第341話歎異抄 たとひ諸門こぞりて、
(原文)
たとひ諸門こぞりて、「念仏はかひなきひと のためなり、その宗あさし、いやし」といふとも、さらにあらそは ずして、「われらがごとく下根の凡夫、一字不通のものの、信ずれ ばたすかるよし、うけたまはりて信じ候へば、さらに上根のひとの ためにはいやしくとも、われらがためには最上の法にてまします。 たとひ自余の教法すぐれたりとも、みづからがためには器量およば ざればつとめがたし。われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸 仏の御本意にておはしませば、御さまたげあるべからず」とて、に くい気せずは、たれのひとかありて、あだをなすべきや。
かつは諍 論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべきよしの証文 候ふにこそ。
(意訳)
たとえ、専修念仏ではない宗派の方々から
「念仏などというものは、程度の低い人のためのものであって、その教えは浅はかで卑しい」と言われたとしても、あえて争う必要はなく
「私達は、言われる通り、程度の低い凡夫でありますので、一字の読み書きも十分にできないのです。それでも、阿弥陀仏を信じれば往生させていただけると承って信じているのであって、あなた方のような優秀な人たちにとっては、全く無益な教えなのかもしれませんが、私達にはこの簡単な行が最上なのです。」
「たとえ、他の教えが優れていたとしても、私達のような凡夫には、とても実践できるような器量を持ち合わせておりません」
「諸仏は、私達のような者も、また他人様も、同じように迷いの世界から逃れることを願っておられるので、念仏する私達を妨げることはなさらないでください」
と、逆らう気配を見せないことです、それならば、誰が危害など、加えるでしょうか。
さらに、「論争などをすると、結局、もろもろの煩悩が起こります、智者は論争から離れなさい」という、法然上人の書かれた確な文もございます。
他宗を言い負かして、勝利の快感を得る。
そして信者を集め、お布施を集め(強要し)、立派な寺を作り、政治権力と結託して、ますます宗派を拡大する。
こうなると、救いよりは、「宗教産業」。
宗教団体というよりは、「集金団体」。
どこに救いがあるのだろうか。
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