第十七篇 契約解除

 面会を求めてきた局長を迎えた長官は、恐らく伝えられるだろうと思っていた内容を伝えられ、つい葉巻を囓ってしまい、渋面を作るのを抑えることができなかった。

「しつこいな」

「本職としては、お伝えしないわけにはいきません」

 何を考えているのか分からない蝋人形のような面構えの局長を睨みつけるが、長官はおろか大統領にすら直言を辞さない硬骨漢として知られる名無しのジョン・ドゥ局長は、風にそよぐ柳のように受け流す。

「大体、教育訓練は順調に進んでいると言っていたのは連中ではないか」

「何度もお伝えしておりますように、それは当初プランに沿った計画での話です」

 作戦計画が変更された後、何度となく届けられた警告めいた上申を、全て、局長は長官に報告している。

「部隊の士気・練度は正規軍との直接交戦に耐えません。もし正規軍との交戦を想定するのであれば、装備、教育プランの変更を求めています」

 そしてそれは必然的に予算と時間を消費する。どちらも、金貨のように希少であり容易に吐き出せないものだ。

 普通の人間が言っているのであれば泣き言だと一蹴するのも可だろう。しかし、訴えているのが短期錬成のエキスパート、この道の第一人者、実績豊富なプロ中のプロとなると話は変わってくる。

 つまり、それはまだ実現していないだけの確定的事実ということだ。

 このまま〝作戦〟を実行すれば、提言通りの結末を迎えることになる。それは合州国にとって…いや、本作戦に関わる全関係者にとっての悲劇だ。

「わからんな」

 長官は葉巻を吹かして疑問を呈する。

「PB作戦は巧く行ったではないか。なぜこちらは巧くいかないと?」

「条件が違い過ぎます」

 この受け答えだけで、長官がレポートを精読していないことがわかり、局長は内心絶望する。

「あちらは正規軍や傭兵が主体でしたし、相手も軍を掌握できていませんでした。しかし今回は違います。今回の〝反革命軍〟は民兵同然、そして相手は軍を掌握しています」

 つまり、正面衝突は悪手。当初計画の潜入ゲリラ戦が採りうる最良の手段だ。それとてこちらからかなりの物的支援を必要とするだろう。

 局長が渡されたレポートは、かなり強く作戦失敗の可能性を示唆しており、〝職を賭してでも〟反対する意気込みだ。

「不正規戦ならば成功率は高いと?」

「少なくとも、正面決戦よりは高いと言っております」

 反革命軍の練度についてはギリギリ及第点に届かない、といったところらしいが、基準がいささかおかしい話だ。山に籠もっても数年くらいしか保たない、と言われた時には何を言っているのか分からなかった。どうも敵の基地を襲撃して継続的に武器弾薬を入手し、十年以上戦い続けられるようになって一人前だ、と考えているらしい。

 そんなゲリラ兵が一五〇〇人も野に放たれたら、革命政府もそれはそれは難儀することだろう。

 不正規戦という当初案が上層部の不人気をかこって計画を変更された理由の一つは、反革命軍が将来的に手のつけようのない軍事的地雷になることを前大統領一派が恐れたためだ。革命政府を倒したあとに、ゲリラ共をきちんと統率できるのか?と誰かが疑問を呈してしまったと聞くが、本当に厄介なことをしてくれたと思う。

大統領閣下ミスター・プレジデントには現在の計画案が提示されている。いまさら不正規戦に変更はできんよ。なにしろ閣下は堂々とした作戦がお好みだ」

 新進気鋭、若さと清新さを売りに大統領に駆け上った現大統領は、その人気と支持率の高さを高潔さで買っている。ゲリラを送り込んで攪乱するといった後ろ暗い作戦よりは、堂々と正面から乗り込む方を好むというのだ。

「大統領の好みの問題ではありません。合州国の裏庭が赤化するかどうかの瀬戸際なのですよ。必要なら私がレクチャーを致します。どうか作戦を当初案に戻すことをご検討ください」

