第十四篇 遊覧飛行

「――空港の旅客カウンター列の端に、日頃閉鎖されているカウンターがあるのを知っているか?」

 酒場でそんな話を聞いたのは、数ヶ月前の話だった。

 まあ、ある種の都市伝説だった。

 国内でも比較的初期に開港した民間空港であり、幾つものエアラインが乗り入れている空港だけに、予備の臨時カウンターだって必要だろう。

 だが、そうではないのだという。

 そのカウンターはちゃんとある会社に割り当てられており、不定期にオープンしては客を乗せているのだという。

 つまり、定期便ではなくチャーター便ということか。しかし、小規模な会社であればこのような商業空港ではなく、もっと小さな飛行場に事務所を構えた方が良いように思われた。第一、カウンターの賃料が勿体ない。

「それが謎なのさ」

 酔った男はそう言って声を潜める。

「よほど金回りの良い連中を相手に商売でもしてるのかと思えばそうでもないらしいんだよな。たまに営業してる時に来る客も、なんだか……妙な雰囲気の連中ばかりだしな」

 航空旅客輸送はまだ立ち上がったばかりの新業界ではあったが、それでも、以前は鉄道に乗って何日もかかった東西両岸の移動が一日で済むなど、その速度はビジネスにとって不可欠なものになりつつある。

 今は殆どが社用、公用の移動に用いられるばかりだが、金持ちを中心に旅行で使われることも増えている。いずれ、一般市民も空の旅を楽しむようになるだろう、と週刊新聞誌も予想していた。

 かの空港はそんな次の時代を見据えて自治体が肝煎りで作った空港。その片隅に、正体不明の航空会社がある。定期便を運行しないので空港の時刻表にも名前はなく、普段カウンターに看板も掲げていない。まるで予備スペースのように装いながら、時折開店すれば他の会社とは毛色の違った客が来る。

「ふうん。奇妙な話もあったもんだな」

 空港で電気点検技師として働いているというその男は、聞いたことのない航空会社の略号を憶えていた。

「〝ZAS〟。確かそんな略号だった」

「聞いた憶えのない符号だな……」

 航空会社などそう多くはない。有名所ならピンときそうなものだが。

 まあ良い。

 地元誌の記者として、特ダネが眠っている臭いがしたのだ。


 勢い込んで調べ始めたものの、問題の会社の名前は拍子抜けするくらい簡単に判明した。ごく普通に登記された私企業で、正式名称はザラマンダー・エアー・サービス。略してZAS。業務は航空旅客・貨物輸送。本社の所在地はお隣のカウンティ。この街からは北西へ四〇マイルばかり。確か、元陸軍の飛行場があったところだ。電話帳には電話番号すら載っていた。

 この時点で当初の興味は薄れ、特ダネの予感も単なる気のせいか、と空気の抜けた風船のように期待もしぼんでしまっていたのだが、最後に電話をかけたところで再び記者魂に触れるものがあった。

『申し訳ございません。当社は一般の取材はお受けしておりません』

 言葉遣いこそ丁寧だったが、けんもほろろのゼロ回答。なんとか粘ってみたのだが、返答が変わることはなかった。

 何度目かの電話がすげなく切られたあと、近くにいた同僚に尋ねてみた。

「なあ、〝一般じゃない取材〟ってのはどういう取材だろうな?」

「なんだそりゃ」

 手早く〝謎の航空会社〟の話をしてやると、同僚は渋面を作って首を振った。

「お前、そりゃ〝国防関連企業〟ってやつだろう」

 大戦に記者として従軍していたという年上の同僚は、そっちの方面に詳しいようだった。

「軍の中にも新聞やラジオ局があるのは知ってるか? そういうところの取材なら受けるんだろう、きっと。うちの州にも在郷軍人会の機関紙とかあるだろ」

「いや、初耳だ」

「そうか。まあ、一般販売してるわけじゃないからな」

 つまり、そういう軍関連メディアを装えば取材ができるかも知れないのか。考えこんでいたら、同僚に忠告された。

「やめておけ。砂漠の中の飛行場って言えば、元陸軍航空隊の払い下げ飛行場だろ。確か今はボーン・ヤードになってるって聞いた憶えがある」

「ボーン・ヤード?」

「あれだ。廃車置き場の飛行機版だ」

 寿命が尽きたり、整備費用が機体価格を上回るといった事情で登録抹消された飛行機が仮置きされているのだという。別名、〝飛行機墓場〟。多くの飛行機が、新たな買い手が付いて貰われて行ったり、別の飛行機の部品取りになったりするのを待っている。

