第廿一篇 産声

 正午の鐘が鳴り響く中、垂頭していた一同は、一二の鐘声を聞き終わると頭を上げた。

 初夏の穏やかな日差しの下、緑豊かと言えば聞こえは良いが、どちらかと言えば手入れが不十分で乱雑に草木が生い茂った広場には、延々と粗末な墓石が並び、しかも全て番号しか彫られていない。

 ここは無縁墓地だった。

 あの凄惨な大戦は数え上げることすら困難な数の死者を生み出したが、全てが鄭重に埋葬されたわけではなかった。それでも同盟国側の戦死者は、まだしも鄭重に扱われた。故郷に待つ遺族の元へ、戦死公報と共に遺品を届けるべく、最善が尽くされたと言ってよいだろう。民間人もまた、人道的見地から比較的ましな扱いを受けた。

 もっとも割りを食ったのが、旧帝国軍兵士だった。

 降伏直後の武装解除、組織の停止もあって、彼らを積極的に鄭重に扱おうとする主体に乏しかったこともあり、多くがこのような無縁墓地に纏めて葬られた。それでも最低限、認識票などが記録に取られ、一人ずつ墓穴が用意されたことを、厚情と感じなければいけないのが敗戦国の立場だった。

 戦後しばらくして州政府が稼働を始め、後に連邦共和国となる全州会議が立ち上がった後は、無縁墓地は国有地となり、遺族が故人を探す場となった。また、旧軍人への恩給業務を引き継いだ連邦共和国政府もまた遺族探しを行ってはいたが、芳しい成果は上がっていなかった。

 年に一度は整備されるとはいうものの、普段から人の来ることのない無縁墓地に十人以上が集まっているのは、異例なことだった。

 そんなところに一人の男性が息せき切って到着し、敬礼こそしなかったが直立不動で声を発した。

「報告します。本正午、パリースィイ協定が発効し、連邦共和国は主権を回復いたしました!」

「そうか」

 一同の首座と思しき銀縁眼鏡の人物が小さくうなずいた。特に感慨はない。この日が来ることは一年近く前の協定文締結の日から予定されていた。共和国の反対という不安はあったが、大筋で協定が発効することは疑っていなかった。

 本日正午を以って同盟軍による占領統治は終了し、最後まで残っていた各国の高等弁務官事務所も大使館へと模様替えになる。連邦共和国政府は独自の外交権を回復し、名実ともに大統領がこの国の元首となる。もっとも、議院内閣制なので実権は首相にあるが、そういった諸制度が本当の意味での国家機構となる。

 そして課せられていた数々の制約が解除され、いくつかの例外的事項を除き、内政外交の全てを自決できるようになったのだ。

 だが、連邦共和国に喜びの声は響かない。

 暫定首都は西部の都市に置かれ、この旧帝都は〝将来の統一ライヒの首都〟とされているだけだ。

 統一――。

 そう。

 帝国は分割され、そして今もなお分断され、今日はそれが決定的かつ永続的になった日でもある。

 西側だけが、連邦共和国となり、西側諸国から独立を認められた。

 つまり、そういうことだ。

「本当に、こうなりましたな」

 誰かがポツリとこぼす。

「全ては閣下の予想通りに」

「不可避の流れだ」

 淀みなく答えるが、その声には冷たい熱があった。

 そうだ。全ては予想、いや、通りに進んでいる。

 あの日、が語った通りに世界は転変し、計画は微修正こそされたが、概ね原案通りに遂行されている。

 そのことが、計画の立案者として〝恐るべき〟と冠される冥下の人物の名を一層引き立てるのだ。

「故に、我々の任務もまた、変更はない」

 参集した男たちが、一斉に頷く。

「だが、今日は、今だけはそれを忘れよう。過去を偲ぶ悪徳に身を委ねよう」

 男たちが一斉にシャベルを取り出した。

「許可は下りた。改葬を行う」


 死刑執行後、遺体の引き取り手が現れなかったため、この無縁墓地に葬られた。

 公式にはそうなっているが、事実はやや異なる。引き取り手となるべき人の誰一人として、それが可能な状況になかったのだ。

 逮捕收監されていた者、捕虜收容所にいた者、遠く疎開していて交通手段がなかった者。そういった者たちを待たず、連絡もせずに、公告一つで埋葬は速やかに行われた。

 とある合州国軍人から後に密やかに伝えられたところによれば、同盟諸国の一部に、〝戦犯〟の遺体を広場に吊るして見せしめにすべきだ、などと言い出した国があったらしい。帝国と激闘を交わしたというのに、あるいはそれ故か、深い共感シンパシーを寄せる合州国軍の一部が動き、彼の人の尊厳を守ろうとした結果だったのだという。

 もっとも、当の本人は、自分の遺体が吊るされると聞いたところで、きっと「それで連中の気が済むのなら好きにやらせてやれ」くらいは言ってのけただろうが。

 それ程の覚悟を以って、大陸軍事裁判に臨まれた人物だった。

 無言で墓を掘り返し、持参した立派な棺に鄭重に遺骸を納め直し、男たちは棺を担いで葬列を作った。

 これまでも改葬の申し出は何度もしていたが、その度に高等弁務官が横槍を入れてきた。しかしそれも、今日で、今日の午前で終わった。

 ようやく、主権を回復して、この方を無縁墓地から救い出すことができた。恐らく本人は望みはしなかっただろうけれども、無縁墓地の再開発が持ち上がり、戦没者墓地に合葬となる計画が持ち上がっていては、我慢も限界だった。

