第廿二篇 男爵出版

 その出版社は、とても大手とは言えず、中小と呼ぶにもまだ小さく、零細と呼ぶべき規模だった。

「遠いところ遙々来てもらったのに悪いんだが、幻滅したろ」

 社主兼編集長と名乗った男が、編集室の片隅の応接セットに座った私に灰皿を薦めてくれた。

 一瞬お世辞が喉から飛び出しかかったが、ここは正直になるところだと思い直す。

「意外でした。ベストセラーになったと聞いていたので」

「ああ、まあな」

 懐から取り出した煙草をひょいと一本咥え、火を着け終えたマッチを灰皿に捨てる。

「我が社始まって以来の売上を記録したのは確かだが、調子に乗るほど愚かじゃないつもりだぜ」

 意外に堅実なことを言い放ちつつも、二匹の獅子と王冠の紋章が入った煙草の箱を見せながら笑う。

「とはいえ、これまで手が出なかった外国銘柄を気兼ねなく買えるようになったのは確かだがね」

 羽振りの良さの象徴であるらしい煙草を旨そうに吹かして、付け加える。

「あんたも知ってると思うが、この業界には〝ベストセラー倒産〟なんて馬鹿話が掃いて捨てるほどある。二匹目のじょうなんて狙って釣れるもんじゃねぇ」

 一匹目ですら、どうやって釣ったのか分からないのに、とこぼす。

「これほど大きな反響を呼ぶとは、思っていなかった?」

「当然だろ」

 咥え煙草を上下に搖すりながら編集長は続ける。

「いつもと同じように、何の変哲もなく、普通に出版した。特に広告を打ったわけでもなく、書評に採り上げられたわけでもなく、にも拘わらず、少しずつ部数が伸びていって、気がつけば創業以来の刷り部数だ」

 灰を一度落として、こちらに身を乗り出す。

「挙句、連合王国から名うてのジャーナリストが取材にやって来る。何が起こっているのか、俺達の方が知りたいくらいだ」

「まさか、全く予想されていなかった、と?」

「まあ、いつもより、その、読者の反応がおかしい、くらいは感じてたさ」

 顎をしゃくって示す先に、段ボール箱一杯の手紙の山。

「捨てても捨てても、後から後から届きやがる」

「……作者には渡していないので?」

「書いた奴らは逃げ出したよ」

 相手が何を言ったのか分からず、暫く沈默していると、編集長が説明してくれた。

「ウチみたいな出版社じゃな、自分で本を作るばっかじゃないんだ。企画は持ち込み、執筆は外部のライター任せ、ウチでやるのは編集と装幀くらいなんて本がザラにある」

 それでは殆ど名義貸しじゃないか、と呆れたが、そうでもしなければ一族経営の零細出版社でシリーズ本の出版などできないと開き直られる。

「それに、ウチの読者がネタを持ち込んでくるんだ。ウチの読者向けのネタが集まってくる。俺たちが自分で頭を捻るより、よっぽど気の利いたネタが提供されるって寸法さ」

 くだんの本も、そうやって作られたのだという。

「本当に、何もおかしなところはなかった。いつも通りのやっつけ仕事。初版を売り切ったら後は野となれ山となれ。ところが、だ」

 編集長は段ボール箱から何通か手紙を引っ張りだして来て、手渡してくる。本来部外者に見せるべきものではないだろうとは思ったものの、好奇心に駆られて手に取ってしまった。

 最初の一通は、連邦共和国内からのもの。

『前略。いつも御社の出版物を楽しんで読ませていただいております。つきましては今回の本には以下の事実誤認または明確な誤りが含まれておりましたので……』

 以下延々とページ番号と指摘が目眩がするほど細かく続いていた。

 次は連合王国語。

『警告する。本書の内容は著しく偏向しており、大戦における連合王国将兵の活躍に対する正当な評価を外れていることは明白である』

 最後の一通は、フランソワ語。

『血に塗れた帝国の魔導師に呪いあれ。我々は貴様らを決して許さない』

 一緒に封筒に入っていたガラス片でうっかり手を切りそうになった。

「こんなのが毎日届くんだ。そりゃ書いた奴らだって恐ろしくなって逃げ出すさ。最後のころにゃ完全にノイローゼになって、『電話が盗聴されてる!』とか口走るようになってな、静養を薦めたのさ。金は振り込めてるから、まだどこかで生きてるとは思うが」

 どっかりと腰を下ろし、二本目の煙草に火を着け、天井に向かって煙を吹く。

「書店や取次から注文が入って増刷すること自体は、まあ、たまにあることだから最初は気にしてなかった。でもそれが五度六度となると尋常じゃない」

 気づいた時には手を引くタイミングを完全に失い、ただ状況に流され続けるしかなかった、と。

「未だに分からないんだ。俺達は何を踏んづけちまったんだ? 一体全体、何がどうなってるんだ?」

「つまり、私の取材を受けたのは――」

「あんたが何か事情を知ってそうだったからさ」

 なんということだ。

「つまり、本当に何も知らない、と?」

 悪びれない表情で、ひょいと肩を竦めてみせる。

「二匹目の泥鰌がかかるかと期待はしたがね」

 長年追いかけているネタの尻尾を摑みに来たつもりが、誘い出されたのは自分の方だった。餌だと思って食いついたのは、彼が垂らした仕掛けだったのだ。今や私は哀れ釣り上げられた魚というわけだ。

