第廿六篇 五十一区画
窓なしの輸送機から降ろされた飛行場で、課長はそのあまりのスケールに驚きを隠せなかった。
「これはとんでもないところだな」
自分たちが降りてきたと思しき滑走路が、さらにその先へ向かって延び、陽炎の彼方へ消えている。
「滑走路が地平線の向こうまで続いてやがる」
「どうだ課長、ここはどの辺りだと思う?」
続いて降りてきた部長に尋ねられて、時計で時間と方位を確認し、太陽の高さをサッと目分量で当たりを付ける。
「北緯三七・二、西経一一五・八……ネバダの核実験場の近くじゃないですかね」
「推測航法の腕は落ちていないようだな。私も同じだ」
さては抜き打ちテストだったか、と内心首を竦めながら、周囲を見渡す。魔導師の飛航は地紋航法が基本で、夜間晴天ならば天測航法だが、どちらもできなければ自身のベクトルと経過時間から現在位置を推測する。かつて嫌というほど叩きこまれ、実践した技術だ。
大隊、いや当社社員にとっては当たり前の技術に過ぎず、故に目隠し状態で運ばれてきたこの場所も、大体の位置の推測はできていた。
一面荒涼とした大地で、北側には白く輝く地面――恐らく乾湖――が見える。
「恐らくあれはグルーム湖だろうな」
地図の持ち込みは禁止されていたものの、頭の中に格納された地図から地名を引っ張りだしたのだろう。
反対側を見ればコンクリート製の建屋や巨大な航空機格納庫が並び、管制塔もなかなか立派なものだ。
「しかし、このような場所にこのような施設があるとは、寡聞にして知りませんでした」
「
出発前に見送りに来た社長も微妙な表現でそれらしいことを言っていた。
「さて、何が飛び出してくるのかな」
「ロクなもんじゃないですよ、きっと」
長年の経験に裏打ちされた課長の根拠なきその予想は、きっと当たるだろうと部長にも思えるのだった。
果たして施設棟の一室で彼らを待ち受けていたのは、一部で吸血鬼と渾名される親会社の某局長と、これまた顏見知りの協力会社技術者だった。
この瞬間に、社長がこの仕事を避けた理由が察せられて、社員一同げんなりする。
「遠い所わざわざ済まなかった」
「いいえ、仕事ですから」
代表して部長が応えるも、その言葉に熱意は少ない。が、総熱量は一人の人間が補填していた。
「君たちが来てくれれば百人力だ! このプロジェクトを成功に導くため、力を尽くして欲しい!」
協力会社――スカンク組合の
「現時点で我々は何も聞かされておらないのですが」
「わかっているとも。機密だからな」
科学と技術と勤労を美徳とする男は長旅を労うこともなく、直ぐに説明を始めた。
「これが、我々が開発した〝高高度気象観測機〟だ。高度七万フィートを最長一二時間飛行することができる」
壁に貼られた図面と写真の一群を示す。
「七万⁉」
「成層圏じゃないですか」
驚く魔導師たちに、チーフは満足そうな笑みを浮かべる。
「本機は
「――というのは建前で」
一同の目が局長に向けられる。
「
敵地上空、レーダーの有効範囲から外れ、迎撃機も到達できない高度を悠々と飛行し、写真を撮影して回る未確認飛行物体。かの〝プロジェクト・ブルーブック〟はテスト飛行中の目撃情報をごまかすために作られたんだとか。
「名無しの基地に実態が不明な運用母体、揉み消しのための情報操作。また隨分と大掛かりなプロジェクトですな」
「全ては連邦に対し本機を秘匿する必要性からだ」
もしも敵地上空で機械的トラブル等によって不時着を余儀なくされた場合は、気象観測機が航法を誤って領空を侵犯したと言い訳することになっているのだと、局長が説明する。そのためにも、パイロットは全員軍籍を一度離れてカバー企業に所属を移しており、またNASAでもアリバイ作りのための飛行は行われる。
「しかしそのようなプロジェクトに我々の出番はなさそうですが」
こう言っては何だが、彼らは戦争屋上がりで作戦局の能動的な工作とは親和性が高いが、純粋な偵察となると本職とは程遠い。
「それについては私から説明しよう」
チーフが再び話を引き取って堂々と説明を始めた。
「私はこの機体を単なる偵察機で終わらせるのは惜しいと思っている。この機体に秘められた無限の可能性を追求するために、諸君らの協力を仰ぎたいのだ」
手早く数枚のイラストを追加で壁に貼る。
「本機は現在数種類の派生形を検討していて、その中にセンサーマンを乗せることを想定した後席増設型がある」
図を見る限り、本当に探知機操作員用らしく、前方視界はゼロのようだった。
「このスペースから潜入工作員を空挺降下させられないか、
白熱した議論は夕刻まで続けられ、多忙な局長や、決して残業をしないことで知られるチーフが去った後も、残ったメンバーは様々な角度から検討を続け、ようやく夕食を期に散会となった。
社員食堂に慣れた舌には辛い夕食をかき込めば、周囲は既に暗闇に包まれていた。