「そんな所に本社があるんだ。明らかに国防関連企業、ぶっちゃけりゃ天下り先だろうさ」

 諫めようとする同僚には悪いが、余計に興味が湧く話だった。

「一回アポ無しで訪問してみるよ。手応えを見てやり方を考えてみるさ」

「忠告はしたぞ」

「特ダネを拾ったら、独り占めだな」

 取材用のカメラの貸出申請書を書き始めたこちらに向かって、同僚は肩を竦めてみせた。


 突然強力なライトに照らされて、両手で光を遮る。ガチャン、と扉が開かれる音。コツコツ、と複数の足音。

 ゴツン、と再び扉が閉まる音がして、名前を呼ばれた。

「さて記者さん、我が社に一体どのようなご用件かな」

 眩しさに目をすがめながら必死に様子を窺えば、三人分の足が見えた。

 勇気を振り絞って非難の声を上げる。

「一体なんのつもりだ⁉ これは拉致監禁だぞ⁉」

 謎の会社に辿り着いたものの、入り口の守衛にすげなく行く手を遮られ、やむなく空港の周囲を回ってフェンスの切れ目を探して入り込んだところ、数分のうちに駆けつけた社員に取り押さえられ、このコンクリート打ちっぱなしの部屋に放り込まれた。

 何の目的の部屋なのか、窓はなく扉は頑丈な鋼鉄製。調度も何もなく、ただ部屋の隅に便器があるだけという〝独房〟を絵に描いたような部屋だった。

「おや、お気に召さなかったかね。ここは〝特別応接室〟といって特に重要な来訪者のための部屋なのだが」

「部長、少し素直になるよう教育しましょう。こいつ共産主義者コミーの手先ですよ、きっと」

 向かって左の若い男が、中央の壮年の男性に提案するが、部長と呼ばれた男は首を振った。

「身分証の裏は取れています。本物の記者ですよ」

 向かって右の女性がクリップボードを若者に渡すも、一瞥して吐き捨てる。

「だから、記者コミーだろ?」

「おいおい。思い込みはいかんな、課長。報道記者だからといって共産主義者コミーだとは限らないだろう」

「社長不在のタイミングで敷地内に忍び込もうとしたんですよ?」

 課長と呼ばれた若い男は、明らかにこちらを敵視していた。まだ話の分かりそうな部長に必死に訴える。

「自分は地元タウン誌の記者で、別に共産主義運動とは関係ない。単にここに珍しい会社があると聞いて取材を申し込みに来ただけだ!」

「何度か電話で申し込みがあったんですが、全部お断りしました」

 秘書らしき女性が補足してくれて部長が頷く。

「申し訳ないが、当社は一般の取材はお断りしているのだ」

「取材なんて口実に決まってます。密偵スパイですよ」

「何を見られたか、心配ですね」

「埋めましょう」

 三人の醸し出す雰囲気に押されながらも、必死に言葉を紡ぐ。

「この会社に向かうことは同僚が知っている。行方不明になれば警察が動くぞ」

「警察か……面倒ではあるな」

 部長が顎を撫でるが、課長は鼻を鳴らす。

「自分の部門カンパニーで対処可能です」

「おいおい課長。それは些か文明的ではないぞ」

 部長が苦笑いし、秘書が「野蛮ねぇ」と溜め息を付いたが、誰も否定していないあたりが恐ろしい。

ですか?」

「そうだ。社長も常々仰っておられるだろう? 我々は文明的な企業人たらねばならん」

 彼らの考える「文明的」とやらがコンクリート製の小部屋に一介の記者を閉じ込めることなのかは、問わない方が良さそうだった。それに、答えは直ぐに与えられた。

「では速やかに文明的に対処します」

「一応確認するが、どうするつもりだね?」

「はッ。証拠が一切なければ警察も身動きが取れないかと」

「なるほど、文明的だな」

 何を言っているんだ。

「ついでに、社長にも報告せずに済ませられます」

「それは大変魅力的だ」

 部長が大きく賛意を示す。

「いけませんよ。社長にはちゃんと報告しますからね」

「待ってくれよ。社員の平穏のためにはなかったことにするのが一番だって」

「でも、警備体制の見直しは必要でしょ?」

