第318話養和の大飢饉③ 方丈記より

(原文)

前の年、かくの如くからうじて暮れぬ。

明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まさざまにあとかたなし。

世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水の魚のたとへにかなへり。

はてには、笠うち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひ歩く。

かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。

築地のつら、道のほとりに飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。

取り捨つるわざも知らねば、くさき香、世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。

いはんや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。


(意訳)

前年は、このようなひどい様子が続いたけれど、やっとのことで年が暮れた。

次の年には、それでも飢饉から立ち直るだろうと思っていたけれど、それ以上に疫病まで加わり、悲惨の程度がより増して、かつての生活の様子などは、跡形もない。

世の中の人は皆、飢えきってしまい、日が経つにつれて弱っていく様子は、まるで少しの水の中で苦しむ魚のようだ。

とうとう、笠をかぶり、足を包んで、立派な姿をしている人までが、必死な面持ちで家々を乞食をして歩いている。

このように、ひどい目にあって、フラフラになっている者たちは、歩いているかと思ったら、すぐに倒れて伏せてしまう。

土塀の傍ら、道のほとりで飢え死にしている者の類は、数えきれないほどだ。

死体を取り除くことも行わないので、腐乱した死体の臭いが辺り一面に満ち、その姿も朽ち果て変わっていく様子には、目もあてられないことが多い。

まして遺体が打ち捨てられ放題の河原などでは、馬や牛車が往来する道すらない。


これぞ、生き地獄。

京の治安を守るべき役人、死者の成仏を助けるはずの僧侶は何をしているのか。

道端に倒れたまま、野犬に食われてしまう人(赤子を含めて)も多かったとか。

中には、まだ生きたまま、そのような目にあった人もいたかもしれない。


立派な修行をして、自分だけが仏の悟りを得る。

それが、何になるのか。

どれだけ、それが苦しむ衆生を救うことが出来るのか。

それ以前に、絢爛たる僧衣に身を包んだ立派な僧侶たちは哀れな死者を弔うどころか、「死のケガレ」を厭い、哀れにも死んでいった数多くの人たちに近寄ろうともしない。


「南無阿弥陀仏だけでいい」

「必ず阿弥陀様が浄土に導いてくれる、成仏させてくれる」

法然が説いた簡単な教えに、貧しい人々が殺到したのも、よくわかる。



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