第十八篇 封込政策

 それは私が国務省の外交官だった頃。

 在連邦合州国大使館に勤務していた私は、戦後処理のために帝国……元帝国だった地へと駆り出されていた。

 かつて留学生として歩いた麗しの街並みは灰燼に帰し、瓦礫の山となった帝都ベルンの姿に心痛める間もなく、連日連夜、合州国、連邦、連合王国、共和国、協商連合、イルドア…といった各勢力の間を飛び回っていた。なにしろ、私は関係各国のほぼ全ての言葉を理解することができたのだから、それはもう、便利使いされた。

 あまりにも急な終戦だったが故に、戦後計画など国務省にはなかったし、必要な数の通訳の手配など事前にされているはずもなかった。

 会議から会議、折衝から折衝へと引きずり回され、しかも国務省職員として意見を求められるわけでもなく、ただ通訳を求められる、大変苦痛な日々だった。

 専門官としての矜持が大変傷ついていた時分だったため、その話につい飛びついてしまったのだと、今でこそ反省することもできたが、当時の私は余りにも若かった。

「君を合州国きっての連邦通、スペシャリストと見込んで頼みたいことがある」

 同盟国軍総司令官のオフィスに呼び出され、こう切り出されたときに、やっと自分の専門を活かせる仕事が舞い込んだと、意気込んですらいた。

 司令官の側に立つ若い中尉が鞄の中から取り出した書類綴は、合州国の様式ではなかった。

「隣の部屋でこれを翻訳し、その内容について解説して欲しい。悪いが機密事項なので、一切の口外を禁じる」

 中尉に案内された小部屋にはタイプライタと辞書が用意されていて、念の入ったことに、中尉は終わりまで見張りをしてくれるらしい。

「知的生産作業にコーヒーくらいは出して欲しいものだ」

「申し訳ありません。機密保持が優先でして」

 通常、こういった司令部で拳銃を携帯するのは憲兵だけだろうが、その中尉はしっかりと腰に銃を下げていた。

 気分は良くなかったが、それでも好奇心が勝った。恐らく、正規ではないルートで入手した帝国か連邦の機密文書の翻訳だろうと当たりを付けて書類綴に目を落とす。

〝連邦対外行動の源泉〟

 そうライヒ語で銘打たれた題簽。著者名は、匿名

 ぺらりと一枚めくると、よくわからない献辞。

「『この論文を、一人の詩人に捧げようと思います』……?」

 いや、献辞などは本来的に私的なものだ。著者とその関係者にしかわからないことは珍しくない。

 意味不明な文章に頭を悩ませることは止め、すぐに本文に取り掛かる。

『我々が、現に見ているルーシー連邦権力に固有な政治的性格は、イデオロギーと環境とによって産みだされたものである。』

 その書き出しで始まる第一節は革命以後の連邦政府の思想的成り立ちを分析し、共産党の無謬性・唯一性こそがテーゼであると喝破する。

 第二節において連邦は資本主義を悪と定義し、根本的に相容れない内在的敵対関係にあることを示し、『連邦と資本主義国とみなされている国々とが共通の目的を持ち得るという想定を、決して心から信奉することがない』と融和や歩み寄りを一蹴する。連邦の膨張主義を阻止し得るのは、長期的で辛抱強い、しかも確固として注意深い封じ込めである、とする。

 第三節では、重工業に対しインフラストラクチャの貧弱さなど、連邦の経済がいびつな発展を遂げていることを指摘し、彼らはイデオロギーを輸出しようとするだろうが、それを実質的豊かさで裏打ちすることはできないだろう、と示す。

 第四節は結論として連邦は経済的には脆弱であり、長期に渡り帝国が経済的優勢を保ちつづけることで自己弱体化していくと語り、帝国の搖るぎない姿勢の堅持こそが鍵であると締めくくっていた。

 さほどの量のある文章ではなかったが、その文言は力強く、観察的事実に立脚している。連邦駐在の外交官としても、その連邦の権力構造に対する理解は的確という外はない。

 清書する間ももどかしく中尉を引き連れて司令官オフィスに戻った私は、開口一番、こう告げていた。

「この筆者を探し出して、是非国務省に招聘したい」

「……それ程かね」

 連日の激務で疲労困憊、といった風体を隠せない様子の司令官閣下は、翻訳を一瞥して目の間を揉みほぐす。

「ほぼ完璧な論考です。このまま我が国の対連邦政策に援用可能です」

 時間が惜しいであろう司令官に、論文の内容を雑駁に口頭で説明する。論考の主は連邦について相当詳しいと思われること。また政戦両面において高い見識を有していること。

「許されるならば、写しを国務長官から大統領に報告したいと思います。これは戦後世界秩序において我が国の採るべき道筋を示しています」

「許可できない」

 私の提言を司令官はそんな一言で断ち切り、僅かに付け足した。

「これは〝カンパニー〟の案件だ」

「〝カンパニー〟ですか」

 その時の私は、正直にも顏を歪めていたと思う。

 戦中に国内の情報機関を統合する形で発足した中央情報局は、その成り立ちの関係上、軍の情報機関としての性格が強かった。対外情報については外交を預かる国務省とて無関係ではいられないのだが、このような外交政策に関わる重要な情報であっても、国務省が爪弾きにされることは、戦中から度々あったからだ。