「ふう……ドゥ局長。君の熱意は分かるがね、少々毒され過ぎじゃないかね」

 長官から胡乱気な眼差しを向けられ、さしものドゥ局長も少し鼻白んだ。

「君は奴の代弁者か何かか?」

「は?」

 局長は冗談を言われているのかと、長官の表情をまじまじと見つめたが、そこに冗句の成分を見出せずに困惑する。

「相手は所詮容共のゲリラが打ち立てた革命政府だぞ。こちらの分析では勝算は充分にあると出ている」

 革命政府の基盤は脆弱で、革命に反対する勢力は国内に多い、と分析されていた。必要なのは切っ掛けで、火さえ点ければあとは革命政府は炎上瓦解するというのが、中央情報局の分析官たちの結論だ。

 長官としては、外部の民間軍事企業の分析よりも、身内の分析の方を信頼している。

 だが局長は丁寧に反論した。

「ZASのレポートも充分に信用できます。むしろ不正規戦に関しては我々より見識は上です」

 何しろ大戦の悪魔、地獄の獄卒どもだ。くぐった修羅場の数が違う。安全な後方で椅子に座って情報を分析している連中とは皮膚感覚からして異なる。

 中央情報局の立案する作戦など、連中から見ればにも等しい。あそこで教育を受けたSAD特別活動部員がどんな怪物になって帰ってきているのか、現場を見ない長官は知らないのだろう。

 そんな連中が評価する敵? 甘く見るだなんてとんでもない。奴らが〝手強い〟と言った以上、本当に手強いに決まっている。

 だが、長官は不幸にも、連中と直接会ったこともなく、従って血液ブラッド風呂バスで歓迎された経験もなかった。

「敵を過大に評価するのが軍人の傾向だが、些か行き過ぎていると思うがね。それほどの難物かね、革命政府は?」

「〝彼女〟が言うには『我々が彼らを強大にしたのだ』ということですが」

「詭弁だな」

 すげなく言い切り、長官は紫煙を吐き出す。

「君の上申は記録しておく。忠告しておくが、大統領に直訴もやめておきたまえ。一局長が執務室に出入りするのを不快に思っている閣僚がいるらしい」

 万策尽きたことを察せずにはいられなかったが、それでも局長は悪足搔きをやめなかった。

「作戦案が戻せないのであれば、一つだけ約束して欲しいのです。部隊投入に際しては、充分な砲爆撃支援を行うと」

「ほう?」

 ようやく現行案に即した提案が出てきたことに、長官は興味を惹かれた。やはり連中、取引のために渋っていただけか、と。

「一応現行案でも空爆と艦砲射撃は予定に入っているが」

「規模が異なります。制空権を確立した上での戦略空軍による全面空爆と、上陸時の徹底的な艦砲射撃。この二つが、反革命軍を正面作戦に投入する際の条件として提示されました」

「馬鹿な!」

 長官は泡を食った。それはもはや限定的な作戦などではなく、全面戦争だ。外聞が悪いどころの騷ぎではない。島内にある合州国海軍の基地も無事では済むまい。

「なぜヤツはそんなことに拘る⁉」

「……『兵を慈しむ』」

「なに?」

「〝彼女〟に対する評価です。かの参謀本部の陸軍大学でそう評されたとか」

 長官も戦中を通じて情報部で活躍していた男だ。アレについての噂は聞き知っていたし、現職に就いてからは機密閲覧資格も得ている。だが、決定的にが足りていないと、局長は危惧する。

 ヤツは決して一匹狼ではない。自らの手足を育て、大戦を通じて最低の損耗率で最大の成果を上げ続けた〝群れのボス〟だ。悪魔は悪魔でも下級レッサー悪魔デーモンを率いる上位グレーター悪魔デーモンなのだ。

 奴の部下は、信じがたいことに、奴をして「お優しい方だ」とまで言ってのける。どうやら悪魔にも愛情はあるらしい。

 そしてゲリラ兵たちは既にその愛情を向けられる相手にまで育っているということだ。局長としては彼らを作戦の生贄に捧げた時に何が起こるのか、心配などという言葉では言い表せないほどの焦燥を感じる。

「馬鹿馬鹿しい! たかがゲリラ兵ではないか。しかも請負契約で教育を任せたに過ぎん! 反革命軍はZASの私兵ではないぞ!」

 尤もな話だが、だが最初の契約は長期の不正規戦に耐える兵の育成だったのだ。奴らとの契約を途中で違える危険性はそんなものではない。明日にもを紛失するかどうかの瀬戸際だ。