食後の散歩と洒落こもうとして、日没とともに急激に下がる気温に少し身震いしたところに、不意に紙コップが差し出された。
「珈琲です」
「スマンな、貰おう」
こういうところは気の利く課長と二人、部長はしばしカフェインを補給する。
「酷い所ですね、ここ。ウチの会社も大概だと思いましたけど、車で行ける店の一軒もないとか、まるで監獄ですよ」
そもそも自動車が通れる道が通っていない。飛行機でないと乗り入れできない場所なのだ。
「事実そうなんだろう」
公文書を検索されることを避けるために正式名称すら付けられていない施設なのだ。しかもいるのはペーパーカンパニーの社員や軍人崩れ、軍需メーカーの社員等々。さらに開発しているのは
「アカの連中に一泡吹かせるための秘密の砦というわけだ。厳重にもなろうというものさ」
「連中は何処にでも入り込みますからね」
忌々しげに課長は吐き捨てる。
「我々が入り込むにはさんざん苦労するのにな」
そういって部長は昼間の議論を思い出して笑う。課長は逆に渋面に。
「こう言っては難ですが、あのスカンク組合のチーフは頭おかしいですよ」
「技術者ってやつは、頭のネジがぶっ飛んでないと良い仕事ができないらしいがな」
「高度七万から生身でパラシュート降下とか……」
高高度、成層圏からのパラシュート降下自体は、空軍が気球を使って実験を繰り返している。ただし、与圧服を着た上での話だ。与圧服を着て良いなら話は簡単なのだ。
しかし与圧服は専用のアンダーウェアを着込んだ上に着る代物で、しかも一人では着ることも脱ぐこともできない。非常時の脱出ならばともかく、潜入工作となると難しい。潜入工作に必要な武器・道具を持って飛び降りるのに、魔導を使って何とかしろと言うのだから
「我々とて高度一万くらいは飛びますが、それ以上となると未知の領域です」
「……昼間は言えなかったが」
部長はちらりと周囲を見渡したあとに、小声で続けた。
「非公式ではあるが、高度三万以上から降下した実績が存在する」
「なっ……三万⁈」
それは世界最高峰すら上回る高度だ。当然飛行術式で上がれる高さではない。
「確か、高度三二八〇八だったかな」
記憶を確かめるように部長は数字を口にする。
「誰ですか、そんなとんでもない高度から――」
言いかけて、部長の顏に浮かぶ不敵な笑みで課長も気づいた。
「――なるほど、我らが戦闘団長閣下は時代を超越しておられたわけですか」
「当時貴官は別働だったからな。まあ、無茶をさせられたよ」
澄まし顏で
「コックピット与圧は高度二五〇〇〇相当だというから、耐えるだけなら耐えられる」
酸素生成術式を全力展開して肺の中の酸素分圧を上げれば耐えられることは実証済みだ。
ただ、このことは本当に限られた極一部の人間しか知らないことだ。スカンク組合のチーフは勿論のこと、親会社の局長だって知らされていない筈だった。
「果たしてそれを知った上で持ち込まれた話なのか」
「まさか」
「確証はあるまい。が、真実に迫りつつある、といったところか」
どんな技術であっても永遠に秘匿することはできない。科学技術の進歩によって、いずれ誰かが正解に辿り着く。
「潮時、ということなんだろうな」
この実験に自分たちが派遣されたことを含めて、部長は決断する。
情報は力だ。ただし、隠して発揮する力もあれば、示して発揮する力もある。情報を制御する主導権こそが力の源泉なのだ。
情報の積極制御。〝真実〟に指をかけつつある相手に対して隠蔽を選ぶメリットはなし。暗夜の海で光明を見つけたのなら、次は情報の海で溺れていただくよう、策を講じる局面ということだ。
「当社の力の見せ所、だな」
「お任せ下さい。過去の記録なら打ち破ってみせますよ」
「その意気だ」
珈琲を飲み干して、課長の肩を叩いて宿舎に戻る。
明日からは忙しくなりそうだった。
ラングルレー・カンパニーの中央作戦局長という仕事は大変多忙だ。世界に覇を唱える覇権国家の国外諜報、その攻性の部門を統括するのだから、世界中で進行中の
そういった上と下からの圧力に加え、局長を最近苦しめているのは横、即ち外部からの横槍だった。
特に酷いのは、スカンク組合だ。
あのチーフは、名門出身ということもあり、OBや政治任用職と繫がりがあるらしく、どこからともなくこちらの計画を嗅ぎつけて新型機の企画を持ち込んできたりする。あの〝高高度気象観測機〟にしても、別の会社が
そんな男が持ってきた〝提案〟がマトモなものであろうはずがないと思っていた通り、成層圏を飛ぶ高高度気象観測機から工作員を敵地に潜入させようなどという、暴虎馮河な計画だった。困ったことに、直接副長官に持ち込まれ、実現可能性調査の実施が決まってしまっていた。
