第丗篇 連邦急送

 基地に程近いコーヒースタンドは、空軍将兵でごったがえしていた。

 男たちの人いきれに煙草の紫煙が充満し、その中を微かに香味の漂う猥雑な空間をぼんやりと眺めながら、もう自分はではないのだと少し寂しく感じるのがおかしかった。

 ほんの少し前までは、自分とて非番となれば駐屯地を飛び出しダイナーに転がり込んで文明の香りを補給していたというのに、もう遠い昔の出来事のようだった。

 場違いな民間人へ向けられる胡乱気な視線に晒されながら、酸味のキツいコーヒーを啜っていると、手を振りながら店に入ってきたフライトジャケット姿の待ち人と目が合った。

「すまん、待たせたか?」

「こっちこそ、非番の日に呼び出して悪かったな」

「いいってことよ」

 年単位で会っていなかったのに、昨日別れたような気安さに心が和む。

「あ、俺もコーヒーね」

「奢るよ」

「そいじゃありがたく」

 さっと運ばれてきた作り置きのコーヒーで乾杯する。

「再会に」

「再会に」

 カチン、とカップの鳴る音。

「聞いたぜ。銀星章シルバースター貰ったって?」

「よく知ってるな」

「嫌でも聞こえてくるんだよ」

 大して旨くもないコーヒーを美味そうに啜りながら、そうボヤく。

「誰それが銀星章だ、誰それが戦傷章パープルハートだ、それに対してお前はなんだ、ってさ」

 心底嫌そうな表情からの匂いがした。良い家に生まれるってのも大変なものだと同情して慰めてやる。

「空軍州兵だって立派な仕事さ」

「そう言って貰えると気が楽になるよ」

 外征を任務とする合州国連邦軍に対し、州兵は国土防衛を第一任務とする。無論、大統領の命令があれば連邦軍に組み込まれて出征することになるが、装備・練度共に二線級とされる州兵、特に空軍州兵がインデンシナの最前線に派遣されることはまずあるまい。

 兵役の義務を果たしながらも最前線を避けられ、安全な国内で勤務できるという恵まれた立場であり、高い競争率の中、有力者の子弟が多く入営しているのが実情だった。

 とはいえ、だ。

「それに六年務めるんだろ。なかなかできる決断じゃない」

 厳しい戦況を受けて先だって四年に延長された兵役期間だったが、航空機搭乗員を選ぶとさらに二年間延長される。訓練期間が長くなり、その分実働期間が短くなるためだというが、民間のパイロットライセンスを持つ者がなかなか軍への入隊に際し搭乗員を選択しない原因にもなっている。かく言う自分も、学生時代に飛行免許は取っていたが、入営に際しては銃兵ライフルマンを選択した。

 大卒での士官入隊で航空要員アヴィエーターを選択すると、二十代をほぼ丸ごと軍に捧げることになる。最前線送りと天秤にかけたとしても損得は微妙なところだ。

「まだ五年残ってるかと思うと憂鬱だよ」

 戦闘機の操縦課程に回されて、未だ毎日のように訓練で絞られているらしい。

 学生時代から放埒な行動が目に着く男だったが、それでも兵役を忌避して逃亡したりはしない辺り、なんだかんだ言って育ちが良いのだ。

「賭けても良いが、娑婆に戻ったら苦労するぞ」

 足掛け三年の兵役ですら、戻ってきたら世の中が何もかも変わっていた。それが六年ともなれば、戻ってきた時には砂に埋もれた自由の女神とご対面することになるかもしれない。

