【短編】マグロ 作 『寿司穂拾い』(2345)

笹倉

マグロ 作 『寿司穂拾い』(2345)

 では、次にこちらの絵をご覧ください。

 こちらが、かの有名なフランス画家、サッビヌ=キノ=マグロの『寿司穂拾い』です。



 この絵について述べる前に寿司の歴史について少し語りましょう。


 2200年代末まで台頭していた手握派による寿司活動は2289年からの「クローン寿司論争」により徐々に衰退していきました。これに合わせて台頭したクローン派についても同派の権威、イタリアのアガッリ=ゴック=ノーム発表の「人間の寿司化」が非人道的であるとされ、早々に時代の波間へと消えていきました。このように数々の派閥が台頭・衰退を繰り返した時代、つまり、2300年代~2400年代半ばまでの時代は、「寿司の潮境」と呼ばれています。現在の寿司活動において電子派が主流になりつつあるのも、この時代にアメリカ、オートロ大学量子学研究チームが開発した「寿司演算」を発端とした、数々の電子寿司研究ブームによるものと言えるでしょう。


 さて、この『寿司穂拾い』はマグロの晩年の作品で、「潮境」に描かれた、寿司栽培に関する農民画です。フランスの農村地帯アラジールに滞在していたマグロが目にしたのは、寿司畑の収穫後、地に残った寿司穂を拾って食う貧民たちの姿でした。

 絵の手前で身を屈めている三人の老婆、その内一番右の、顔に影がかかった女性を見ると、口に何かを運んでいるのがお分かりになるかと思います。

 寿司穂拾いにより、多くの貧民たちが腸炎ビブリオなどの要因による食中毒で亡くなったことは世界的に大きな社会問題であるとされ、マグロもまた当時の寿司栽培制度のあり方へのアンチテーゼとして本作を制作しました。古代から続き、全ての寿司の起点である寿司栽培の伝統を鮮やかに描くと共に、それの抱える闇さえも彼は描き切ったのです。


 この絵の影響はマグロの友人で赤身派の祖、サモンワ=アーカミジャ=ナーイヨの『寿司の耳飾りの少女』など多くの寿司画にも見ることができます。

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