第廿七篇 水門閉鎖

「さて、弁明を聞こうか」

 緊急の要件とやらで呼び出された大統領官邸の一室には、俗世で悪人顔と言われる鋭利な顏つきをした大統領以下、数名の補佐官と財務長官、財務次官、連邦準備制度理事会議長、国際通貨基金理事らがこちらを取り囲むように着席していた。

「と、申されますと……?」

 呼び出された中央情報局のジョン・ドゥ局長には心当たりが多過ぎた。

 何しろ中央作戦局を束ねる身の上であるから、報告すべき案件は山のようにあった。ただし、長官を経由せずに大統領に直接説明すべき案件というのはそれ程多いわけではなかったが。

「しらばっくれるのはやめたまえ」

 コツコツ、と机を指で叩いて大統領が不快を表明する。

だ」

 この場でその代名詞が示すものは、余りにも明瞭だった。

 局長は心の中でだけ、天に唾吐き、世界を呪い、あらゆる関係者に罵詈雑言を浴びせ、己の不幸を嘆き、最後に神に許しを請うた。

 軽微なものから世界滅亡まで、アレに関わる想定ケースは多岐に渡る。最近かの会社に発注している業務は全体的に順調だった。少なくとも世界が滅亡するような危機は近くあるまい。自分が呼び出されたところを見ると、国家滅亡の危機くらいだろうか、と局長は思い量る。

「何かありましたか?」

「白々しい! 君は私に報告すべき件を隠しているのではないのかね!」

「定例の報告以外に、我々の方から緊急に報告すべき事項はなかったかと」

 ドゥ局長は包み隠さず答えたのだが、この国を統べる者たちはその答えに納得はしれくれなかった。

「飽くまで白を切るというのだな。良いだろう、説明してやろう」

 大統領が顎をしゃくると、財務長官が話を引き取った。

「ザラマンダー信託投資組合。この名前に聞き覚えがあるだろう?」

「勿論です」

 持ちうる限りの誠実さを込めて、ドゥ局長は首肯した。

 ザラマンダー信託投資組合はザラマンダー・エアー・サービス社の関連会社で、ZAS社員の健康保険や年金の積立・運用を担っている投資信託会社だ。一般から資金を募ってはいないため一般投資家間の知名度は低いものの、機関投資家の中ではその驚異的な運用益から高い知名度を誇っている。

 普段はどちらかと言うと手堅い運用を行っているザラマンダー信託投資組合が時折見せる大勝負は、投機筋にとっては最早伝説とさえ言える。連合果物の空売りや合成甘味料飲料の登場、某自動車会社の悪質リコール隠しなど、あたかも未来を予知したような大規模投機から、幾度もインサイダー取引を疑われSEC証券取引委員会の監査を受けながら、ただの一度も尻尾を摑まれたことがない〝真っ白〟な会社だ。

 不本意ながらZAS担当とされるドゥ局長にとっては当然のように承知している事柄であり、その名前を聞いただけで胃が痛くなる。

(また連中がなにかやったのか)

 局長としては宣誓供述をしても良いが、奴らの投資行動に中央情報局は全く関与していない。許されるものならば極秘文書を開示したって良いとすら考えている。

 だというのに、どうしてなのか、誰一人として信じてくれないのだ。

 心が絶望に塗り潰されていく音を遠くに聞きながら、局長は義務的に応答した。

「彼らが、何か?」

「秋津島イェンを買っていた」

「彼らは秋津島に相当投資していますから、然程不自然ではないのでは?」

 これもよく知られたことだが、彼女は秋津島贔屓だ。少なくともそう思われている。実際のところは、連邦の東西両岸に橋頭堡を築かんとする戦略だとカンパニーでは分析されていたが、実現すれば效果は絶大だとして、表立って支援はしないが妨害もしない、というところで静観している。結果としてカンパニーも大きなリターンを得たのだから、傍から見れば結託しているようにも見えるかも知れないが、決してそんなことはないのだ。そもそも彼女の投資行動はカンパニーの分析官もとっくに匙を投げている。

『彼女には未来が見えているんじゃないですか?』

 分析官のそれは軽口だったようだが、一部では真剣にESP能力の研究をすべきかどうかが検討された。どうやら連邦では本当に実施されたらしい。

 とまれ、彼女は秋津島を有力な投資先としており、当然のように秋津島イェンを日常的に購入している。

 何もおかしな所はない。

「……と思うのですが」

「ああ、そうだろうとも。時期がこのタイミングで、しかもレバレッジをかけて自己資金以上の額を買い込んだのでなければ、な」

「なんですって?」

 金融関係には然程詳しくないドゥ局長だったが、流石におかしいと感じるくらいの感性はあった。

「何のためにそんなことを……?」

「それを知っているのではないのかね?」

「いえ、さっぱり見当が付きません」

 対外工作任務ということである程度は国際金融取引の知識はあるものの、所詮は諜報屋だ。最後は現ナマで殴れば良い、くらいの乱暴な知識で事足りる。工作資金を関税を通さず金塊で輸送することすらあるくらいだ。

