第丗二篇 大根役者
時折、あの時のことを思い出す。
完成披露試写会後のパーティへ向かうべく、控室の鏡の前でタキシードのネクタイの位置を微調整。次いで髪の毛を心持ちなでつけ、右から左から見栄えを確認する。
「おい、そろそろ時間だぞ!」
「今行く」
呼びに来たプロデューサへ肩越しに応え、最後にもう一度鏡の中の自分に向かって、爽やかな笑顏を浮かべてウィンクをしてみせる。完璧だ。
これで落ちない女はいない、と自画自贊して控室を後にする。
「試写会の様子はどうだったい?」
「さてな。悪い感じじゃなかったが、絶賛という風でもない」
プロデューサが招待客の反応を思い出して渋い顏を浮かべるのを、明るく笑い飛ばす。
「じゃあこの後の主演俳優様の振る舞い如何というわけだ。責任は重大だな」
「頼むぞ。出資者様のご機嫌が取れれば、次回作に望みも託せる」
「それはちょっと後ろ向き過ぎだろう」
制作側はそれでも良いかも知れないが、俳優はそうはいかないのだ。出演した作品が売れなければ、次のオファーがそもそも来ない。
そもそも彼にとっては久方ぶりの主演作品だったのだ。映画がウケなければ、次があるかどうかも怪しい。
「こちとら正念場なんだ。今回の作品をヒットさせて、次に繫げないといけないんでね」
よくチャーミングだと評される笑顏を向けられたプロデューサは、本音を飮み込んで主演俳優の肩を叩いた。
「良いぞ、その意気だ」
「まかせとけって」
『お前がいるのは正念場じゃなくて崖っ縁だよ』とは。
試写を終えたシアターから流れてくる招待客を俳優たちが笑顏で迎え、一人ひとりにウェルカムドリンクを渡しながら一言二言声をかける。多くの招待客は女性同伴なので、特にご婦人方には媚を売っておく。
「いつもテレビで拝見しておりますのよ」
「どうです? 小さなブラウン管よりも、スクリーンの方が余程映りが良かったでしょう? 色も付いてますし」
「あらあら。でも直接見るのが一番良いわね」
「ありがとうございます。今日はたっぷり堪能して下さい」
女性ファンに愛想を振りまくのが上手いことから、最近はテレビ番組の司会者業が主になっている。だがそれは俳優、それも映画俳優として一花咲かせるための足がかり。お茶の間に顏を売れば、それだけチャンスが広がるというもの。実際、そうやって今回の主役を手繰り寄せたのだ。
今回の主演映画を足がかりにして、本格的に映画俳優としての成功を摑む。
そのためにはいけ好かない客にも笑顏を浮かべてグラスを差し出すのだ。
「ありがとう。おっと、祝辞がまだでしたね。主演おめでとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
招待客の中には、同伴者ではない女性もいる。つまり、彼女自身が招待客。他のご婦人方がイブニングドレスを纒う中、男装のタキシードが一際目立つ。
しかもそれが嫌味なく似合っているのだから、彼のような保守的な人間にとっては
女優に男装させて主演させた映画が物議を醸したのは随分昔の話だが、それでも飽くまで映画の中での話。実際の社会で同じことをすれば、虚構と現実の区別が付かないおかしな人物と思われかねないところだが、その違和感を感じさせない堂々たる振る舞いが恐ろしい。
「映画はいかがでしたか?」
「そうですね――」
同伴者として連れてこられたらしい女性が、さっと周囲を見渡して「社長、ここでは…」と耳打ちするのが聞こえた。
「――講評は後にしましょう。後が
「それは恐ろしい。お手柔らかに願います」
背中に冷や汗が流れるのを感じつつ、次の客に注意を移す。
(あの女は苦手だ。どうにもこちらの魅力が通じない)
強い女性、男勝りな女性、社会的に成功した女性。お互い軍歴があるが最終階級は彼女の方が上で、現在も軍関連企業を経営する一国一城の主。そして百万長者。
彼の苦手を集めて煮詰めたような女だった。
パーティーは和やかな雰囲気で進行した。
劇伴の流れる会場で監督や脚本、プロデューサの周りに人垣ができ、主演である彼とヒロイン役を務めた妻の周囲にも軽く人が集まる。