「国務省にも適切に情報提供をいただきたいものです。先程の論考などは……」

「機密情報だ」

「……どころは明らかにできない、と?」

「君に機密閲覧資格クリアランスを与える権限は、私にはない」

 司令官は旧大陸における合州国大統領の代理人とも言える立場だったが、それとて所詮は高位軍人に過ぎない。文民の人事には介入し得ない、というわけだ。

「それでは速やかにこの文書を大統領に提出していただきたい。国務省を交えた検討を行う必要があります」

 司令官の顏に浮かぶ苦悶の色に、私は気づきもせずに、言い募ったものだった。

「この論考は、!」

 私は、若かったのだ。


 あれから長い年月が過ぎた。

 私は戦後暫くして外交の一線から身を退き、ニュージャージーにある高等研究所で外交政策研究の道に入り、それなりの名声を得るに至った。どうやら自分は、外交の現場よりも研究の方に適性があったらしい。

 国務省からのお声掛りこそなくなったものの、今でも執筆や講演会、セミナーや議員へのレクチャーなどといった形で、間接的ながら合州国外交に寄与していると自負している。

 その依頼も、だから特段の注意を払っていたわけでもなかった。

 政府関係者への個人的なレクチャーは与野党問わず受けていたし、時には〝私的な立場で歓談〟することも珍しくなかったからだ。

 ただ、街角で待ち合わせてドライブ、という形式は大変珍しかった。

 しかもリムジンではなく、私服の本人がハンドルを握る自家用車という辺りで、多少ならず緊張を余儀なくされた。

「いつも自分で運転を?」

 私より一五歳ほど若い依頼人に雑談を振ってみると、意外にも快活な答え。

「まだ飛行機も飛ばしていますよ。オフィスの椅子を磨くのは性に合わないもので」

「それは大したものだ。失礼、将官になったらもう飛ばないものだと思っていました」

 先年、将官に昇進したこの依頼人について、最低限のことは調べている。統合参謀本部本流を歩く参謀畑の経歴だったので、てっきり既に操縦士資格ウィングマークを返上しているものと思っていた。想像していた人物像を修正する。

 この若手将官は統合参謀本部の空軍スタッフとしての経歴が長く、それはつまりこの国の軍事作戦に長く関わってきた人物だ。私のような外交の非主流派の、学究の徒の意見を聞きに来るのは珍しいことだった。

 政治的に少々問題もある。

 だからこそ、休暇の日に私服で〝歓談〟を申し込まれたのだろう。

 車は街を抜けて郊外へ向かい、森へ入って静かな湖畔のキャンプ場へ向かった。

「シーズン中は釣り客もいるのですが、この季節なら風景を独占できますから、教授とのお話にはうってつけです」

 車を停めて男二人で湖畔の散歩と洒落込む。周囲数マイルに人影はなく、天気も良かったので水面がきらめいて素晴らしいシチュエーションだった。次は夏に来るべきだ、とは思ったが。

「それで、なにをお話しましょう」

「教授を国内切っての〝封じ込め政策〟の専門家としてお伺いしたい」

 気楽な雑談を装いながらも、将軍の問いは重たいものだった。

「インデンシナへの軍事介入は、やはり泥沼ですか?」

 私は無言で首肯してから、言葉を探した。

「封じ込めは何も軍事力でのみ行う必要はない、というのが私の考えです」

 軍事力の行使を専門とする人間に、そのことを説明するのは、多少気が引けるところがないでもない。彼らはそれの専門家であり、信奉者でもあるのだ。

「インデンシナ半島の問題は、単なる軍事力で解決できる性格のものではありません」

「しかしあそこで食い止めなければ、東アジア一体が赤化するという意見は根強い。まさに、あなたの発表したX論文を根拠にして」

「あの論文はいろいろ誤解されている」

 思わず溜息が漏れる。

 良かれと思ってやったことが思い通りに行かないことなど、人生には往々にしてあるものだが、あれは特に悔やまれるものの一つだ。

「軍事力が不要とは言わない。だが、軍事力に頼れば、我々は無限に兵力を投入しなければならなくなる。豊かさと発展でもって彼らを包囲するのが効果的なのだ」

 以前、モスコーで開催に漕ぎ着けた合州国産業博覧会、あれこそが封じ込め政策における理想的な攻勢だった。我が国が偉大な国であり続け、さらに発展を続け、同盟諸国をその余録にあずからせることこそが、決定的な包囲網を確立たらしめるのだ。

