第342話歎異抄 故聖人(親鸞)の仰せには、

(原文)

故聖人(親鸞)の仰せには、

「この法をば信ずる衆生 もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることな れば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、 仏説まことなりけりとしられ候ふ」

「しかれば往生はいよいよ一定と おもひたまふなり」

「あやまつてそしるひとの候はざらんにこそ、い かに信ずるひとはあれども、そしるひとのなきやらんともおぼえ候 ひぬべけれ」

「かく申せばとて、かならずひとにそしられんとにはあ らず、仏の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひと の疑をあらせじと、説きおかせたまふことを申すなり」

とこそ候ひ しか。

(意訳)

親鸞聖人のおっしゃられたことですが

「本願念仏を信じる人々もおりますし、誹謗中傷する人々もあるでしょうが、それは御仏が既に説いておられることであるので、信じたてまつる私達がいる一方で、誹謗中傷する他人がいることで、御仏の説明が真実であるとわかるのです」

「そういうことがわかれば、私としては、極楽浄土に生まれ変わることは、ますます決定づけられたと思うのです」

「もしかして、誹謗中傷する人がいない状態であるならば、信じる人がいて、誹謗中傷する人がいないのは何故だろうか、と疑問に思ってしまうのです」

「ただし、こういう言い方をしたとして、絶対に誰かに誹謗中傷されなければならないということでもありません、御仏は従来から、信じる人も誹謗中傷する人もあることは承知されていますので、私達に不安や不審を起こさせないようにとの配慮からお説きになったのです」

と言うことなのです。


「誹謗中傷する人には、右往左往せず、ただ阿弥陀を信じ、その名前を唱えなさい」

これはこれで、わかりやすい。


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