本日招待されているのは映画制作への出資者であって、口喧しい評論家や批評家は呼ばれていない。招待客らの興味は投資が回収できるかどうかであり、映画自体の出来不出来にはあまり興味がない。畢竟、お世辞とお追従とお愛想が飛び交うことになる。彼らは知っているのだ。映画の出来など及第点でさえあれば、後は宣伝でなんとでもなるのだと。そういった方面への働きかける力が彼らにはあり、その力を快く振るって貰えるよう制作陣や出演者たちは阿諛を怠らない。
とはいえ、全てが全て、そのような人間ばかりではない。中には映画をただの投資対象としてではなく、何らかの価値を見出している者もいないではない。そういった芸術としての映画に出資する者は、扱いが難しかった。
「良く言って、せいぜい『凡作』でしょうな』
何しろ、歯に衣を着せるということをしない。悪意も嫌味もなく、全く善意から、作品を論評することを己の責務か何かだと勘違いしているのだ。
こういった空気を読まない行動は普通は嫌われるものだが、評者が度々
当然ながら、主演俳優としてもこれを無視することはできないのだ。
「これは手厳しい。自分としてはオスカーも狙えるかと思ったのですが」
もちろん、周囲の客を笑わせるためのリップサービスだ。本気でそんなことを思っているわけではない。しかし彼女の反応はこちらの予想を超える。
「来年のオスカーは大作と名高い連合王国との合作映画が最有力でしょう。……おっと、まだ公開前でしたかな」
周囲の客が少しざわめく。ちょっと映画に詳しい者ならば、心当たりがあるのだろう。なにせ同じ制作会社の作品だ。
だが、彼としては多少気になるところがないでもない。
「あれは……脚本家に問題があるのでは?」
「誰が書こうが名作は名作ですよ。むしろ実害もないのに希少な才能を共産主義者だといって放逐する方が損失だと私は思いますがね」
金の卵を
「合州国を共産主義の魔の手から守るのは愛国者の義務でしょう?」
「貴殿が愛国者であることは存じ上げておりますとも。大戦中に第一映画部隊で活躍されていたのをよく憶えております」
大戦中、彼が所属したプロパガンダ映画部隊は陸軍航空隊で、戦後は空軍へと独立再編された。その第一期生が彼女なのだから、言わば先輩後輩の間柄と言える。
「はは。戦中といえば貴女は幼い時分だったでしょうに、よく憶えておられますね」
「当時は娯楽も少なくて、プロパガンダ映画といえども貴重でしたから」
「それは頼もしい話です。もしかして、空軍へは私の映画を見て志願されたとか?」
軽く冗談めかして笑いを誘ってみるが、思ったような効果はなかった。
「いえ、流石にそういうわけではないのですが」
彼女は苦笑いしながら、想い出を掘り返して見せた。
「あの頃は映画撮影の真似事もしたものでした。素人ながらカメラを担いで仲間を写して……残念ながら才能の方はなかったようで、出来上がったフィルムの評判はあまり
「あれはちょっと時代が悪かっただけですよ、社長」
付添の女性が慰めるのを聞きながら、彼は声を出さずに得心していた。
なるほど、映画の道を志しながら夢破れたタイプか。成功した実業家が、画家や彫刻家のパトロンをして、若き日の夢の代償を得る。彼女の場合、それが映画だったというわけだ。
そうと分かれば可愛いものだ。
「それではどうです? 次は出資だけではなく、原案などにも手を出されてみては?」
そんな風に業界に誘ってみる。無論、狙いは彼女の財布だが。
「止めておきましょう。その方面の才能がないことはよく分かっています」
全く未練を感じさせない笑いを見せられ気勢を削がれたところに、カウンターを浴びせられた。
「貴殿も自分の才能に見切りを付ける頃でしょう。きっと俳優より向いた仕事がある」
その際にはお手伝いしますよ。そんなことを言われて、無理やり名刺を持たされた。
時折、あの時のことを思い出す。
大統領官邸の、執務室の中で。
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