「それに、あれは私の頭から出たものではない」

 世間一般には誤解されているし、私自身肯定も否定もしないが、実際は違う。まだ戦争の熱が冷めやらぬベルンで、私が目にしたものだ。

 将軍は一つ大きくうなずいて、思いもよらぬことを言った。

「覚えています。教授が一心不乱にタイプライタを叩いている背中を、私はずっと後ろで見ていました」

 驚いて思わず足を止め、将軍の顏をまじまじと観察する。

「……もしかして、お忘れだったのでしょうか。いや、仕方ないことです。当時は私は一介の中尉でしたから、国務省で敏腕を奮っておられた教授の目には止まらなかったのでしょう」

 その言葉で、ようやく該当者を記憶の中から拾い上げることに成功した。

「あ、あの時の監視役の……?」

「教授を監視していたのではありません」

 歩みを再開しながら、将軍はポツリと白状した。

「論文を監視していたのです」

「あれは、それ程までに――」

 当時の自分が後の大統領に対し、極めて危ない橋を渡っていたのだと、この歳になって思い知らされるとは。

「なんと言ってよいか、今の私にもわからないのです」

 その様子から、将官となった現在でもなおその機密に触れる権限を持ちえないことが察せられた。

 将官にすら開示されない機密!

「ライヒ系移民の子であった私は、たまたま言葉の問題であれを預かったに過ぎないのです。私もあれの本当の出処は知りません」

 私の脳裏に閃くものがあった。あれだけの知性、あれだけの知見を兼ね揃えたあの時代の人物。

「もしや、あれは帝国の、あの戦略家が――」

「いいえ」

 将軍は首を振って否定した。

「あの方自身の手になるものではないと、否定しておいででした」

 言葉の端々から、将軍が彼の人物に深い敬意を抱いていることが伺い知れた。

「むしろ、有効活用できなかった、と悔やんでおいででした」

 それ故に合州国に託されたのだ、と将軍は言う。

「託された……?」

「当時は私にも分からなかったのです。閣下は『祖国を〝軍〟で守らねばと履き違えたのだ』と悔やんでおられました」

 驚きの余り、息が詰まる。

「信じ難い……! あれ程の知性が、あれ程の傑物が、あの論文を読んでいながら、あの大戦に陥いるのを防げなかったというのか……!」

「我が国も帝国を笑えますまい」

 将軍の頰を震わせるのは、自嘲の笑み。

「教授が身を賭して公表したX論文も、この有様です」

 あの論文が厳重に秘匿され続けたことに疑問を感じた私は、禁を犯し、プライバシーに関わりそうな巻頭の献辞を削って外交雑誌に投稿した。処罰こそ受けなかったが、漏洩元と看做され国務省から干されることになったのは、自業自得というものだ。

 しかし論考の影響は多方面に及んだ。戦後の世界秩序に、大きな影響を与えたと言って過言ではない。

 しかし一方で〝封じ込め政策〟は一人歩きを始め、特に軍事関係者からは〝封じ込め政策〟と理解され、それが通説となってしまった。ドミノ理論も同様だ。

 私は丁寧に、かの論文を解説し、そして現在の状況に当て嵌めた解釈を解説した。

 この国に蔓延はびこっているのは、共産主義への余りにも一面的で、非寛容な対決姿勢だ。

 真実、資本主義経済体制に反対する共産主義者、イデオロギーの使徒は実在する。だが、大多数は現体制への不満を社会主義に仮託している単なるファッション社会主義者だ。ルーシー連邦の真の姿には興味もないし、今抱いている不満が解消されれば若気の至りだったと笑って善良な市民に戻っていく。

 これは国でも同じことだ。

 抑圧され、奪われているからこそ反発し、彼らを支援してくれるのが連邦だから共産主義者の皮を被っているだけだ。彼らの真なる願いを理解し、取り込んでいくことが、軍事力を行使する前に必要なことなのだと力説した。

