第330話歎異抄 念仏申し候へども

(原文)

念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、 またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべき ことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審あ りつるに、唯円房おなじこころにてありけり。

よくよく案じみれば、 天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、 いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。

よろこぶべきこころをお さへて、よろこばざるは、煩悩の所為なり。

(意訳)

私としては、念仏を唱えても、躍り上がるような歓喜の心は生じません。

それに、また急いで浄土に参りたいという気持ちにもなりません。

これは、いったいどういうことなのでしょうかと、親鸞様に尋ねたのです。

それに対して、親鸞様は、このように答えてくれました。

「私もあなたと同じ思いです」

「よくよく考えてみれば、阿弥陀様による救いを受けるということは、天に躍り上がり地を飛び跳ねるような喜びに包まれるはずでありますが、それがそうならないのは、往生が定まっている証なのです」

「その理由としては、喜ぶべき心を妨げているのは、煩悩の仕業なのです」



※唯円房:歎異抄の作者。


念仏を唱える人であっても、煩悩にとらわれてしまう。

いわば、禅僧が「悟り」を得ても、修行はまだ続くと同じ。

どうやっても煩悩から逃れられない人を救うために、阿弥陀の教えがある。

逆に、何の煩悩も憂いもない人は、救いも必要としない。

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