「貴重なる先達のご忠言ありがたく拝聴した。覚悟しておくよ」

 おどけた調子で両手を挙げてお手上げのポーズを見せて、ふっと真顔に戻る。

「そっちどうなんだ? もう仕事は決まったのか?」

「まあ、それなんだがな。色々あったんだが……起業することにしたんだ」

「起業だって?」

 帰還兵の民間復帰は社会問題化しつつある。当然軍も問題意識を抱いているので、職の斡旋だけではなく、技能習得などの再就職支援プログラムは拡充され続けている。

 特に将校については、有事の再召集を見込んでか、条件が良い魅力的な案内も少なくなかった。

 それらを全部蹴ってやろうというのだ。この友人が素っ頓狂な声を上げるのも仕方ないだろう。

「憶えてないか? 学生時代に経済学の教室で出したレポートがあっただろう?」

「……もしかして、例のC評価だったやつ?」

 それだ、と頷き返すと友人は目を剝いた。

「マジで? いや、否定するわけじゃないんだが……」

「あのアイデアには自信がある」

 当時もそうだったが、海兵隊で実際の兵站実務を目の当たりにして、それは確信に至った。ハブ・アンド・スポーク型輸配送システムは間違いなく成功する、と。

「それで、会社設立資金を融資してもらうためにあちこちの投資ベンチャー会社キャピタルを回ってるところだ」

「はー。本気なんだな」

「当然だろ。……ただまあ、反応は渋くてな。もう少し手を広げようと思って、お前さんの伝手も頼りたくてな」

「俺の伝手って、一介の少尉に何期待してんだよ」

 奴は気を悪くした様子もなくくすくす笑う。

「スマン。お前の親父さんの伝手とかで投資会社に渡りを付けられないか?」

「いや、いいって。でも投資会社か……親父は石油系だかんなぁ……いや待てよ」

 そう言ってポケットをまさぐり、くたびれたカードケースを取り出すと、雑に詰め込まれた名刺をごそごそとめくる。

「親父のパーティーで一回会っただけなんだけどな、確か運輸系の投資会社が……あった、これだ」

 そう言って少しよれた名刺を差し出してきた。

「ザラマンダー信託投資組合?」

 聞き覚えのない会社名に首を捻ると、友人が声を潜めて説明する。

「ザラマンダー・エアー・サービスって知ってるか?」

「知らいでか。インデンシナの海兵でその名前を知らない奴はモグリだぞ」

 戦地で嫌というほど見たZASの三文字は、海兵隊員たちの絶大なる支持を集めていた。軍の兵站ロジスティクスが不調を来した時、いつも頼りになるのはZASだった。軍の下請け企業という話だったが、民間企業だけに支払いさえ確実なら融通が利く所が好まれていて、中には兵站士官に必要物資を捻じ込むよりもZASに電話をした方が良い、なんて公言する上官もいたくらいだ。

 自分の中隊も何度か世話になった。

 難点があるとしたら金払いに厳しいことで、金や黒のクレジットカードを持っている将校は部下からも頼りにされたものだ。

「そうか。じゃあ話は早いな。そのZASの関連企業、らしい」

 パーティーで紹介された話によると、社員年金等の運用会社なんだとか。

「ほう。じゃああんまり名前を聞かないのも当然か」

「まあな。でも親父のパーティーに呼ばれるような会社だ。だと思うぞ」

 ZASが軍部と関わりが深いことは当然だったが、その関連企業が実業系の下院議員とも繫がりがあるとは、確かに知名度以上の力を持っていそうだった。

「親父は来年の選挙で上院に鞍替えする気らしいんで、その関係で呼ばれたんじゃないかな」

「おいおい、そんなこと言っちまって良いのか?」

地元テキサスじゃみんな知ってるよ」

 軍や政治、経済に強い影響力を持つ投資企業。上手く口説き落とせれば、資金面だけではなく、様々な便宜を図ってもらえることだろう。

 改めて名刺を仔細に観察し、住所や代表者名を確認する。

「……ターシャ・ティクレティウス? 女か?」

「下衆な勘ぐりはするなよ」

 友人が真顏で釘を刺してくる。

「親父の愛人でも俺の婚約者でもないからな。生まれてこの方、あんな恐ろしい女見たのは初めてだ」

 そこで一層声を落とし、殆ど口の動きだけで言葉を紡ぐ。

「親父の裏稼業の関係者らしい」

「……裏?」

 とうとう声が消え、唇だけが動く。

中央情報局カンパニー

 驚いた。

 大手石油掘削会社の業界人として世界を股にかけて活躍し、その余勢を駆っての政界進出だと言われていたが、どうやらそれだけではない事情があるようだった。

 そしてそんな議員のパーティーに呼ばれる軍関連企業代表だ。

 なんてものじゃない。

「表の経歴は空軍士官学校第一期首席卒、ってことだが、それも本当かどうか知れたもんじゃないぜ」

「じゃあなんだ、インデンシナで良く見たZASの飛行機ってのは……?」

「詳しいことは俺も知らない」

 言外に知りたくもない、と態度で示され、こちらも同意する。確かに、首を突っ込んでも碌なことにはならないだろう。

 だが、そうだとすると、この会社を頼るのは難しいのか……。

「まあそういうことなんで、を出せば無碍にはされないと思うぜ」

 ニヤリ、と友人が意地の悪い笑みを浮かべる。

 なるほど。と勘違いするのは、向こうさんの勝手ということか。

 不安な点は色々あるが、利用できるものはなんだって利用しないといけない身の上だ。

 肚を括ろう。

「ありがとうな。すぐにでも連絡してみるよ」

 当たって砕けろの海兵魂だ。

 ここで不味いコーヒーを啜っているよりは万倍もマシだろう。

「上手くいったら、退役後にでも面倒見てくれ」

「お前は実家の会社があるんだろ」

「それが憂鬱なんじゃないか」

 贅沢者め。

 もしその時が来たら、せいぜい輸送機のパイロットとしてこき使ってやることにしよう。

 何はともあれ、アポを取って、事業説明の準備だ。

 センパーファーイ!


 数週間後。

 金額欄が白紙の小切手を受け取って困惑することになろうとは、この時は予想だにしていなかった。

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