 国に帰ったら〝古い友人〟に散々にからかわれること請け合いだ。

 肩を落として溜息を吐く私を、編集長は慰めてくれた。

「いや、感心してるんだぜ。あんたみたいな真っ当な経歴の記者さんが、ウチみたいな出版社に乗り込んでくるんだから、大した意気込みじゃないか。下調べくらいしたんだろ、ウチの出版物について?」

「それは、まあ」

 聞き覚えのない出版社だったのだ。書店や図書館で、どんな本を出している出版社かは、探ってみた。

 そこで目にした本のテーマは、怪奇現象、超常現象、宇宙人、未確認生物、未確認飛行物体……といった、神秘オカルトを扱ったものばかりだった。それらの傍らに、あの大戦の戦場で流布した各種伝説を追いかけるシリーズもあったのだ。中には「これが帝国の知られざる超兵器だ!」なる本もあって、一応目を通してはみたのだが、魔力変換固定化を実現した演算宝珠など、そんな超兵器があったのならば帝国は大戦に勝利していたことだろうと思わずにはいられなかった。

「しかしその、全部が全部、全くの噓というわけでもないのでしょう?」

「そりゃまぁな」

 どの本もそうなのだが、全く完全に作り話というものはなかった。どれもこれも、巧妙に事実が紛れている。例えば、大戦中の空軍パイロット達が正体不明の飛行物体を目撃し報告していること、それ自体は事実だ。それが宇宙人の空飛ぶ円盤だと言われると眉唾だが……。

「〝うまい噓には二割の真実が混ぜ込んであるもんだ〟ってのが、創業したじい様の口癖でね」

「その二割の真実を私は求めているんです」

「二割の真実なんて言われてもなァ……」

 編集長氏は吸い殻を灰皿に押し付け、次なる煙草を咥えながら首を傾げる。

「アレだって、ありきたりな戦場伝説じゃないか。サラマンダー戦闘団。有名だろ?」

「確かに、有名ですね」

 あの大戦にまつわる数多い伝説の中でも、とりわけ有名なものの一つだ。帝国軍が苦戦する戦場に颯爽と現れ、仇なす敵を粉砕し、忽然と去っていく精強無比の戦闘団。東西南北、全ての戦場で目撃談があり、あまりの頻出ぶりから〝サラマンダー〟とは参謀本部によって派遣される救援部隊に共通して付けられた符丁コールサインだったのではないかとも考えられている。「戦闘団」なる編成がそもそも臨時編成の諸兵科連合部隊だったこともあり、確固とした資料的裏付けが少ないことも伝説に拍車をかけている。

 だが、その最後だけは奇妙なほど明確だ。

 俗に言う〝バルジ大作戦〟、帝国側名称〝ライヒの護り作戦〟で壊滅したことだけは両軍の資料で共通している。それ以前もそれ以後もはっきりしない部隊だというのに。

「戦闘団長の経歴すら定かじゃない」

「あー、あの〝デグレチャフ〟なー」

 戦場伝説を渉猟していれば一度や二度はお目にかかる名だが、これまた杳として知れない存在だ。

 何しろ、そんな名前の将校は記録に存在しないのだ。

 女性であったというからには、恐らく魔導将校だったはずだが、士官学校、軍籍簿、配属記録など、一切に名前が出てこない。常識的に考えれば、実在しない架空の人物、と断ぜざるを得ないところだ。しかし、彼女に関する数少ない証言は、あまりにも真に迫る。

 そして一部の情報機関関係者に〝デグレチャフ〟の名前を出した時のあの反応。あれは、時の反応に思えて仕方がない。

 デグレチャフとは何者なのか。

 どうして彼女の名前は十一文字なのか。

 ああ、そこには恐るべき秘密が潜んでいる。私の勘が、記者として長年培った嗅覚が、訴えるのだ。

 そこを暴け、と!

 大戦の真実が、そこには隠されている‼

 思わず熱くなって長広舌を奮ってしまい、ふと編集長氏を見ると、口を半分開けてぽかんとこちらを眺めていた。

「……、失礼」

 年甲斐もなく興奮した自分が恥ずかしく、咳払いして場をとりなそうとしたが、それは編集長氏の手の煙草の長い灰を落としただけに終わってしまった。

「ぷっ」

 碌に吸わない裡に灰になってしまった煙草を灰皿に捩じ込んだ編集長氏は、こらえ切れずに噴きだすと、そのままゲラゲラ笑い始めた。

「こりゃ傑作だ!」

「これは真面目な話なんですよ!」

「あー、あー、分かってる分かってる。ウチにネタを垂れ込んで来る連中も、みんな真面目だからな」

 それでもくつくつと口の端から笑息を漏らしながら、編集長氏は三本目の煙草を咥えた。

「記者さん、WTNに愛想を尽かされたら、ウチから本を出したらいいよ。歓迎するぜ」

 両手を広げて、目配せを一つ。

「ようこそ、法螺吹き男爵ミュンヒハウゼン・出版ブックスへ!」

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