「ヤツは一体何を考えているのだ⁈」

「契約の遂行ではないかと」

 当初の契約通り、反革命軍を島内に秘密裏に潜入させ、長期に渡る反革命運動を支援する、という形に戻せば全ては解決するのだ。

 もう一押だ、と局長は粘る。

 しかし彼の努力は実らない。

 長官は決定する。

 この作戦の円滑な遂行にZASは障害であると。

 違約金を支払っての契約解除が選択され、その通知には当然のようにドゥ局長が派遣された。


 つい先年に反革命クーデターに成功した国に作られた、次なる反革命軍の教育訓練キャンプに到着したドゥ局長の顏色は、病的な程に真っ白だった。

 年々体調を悪化させているこの担当者に、いたわりの言葉がかけられるが、本人としては「誰のせいだと思っている」と言い返したいところだ。勿論、間違っても口にはしないが。

 近年、肉類だけではなく、刺激のあるスパイス類も受け付けなくなりつつある。

 渾身の意気を振り絞って、教育請負契約の解除を伝える。思い浮かぶのは、かつてアルゼルチナで遭遇した血液ブラッド風呂バスの情景。ここへ来るまで道すがら、見かけた教会では全て祈りを捧げてきた。その甲斐あってか、呆気ない程に契約解除は受け容れられた。

「本日までの日割りでの報酬に加えて、違約金まで支払われるというのであれば、否やはありません」

 成功報酬に比べれば些か額は下がるが、それでも相当な金額を用意したのだ。奴の歓心を金で買えるわけではないが、契約に厳格な姿勢はいくらでも見せておいて損はない。

 愚痴の一つも零すだろうか、とも思っていたが、直ぐ様側に控えていた秘書に命じて撤收を指示。部長以下の社員がまるで予定していたかのような手際の良さでテントを片付け始める。

 まったく、常在戦場極まりない。

「大変済まないことをした。私の力が足りないばかりに」

「いいえ、お気になさらず。大統領トップが変わったのです。方針の変更もあるでしょう」

 ただ、と訓練未了で放り出される形となり、呆然と立ち尽くす反革命軍を見やる。

「彼らの先行きが気がかりです」

「やはり、作戦成功の目は薄いかね?」

 確認するも、微かな首肯が返るのみ。既に彼女の中では失敗は既定路線なのだろう。

 わからない。なぜこれほどまでに確信を以って戦局を読み通せるのか。

 だがそれこそが、この小娘をしてラインの悪魔と呼ばせしめたもといなのだろう。剣林弾雨を潜り抜け、屍山血河の上に立ったことのある者にしか分かり得ない何かの存在を、局長は信じずにはいられない。

「君たちを直接投入したとしたら、どうなるかね?」

「無意味な質問です」

 迷いのない回答。

「奇襲は後詰めがいてこそ意味をなします。医者ドクターの首を刈っても、後が続かないのでは意味がありません」

 暗に、合州国の裏庭政策を批判。

 以前もレポートにあった。

 合州国は裏庭諸国をどうしたいのか、明確に方針を定めなければならない。裏庭諸国の〝民〟を味方につける政策が必要で、が求められるのだ、と。

 だが、それらのレポートが活かされた形跡はない。

 散々提出している提言が有効利用されない環境を、彼女はどう感じているのだろうか。

「上層部の無理解は、よくあることです。以前もそうでした」

 背筋が凍りついた。

 合州国がかつての帝国と同じ過ちを犯している?

 局長は知っている。処刑された彼女のかつての上司が、最初から奴の提案に乗っていれば、と何度か零していたということを。

 あの帝国の、あの恐るべき戦略家ですらだったのだ。

――合州国は帝国の轍を踏んでいるのか。

 それは恐るべき想像であり、絶対に避けるべき未来図だった。


 帰国した局長が果物企業の株式空売りに絡んでSEC証券取引委員会から散々に非公式の事情聴取を受け、各方面に手を回す中で、彼の不安はいや増してゆく。

 局長の胸中で、神をも恐れぬ計画の萌芽があったとすれば、この瞬間であったと、世界史を総覧する者がいればそう書き残したであろう。

 不幸にも、全ては記録されずに消え去る運命にあった。

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