 しかるに合州国は余りにも狭量で、〝容共ではない〟あるいは〝反共である〟という一事で、あらゆる不正義を看過し、正当化している。

 共産主義者の皮を被った愛国者を敵に回せば、どれだけ軍事力を注ぎ込もうと、彼らは決して屈すまい。

 それは我が国の建国の過程を見れば明らかではないか。

 湖畔を一周し、車のもとに戻ってきたとき、将軍はなにか晴れやかな顏つきで、車の鍵を取り出していた。

「今日はができて大変有意義でした」

、私も嬉しく思います」

 数十年の時を経て再会した私達は、固く握手を交わす。私達は旧知の間柄であるから、またをする機会を設けることもあることだろう。

「『戦争そのものを回避すべきだった』。あの方の言葉の重さが、今は身に沁みます」

「私も微力ながら、お手伝いしましょう」

 とは言え、国務省からは完全に干されている身の上だ。あまり役立つ機会はないかも知れない。


 高等研究所近くの路上で停めてもらった車から降りようとドアノブに手をかけた時に、将軍はこっそりと教えてくれた。

「軍は今、危機的な状況です」

 インデンシナの現場からの情報がサイゴンの軍事顧問団司令部で握り潰され、国防総省や大統領周辺へ届いていないのだと言う。あらゆる統計情報は捏造され、都合の良い情報だけが判断権者に与えられる。

 そして作られた虚構の中で軍から提示される選択肢を、文民たちは否応なく選ばされる。

 もちろん、異を唱える有志の人物は存在するが、彼らはすぐに〝容共的〟と名指しされてアカ狩りの目標にされ、または積極敢闘精神に欠ける〝ハト派〟とされ出世の道を絶たれた。

「今や国防総省やその上部で正確な現場の情報を得ることは大変困難になっています」

 にわかには信じ難い事態だった。

 そのような状況で、政権がどうして正しい判断が下せるというのか。

 いかに望みうる最高のスタッフを大統領が擁していたとしても、それでは暗闇をヘッドランプもなく走らせるのにも等しい。事故が起きなければ奇跡だ。

「しかし将軍、あなたはその事実を把握している。どうやって?」

「……」

 しばし沈默した後、将軍はポケットから一枚の名刺を取り出した。

「……教授は、ZAS、という会社をご存知ですか?」

 記憶を検索するが、思い当たる節がないことを正直に伝えると、将軍はぽつぽつ、と言葉を選ぶ。

空軍ウチの若い奴が作った中央情報局のカバーカンパニーですが……どうにも、一筋縄では行かない連中が揃っているようで、手綱の取りづらい暴れ馬だと、専らの噂です」

 軍や中央情報局、連邦捜査局が報道各社にすら圧力をかける中、我関せずとばかりに現地に社員を送り込んで、どうやら時に敵側に潜入までして詳細なレポートを上げてくる、骨のある会社なのだとか。

「私も知ったのは最近なのですが、あの会社のレポートは、恐るべきものです」

「興味深い。ぜひ拝読したいものだが……」

 恐らく、機密指定がなされているのだろう。もし一般に公表されていれば、私が気づかない筈がない。

「私の一筆を入れておきました。もしかしたら便宜を図ってもらえるかも知れません」

 万年筆で将軍のサインが書き入れられた名刺には、〝ザラマンダー・エアー・サービスCEO ターシャ・ティクレティウス〟とあった。所在地はアリゾナ州マラナ。大陸のほぼ対角線上だ。

 女性士官はまだ珍しいだけに、出世を嫌われて放逐されたのだろうか。

「彼女らのような気骨ある若者が軍に居続けられなかったことが残念でならない」

 軍内での勢力争いで相当苦労しているのだろう。ハト派人材は次々と更迭されていると、将軍は先に言っていた。今日のこの会談が私的な形を取っていることからも、将軍も介入反対派として難しい舵取りを迫られているのは明らかだ。

 合州国の未来のために孤軍奮闘する愛国者の姿が、そこにはあった。

「今の私には、あの方の気持ちが痛いほどよく分かる。いや、私がこの立場にあるのもまた、巡り合わせ、主の思し召しなのだろう」

 帝国が幾千万の命を積み上げて得た教訓を、この国で活かさねばならない。あの廃墟を思い出し、この国が、この豊かな母国ホームランドが荒野と化す様を想起して、私は身震いした。

「私も微力を尽くしましょう」

 まずはこのZASなる会社にコンタクトを取るのだ。そして、事実を知らねばならない。

「教授にそう言っていただけると心強い」

 余程味方に飢えているのか、握った手は力強かった。


 しかし私達の努力は実を結ばず、後年、将軍自身がインデンシナに派遣されることとなるとは、歴史の皮肉というものだった。

 全てを理解したのは、あの謎の献辞の意味を知った後、全てが手遅れになった、ずっとのちのことだった。

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