 そう、最後は全てきんに收束する。

「大体、そんな大量の外貨購入に何の意味があるのでしょう。ドルとイェンの交換レートは固定ですし、ドルと金も固定レートですから、結局ドルを持っているのと変わりないでしょうに……」

 戦後混乱した世界経済の立て直しの一環として、世界の通貨が合州国ドルを中心に整理されたことは、この国の覇権を決定づけた出来事だった。

 大戦中のレンドリース他で大儲けした合州国には、対価として莫大な正貨、即ちきんが支払われた。その圧倒的金保有量を背景に、合州国ドルだけが金兌換を保証し、その他の通貨は合州国ドルとの交換比でその価値を規定。それを実現せしめた連邦準備銀行の金準備は総計二万トンを超えたというのだから、世界の金の過半がこの国にあったことになる。

 世界のあらゆる硬貨や紙幣は、突き詰めれば最後には合州国連邦準備銀行が持つ金に行き着く。

 そんな当たり前とも言える前提で、彼女の行動は非合理ではないかと疑問を呈したドゥ局長は、自分以外の全員から突き刺さる視線の圧力にたじろいだ。

「本当にそんなことを信じているのかね?」

「金本位制は通貨政策の基本ではありませんか。その維持に諸賢の皆様方が努力しておられると――」

 そう口にしつつドゥ局長は、と直感していた。

 そうだ。

 そうではない、という学説を、局長はかつて聞いたことがあった。

 あれは何だったか――。

 記憶の淵に浮かんだ言葉を口の端に乗せる。

「〝金本位制は維持できない〟?」

 反応は激烈だった。

 大統領が机を叩いて糾弾の声を上げる。

「やはり知っていたのか!」

「お待ちください! 誤解です! 我々は何も知らされていません!」

「ではなぜだ⁉ ここにいるメンバーしか知らないことだぞ!」

「国際会議ではレートを見直すだけではなかったのですか⁉」

 財務長官が、次官が、次官補が、大統領補佐官が揃って默り込み、大統領を振り仰いだ。

「ドゥ局長。それは第一級の機密事項であり、外部の誰も知らないはずの情報なのだ。君がそれを口にしたということは、有罪の証拠ではないのかね?」

「誓って申し上げます大統領閣下。私は、そして中央情報局は……少なくとも中央作戦局はその情報を全く摑んでおりませんでした」

 信じてもらえるだろうかと懸念しつつ、それでもドゥ局長は正直に曝け出した。

「しかし恐らく、は知っていたのではないかと」

「なぜだ! 機密保持は万全だった筈だ!」

 そのために中央情報局も連邦捜査局も排除したのだぞ、と大統領が憤るが、内心それこそが漏洩の原因だったのではないかと、口にこそ出さずにドゥ局長は感じていた。

 奴はそんな素人の手に負える存在ではないのだ。なにしろ玄人ですら手に負えないのだから。


「金本位制など未開社会の遺物です。早晩、維持できなくなります」

 彼女がそう断言したのを聞いたのは、いつのことだったろうか。戦後の連合王国パウンドの問題を尋ねてみた時のことだったろうか。あるいは国際通貨基金が設立された時のことだったろうか。