テスト要員としてあの連中を宛てがったのは、いわば意趣返し。毒を以て毒を制する意図が僅かながらにあった。あの連中なら、あのチーフの毒にも負けずに実現可能性を正しく評価してくれるだろう、と。
それがまさか、こんな
提出された報告書を前に、局長は体面もなく頭を抱えた。
導かれた実現可能性は、純技術的には「可」。
その内容は滅茶苦茶だ。
純酸素を使った予備呼吸で酸素飽和となった状態でコックピットに与圧服なしで入り、〇・四気圧に足りないコックピット与圧の中を酸素マスクもしくは酸素生成術式で耐え凌ぎ、射出座席でベイルアウト。およそ、正気の沙汰とは思えない。
狂っているのは、さらにその先。
コックピットの外は高度七万の極希薄大気で、大気の密度は地表の五%ほどだ。酸素があっても分圧が低すぎて呼吸などできない。ほんの一呼吸で気絶・失神してしまうが、それに対する対処が、なんと「目を閉じ息を止めて耐える」なのだ。なんでも航空宇宙局の実験によれば、短時間であれば人体は超低圧状態に耐えられるのだとか。狂っている。
呼吸できる大気がある高度まで落下するのに一分ばかりかかるが、その間ひたすら耐える。落下傘は空軍の高高度降下実験に使われている、自動開傘機構付き特殊落下傘を使用するので、よしんば装着者が気絶していようと問題なく動作する。
かくして、高度別の落下傘を数種類順次展開して最後に着地を果たす。実験に参加したZAS社員のコメントによると、キツイのは前半だけで、射出後はむしろ何もしなくてよいので楽だとか。何かがおかしい。
信頼できる
ただし一方で報告書は、〝作戦〟としての実行可能性を否定していた。全ての機材が完璧に動作し、要員が一分の瑕疵もなく職分を全うしてようやく、といった実現可能性では、あらゆる故障やささいなトラブル一つが、作戦を完全に破綻させてしまう。
既に連邦が機を捕捉し、迎撃機を上げていることをも指摘し、現時点でこそ高度に到達していないが、近い将来、何らかの迎撃手法を確立することは確実、と優位性の喪失が近いことを予言。
さらに、敵地奧深くに潜入した要員の脱出経路にも言及する。当然このような方法での潜入なので、脱出方法の確保は極めて困難だ。いっそ不可能と言って良い。人員・機材の両面においてこれだけ高コストな作戦で片道特攻など論外も甚だしい。
作戦指揮官に常識的な判断力が備わっていれば、実行に移されることなどまずあるまい。そしてそう遠くない将来、偵察機は優位性を喪失して価値を失う。
あの連中が突飛な脱出方法を提案してこなかったことを神に感謝したいくらいだった。
当面実施を阻止できる見込みが立ったところで、一方で反対方向の問題も生じることになる。命の価値が合州国よりも遙かに低い連邦であれば、このような作戦を実施に移せるのではないか?と。あるいはあらゆる場所にシンパを潜り込ませることに長けた連中のことだ。内応者や協力者を脱出に利用するかもしれない。
成層圏から降ってくる魔導師への対策を、これの存在を説明せずに軍に勧告しなければならないのが頭痛の種だ。中央情報局としても部外者ではいられないが、内陸部に位置し、警戒が緩い基地の警備を見直すのが最優先になるだろう。何しろ〝安全な後方〟として戦略爆撃機が――
「んぐ……?」
脳に走る痛み。
戦略兵器が秘密裏に保管されている、内陸部にある安全な後方基地。
そこへ高高度から隠密に降下急襲する魔導師。
なぜ、
突如腹部を貫く激痛に胃の辺りを押さえつけながら、抽斗を漁って胃薬の薬瓶を取り出す。数も数えずに錠剤を口に放り込み、水も使わずに飲み込める嫌な特技が身についた。
机に突っ伏して悶える裡に、記憶の表層に浮かび上がる地名があった。
バッキンカムシャー。
同盟軍最高司令官にも詳細を伝えずに運び込んだ〝新型高性能爆弾〟。
正規の指揮系統を逸脱した跳ねっ返り共の不正使用があったせいで、有資格以外を徹底的に排除し過ぎたという反省はあるものの、未だにどのようにして奴が防空網を突破したか判然としていない。
成層圏からの空挺降下。
現代でも空想に近いが、当時ならば妄想だったに違いない。
だがしかし、当時既に成層圏を飛ぶ飛行物体は存在した。帝国の生み出しし、時代を超越した〝報復兵器〟。
そうだ。奴はそこから降下したに違いない。
戦勝国が戦後宇宙開発と称して高高度での実験を始めたのを尻目に、帝国はとっくに超高空を踏破していたのだ。
報告書の向こうから、悪魔の哄笑が聞こえてくる。
『貴様等のいる場所は既に、我々が数十年前に通過した場所だ!』
彼らが脱出方法を明示しなかったのは、まだ我々がそこにまで到達してないから。これは明かしても良い手札に過ぎず、奴らにはまだ切り札が残っていると暗示して已まない。
絶え間なく続く疝痛に脂汗を
『T/D案件』
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