 葬列は街を歩き、軍人墓地の前に差し掛かる。

 本来であれば、故人が眠るはずであった場所。彼の人にはその権利があり、その栄誉に浴するに値する人物であった。

 嗚呼。

 葬列は無情にも軍人墓地を通過する。

 国軍なき連邦共和国においては、新たにこの墓地に埋葬される者はいない。故人もまた、その名誉を自ら抛棄し、国家と国軍の生贄となることを望んだ。

 何故そんなことができるのか。いかなる意思がそれを可能にするのか。否定され、名誉を剝奪され、売国奴、卑劣漢と罵られてもなお挺身し得る魂の有り様は、誰にも理解できまい。

 ただ一人を除いて。

 葬列の彼らも、真実理解しているとは言い難い。だからこそ、故人が望まないと分かっていても、墓を掘り返すことを止められなかった。

 葬列は粛々と進み、緑豊かな霊園に入る。かつては貴族向けだったという霊園は、今も埋葬者に〝フォン〟の称号を要求する。ここが、手配できる中で、一番静かな場所だった。

 馬鹿なことを、と𠮟る声が聞こえた気がしたが、男たちは口を噤んだまま、その場所まで辿り着いた。

 周囲の綺羅びやかな墓群に比べて見劣りはしたが、それは故人の趣味に合わせて質素を選んだ故でもある。階級も、業績も、送辞もなく、名前と生没年しか刻まれていない素っ気なさは、故人の為人ひととなりを何一つ表さない。

 だがそれで良い。想い出は、必要ない。

 予め用意された墓穴に棺を降ろし、男たちは再びシャベルをその手に構える。

 牧師もなく、祈言いのりごともなく、ただ、誓いの言葉だけがあった。

「ライヒに、黄金の時代を」

 銀縁眼鏡の男が、最初の土を投じた。

「ライヒに黄金の時代を」

 次の男がシャベルを振るう。

「ライヒに黄金の時代を」

 また次の男が、そしてまた次の男が。

「ライヒに黄金の時代を」

 全員が誓いの数だけ土を掬い、土を掬った数だけ誓いを立てた。

 いつしか誓いは棺を覆塞し、作業を終えた男たちは揃って歌い出す。


未来を目指して、

汝に最善を尽くそう。

ライヒよ、統一された我らが祖国よ。

我らは一致協力して

過去の苦難を乗り越えてみせる。

必ずや我らは成功するのだから。

暁には、太陽がまたとなく燦らかに

ライヒを照らし出すことだろう。

取り戻そう、我らがライヒに

黄金の時代を!


 唱和の時が過ぎて。

「諸君。改めて言うまでもないが、まだ何も終わっていない」

 死者を想う時間は終わりだ。生者には、まだ責務が残っている。

「これからが、始まりだ」

 頷く面々に決意の光がある。

「新生連邦共和国軍の未来は、一重に我々にかかっている」

 主権回復と同時に認められる、連邦共和国再軍備。正確には軍備ではなかろうが、通称として再軍備と吹聴されていた。

 だがそれが誤りであることを、この男たちこそは知悉していた。

 再軍備計画が秘密裏に立ち上がったころから計画に関与し、ライン近くの修道院に集まって新たなる国軍のあり方を討議し、報告にまとめ、同盟各国に手回しをした。

 時間はかかったが、それは思考検討の時間を与えてくれた。合州国からやってくる研究成果もまた、積極的に取り入れられた。

 過去の反省。帝国軍の蹉跌。制度上の欠陥と、あまりにも軍事に偏重した思考様態。全てが見直しの対象となり、検討が加えられた。

 新生連邦共和国軍は、帝国軍とは似て非なるものとなる。

 軍政と軍令の明確な分離。軍事行政への文民の参加と、高等文官学校への軍政課程の開設。陸海空軍を統合した士官学校と国防省。

 全ては、過ちを繰り返さぬため。そして来るべき〝統一ライヒ〟のため。

 そのために、共和国の連中とも散々に取引したのだ。

 軍備再建を渋る連中を、最後は旧大陸西側を包含する巨大軍事同盟・条約機構への参加、最高指揮権の預託という形で認めさせた。そういう意味では、新生連邦共和国軍は〝国軍〟とは言えないのかもしれない。

 しかしそれでも、伸張する共産主義勢力への防波堤としての存在意義を彼らは確立せねばならない。その裏で、統一に備えるのだ。

 ここにいる面々は、既に新生連邦共和国軍への参加が決まっている。一部は、国防省となる予定の空白ブランク機関で準備作業に従事している。

 ここに居ない者の献身も忘れてはいけない。〝労務部隊〟と銘打たれ、同盟各国に提供されている元帝国軍人は万を超える。名目上、地雷・機雷・不発弾処理といった占領業務のため、とされている彼ら、特に合州国に提供されている人員は、機甲や潜水艦といった、一度失われれば再度獲得が難しい技能人材のプールとなっている。彼らは連邦共和国軍正式編成と同時に、所属を移籍する手筈だ。

 逸早く発足していた国境警備隊も忘れてはいけない。陸上と海上で、彼らは既に東から西への秘密裏の人材輸送などで、日々默々と活動している。

 そして何より、合州国に身を売って、合州国内部から連邦共和国を支えている〝〟の存在。

 〝再軍備〟はこれらの挺身の果てに摑んだ成果でもある。

 しかしそれすらも、まだ序盤戦なのだ。

 彼らの所定計画には、まだ半世紀の長さがある。

 誓いの果たされるその日まで、彼らに安息はない。

「ライヒに、黄金の時代を」

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