 憶えているのは、その迷いなき断言。

 自分はどう応えたのだったろうか。

「それは隨分過激な学説ですね」

 確かそんな感じに返したような気がする。

「金兌換を止めても通貨の機能は損なわれません。それは歴史が証明してます」

 余りにも簡単にそう説明するが、素直に呑み込むことができる話ではなかった。

 通貨とは金、古くは銀がそのまま用いられ、現在の紙幣や硬貨はそれらとの兌換を保証されるからこそ、紙切れや合金塊とは違うのではないか。

「兌換なくして、どうやって通貨の価値が保証されると言うのですか?」

 そもそも〝ドル〟の語源だってターラー銀貨に由来している。貴金属が通貨の裏付けである、という考えは常識以前の問題に思えた。

 それに対する回答は、恐らくこの世界で最も相応しくないであろう人物の口から飛び出した。

「信用です」

 いや、別の意味では最も相応しい人物というべきなのか。

 信用、信用。

 合州国はこの悪魔を。この世で最も信用し難い存在を、万難排して信用しなければならない。

 彼女を信用できるのであれば、それこそ、この惑星上のどんな人間であっても信用することができるであろう。

「信用こそが価値を有するのです」

 ああ、その信用の価値は一億ドル程もあることだろう。

「喩えになりますが、私と貴公の間に信用があれば、これだって支払いの通貨足りえます」

 ポケットから実包を取り出してコツコツと音を鳴らしながら並べてみせる。

「一発一万ドル、と言えばなるでしょう?」

「……そうですな」

 喉がひりつき、胃が引きつるのを何とか誤魔化して同意してみせるが、それは単なる脅迫だとドゥ局長は罵り倒したかった。

「同様にして、約束手形や小切手、銀行の融資など、現金を伴わない金銭の動きもまた、信用に依拠しています」

 実際に銀行の金庫の中に現金が、はては連邦準備銀行にきんがあるかどうかとは関係なく、帳簿上に数字が記入される。そうやって通貨はつくられていく。

「畢竟、貨幣は信用に基づき、経済規模に応じて需要が増大しますが、これの裏付けに金属を用いれば、その発行量は物理的備蓄量に制約されてしまいます。そうなればやってくるのは経済の停滞です」

 いくら莫大であっても金準備は有限だ。しかし経済がそれを上回る規模で通貨を必要とする、というのは、想像するのが難しい想定だった。

 有り体に言えば、詐欺の論法ではないかと当時のドゥ局長は疑ったものだった。

 そのくらい、金に対する信頼はあつかった。

「まあ、一学説としてお受け取りしておきましょう」

「そうですね。四半世紀もあれば証明されるでしょうから」

 特に持論の貫徹に拘る様子もなく、彼女は次の話題に移っていった……。


「つまり奴は、理論的にこの状況を予見していた、だと?」

 そんな局長の思い出話を聞いた政府首脳は、しかし何の感銘も受けた様子はなかった。

「……そうではないかと推測するところです」

「奴は戦争の申し子、戦場しか知らない少年チャイルドソルジャー上がりじゃなかったのかね?」

「それは戦前の話です。奴はその後我が国で空軍士官学校を始めとした最高水準の教育を受けております」

 なんということだ。政府首脳のヤツへの評価が更新されていないとは。なまじ起業した業務が傭兵ビジネスだっただけに、印象が強化されてしまったのか。

「つまり、空軍士官学校の責任か」

「お待ちください。空軍士官学校はよく職責を果たしました。間違っても咎めなどなきよう……」

「結果が伴っていないではないか」

 大統領は不機嫌そうに言い捨て、副大統領時以来の属僚の何人かが同意の声を上げた。

 局長は見る見るうちにやつれていった校長の姿を思い起こし、深く彼の魂の安息を祈った。

「しかし、だ。たとえ理論的に予想をしていたとしても、実際の時期については別に情報を得ていた筈です。そうでなければこれ程完璧なタイミングでのイェン買いは不可能でしょう」

 補佐官の一人が改めて疑惑を呈し、一度は納得されかけた場が再びざわめいた。

「これは由々しき問題ですぞ。国の最重要機密を連中はどうやって知り得たのか」

「中央情報局は何故しっかり監視していなかったのか!」

「監視、ですと⁈」

 慮外なことを言われて局長は目を剝いた。

「我々が、彼女らを、監視⁉」

「そうだ。君たちの任務だろう!」

「とんでもない!」

 なんということだ。年月とはかくも記憶を風化させるものか!

「我々は飽くまで彼女らをし、大人しくして頂いているに過ぎません。不信を抱かれれば、何が起こることか!」

 具体的には、水道管が一斉に行方不明になってフィラデルフィアが開拓前の状態に戻るのだ。

「安全保障に問題がないのならば放置を強く推奨します。何億ドルだか知りませんが、合州国に損害を与えたわけではありますまい」

 合州国ドルの通貨価値が下がっても、主に損害を被るのは合州国市場への商品輸出に頼っている国々ではないか。

 しかし局長の熱意は伝わらない。

 大統領は一層不機嫌になって、フン、と息を吹いて手を振った。

「よくわかった。この問題について、君たちはアテにならないわけだな」

 黙示録の喇叭の音を空耳しながら、局長は最後の抵抗を試みた。

「お考え直し下さい!」

 退室を命じられた局長は、半ば追い出されるように部屋をわれ、その背後で重々しく扉が水門ウォーターゲートの如くとざされた。

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