第316話養和の大飢饉① 方丈記より

法然(1133~1212)、親鸞(1173~1163)の生きた時代は、平家から源氏、京都の朝廷から鎌倉の幕府へと政治権力の移管が激しく行われた時代である。

また、養和の大飢饉(1181頃)等があり、その悲惨な様子は兵糧不足から源平の合戦が一時出来なくなったほどである。

さて、養和の大飢饉については、同じく同時代の鴨長明(1155~1216)の方丈記に詳しい。

今回から数回、歎異抄から少し離れて、おそらく法然も目にしたであろう養和の大飢饉を、方丈記を通じて取り上げて見たい。


(原文)

又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五穀ことごとくみのらず。

むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。

これによりて、國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。

さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。

(意訳)

また養和の頃であったと思うが、長い時間が経ったので覚えてはいない。

二年の間、世の中では食料が欠乏して、あきれるほどひどいことがあった。

ある年には春と夏に日が強い日照り、ある年には秋に大風や洪水があり、よくないことが続いて、穀物がすべて実らなかった。

無駄に春に畑を耕し、夏に苗を植えても、秋に刈り取り、冬に収穫をするようなにぎわいはなかった。

このために、諸国の人々は、土地を捨てて国境を越え、あるいは家を捨てて山に住むようになった。

朝廷により、飢饉を鎮める目的として、さまざまな祈りがはじまり、並々ではない修法などを行ったけれど、その効果はまったくなかった。




さて、源平の合戦が、食料調達ができなくなり休戦状態となるほどの大飢饉が発生した。

その合戦を見守る、あるいは右往左往するだけで、何ら具体的な解決策を見いだせない朝廷は、各寺社を通じて飢饉対策の読経や祈りなどををさせるが、全く効果がない。

戦禍の不安に怯えるうえに、全く食べるものがない一般庶民にとっては、本当に生き地獄になってしまった。


養和の大飢饉② 方丈記より に続く。



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