だよな、それ」
「そんな程度で、他人を救うって出来る?」
「・・そんな調子で、完全論破されて、全く反論不可でした」
「ですから、師匠、維摩さんだけは、私には無理です」
山林に逃避して、自分だけ静かに座禅をして、心がスッキリしたとしても、市中に戻れば、すぐに心を乱すようでは、真の座禅ではないということ。
そんな座禅なら、市中では通用しない。
自分の心が乱れるから、自分も救われなければ、他人も救えないのではないか。
市中に生きて、普通の人間の生活をして、心豊かに生きられなければ、何の意味もない。
維摩のこの考え方は、いわゆる聖地での修行絶対主義を奉ずる人たちとは、対極にあるもの。
浮世離れした坊さんなんて不要と、言い切っている。
俗世に生きるしかない我々にとっては、実に爽快な維摩の論破と思う。
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