第343話歎異抄 いまの世には、学問してひとのそしりをやめ、
(原文)
いまの世には、学問してひとのそしりをやめ、ひとへに論議 問答むねとせんとかまへられ候ふにや。
学問せば、いよいよ如来の 御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身に て往生はいかがなんどあやぶまんひとにも、本願には善悪・浄穢な き趣をも説ききかせられ候はばこそ、学生のかひにても候はめ。
(意訳)
最近は、念仏者も仏法など学問をして、他者の誹謗中傷を押しとどめ、専門に論争あるいは問答を行おうと、用意している人もあるのでしょうか。
しかし、学問をすればするほど、阿弥陀仏の本意をわかるでしょうし、阿弥陀仏の御誓願が広大である理由も理解できると思います。
そして、自分自身を卑しい人間と思い込み、浄土に生まれ変わるなど不安で仕方がない人に対して、阿弥陀仏の本願には人間の善・悪・浄・穢などは区別がないということを、説き聞かせることができて、初めて学問をした人となるのでしょう。
阿弥陀仏の本願には人間の善・悪・浄・穢などは区別がない。
阿弥陀仏は、その名を唱える人を、そのまま絡め取るように、浄土に迎える。
「自力」で救われるのではなく、阿弥陀(他力)が阿弥陀の本願により、人間を救う。
「あなたは、私(阿弥陀)の名を唱えました、ですから、既に往生は決定しています」
これほど、簡単なのか、しかし、それでいいのかもしれない。
なかなか、「自力」で、気の遠くなるような修行はできず、煩悩を捨て去るなど現実には至難である。
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