「それは社長に内密でやろう。そうしよう」

「まあ、入り込まれてしまった以上は、社長のお耳に入れないわけにはいかないな」

 なんてこった、と課長がぼやく。

「不法侵入で警察に通報するのが法的対応になりますが?」

 秘書が指摘してくれた。そうだ、ここで拉致監禁されるくらいなら、警察の留置場の方が、弁護士を呼べるだけまだしもマシだろう。

「地方警察の介入は望ましくないな。FBI連邦捜査局は呼べないか」

「管轄違いかと」

「面倒だな」

 なんで連邦レベルの捜査機関を呼ぶ話をしてやがるのか。やはり連邦政府との繫がりが何かあるのか。

「やはり行方不明になって貰うのが順当か……」

「待て! あんたらはいつもこんなことをやってるのか⁉」

「ん? 侵入者に対する対処としては穏当な方だが」

「違う! 取材申込みに対して、だ!」

「先程も言ったと思うが、当社は一般の取材はお断りなんだ」

「じゃあその、〝一般じゃない取材〟ってやつをさせてくれ!」

「ああん?」

「何か、取材を受ける方法があるんだろう?」

 男二人の視線を向けられて、秘書が小首をかしげる。

「確かに何件か取材を受けたことがありますけど」

「じゃあ、それだ! それに申込みたい!」

「はあ。ちょっと大変ですよ?」

 守秘義務があり、記事掲載前に事前の校閲を受ける必要がある、と言われたが、命あっての物種だ。

 一も二もなく書類にサインする以外、道はなかった。


 数時間後、生まれて初めての空の旅は、思っていたより快適とは言い難かった。

「どうかね、初めて乗る飛行機の感想は?」

 にこやかな顏の部長の尋ねる声が、騷音に負けない大声というあたりで察してほしい。

「こんなやかましくて搖れる乗り物だとは思ってなかったよ!」

「ああ、そうだろうね。最新の旅客機はともかく、輸送機なんてこんなものだよ」

 路線バスよりも一回り以上小さい機内は金属板やワイヤー類が剝き出しで、成人男性が立って歩くのも辛いくらいだ。座席は壁に沿ってこれまた折り畳み式の簡易座席。乗り心地はまあ、うねる坂道を高速で駆け下りるトラックとなら十分勝負になるだろう。

「こんなんで、商売になるんですか⁉」

 轟々と響くエンジン音や風切り音に負けずに会話するには、相手の側で大声で叫ぶしかない。

「ははは。我々の相手は一般の旅客じゃないからね」

 慣れているのだろう、部長の声はこの機内でよく通る。

 一般じゃない、という意味を考える。こんな飛行機に乗せられて文句も言わない〝客〟の存在が理解できない。

「さあ、立ち給え。そろそろ降りる準備だ」

「は?」

 まだ空の上じゃないか、と言い返そうとしたが、その前に両脇を屈強な男たちに抱えられて無理やり立たせられる。

 一抱えもある大きなリュックサックを持った課長がニヤニヤ笑いながら後ろに回り込み、股の下を回されたベルトを慣れた手付きで部長が締めていく。続いて腰、胸がベルトが緊縛されていく。

「あ、あ~、記憶違いじゃなかったら、これは落下傘パラシュートってやつじゃ……」

「流石に知っていたか」

「説明が省けましたね」

 気がつくと同乗していた男たちも同じようにパラシュートを背負っている。みんな朗らかな笑顏だが、なんというか、野獣の笑み、という奴だった。

「良かったな。民間人で落下傘降下の体験ができる機会はまだ殆どないらしいぞ」

FAA連邦航空局の認可がまだですからな」

「きっと良い記事が書ける。保証付きだ」

 ゲラゲラと男たちが笑うが、冗談じゃない。

「FAAの認可って……」

「ああ、心配いらない。当社はちゃんと許可を得ている」

「いやしかし……」

「七日間の体験入社の間は、君も当社の社員と同様のをして貰う」

 いかん、これはヤバいやつだ……。

 後悔しても、もう遅い。

「あの、安全性とかは大丈夫なんですか?」

「心配いらないとも」

 部長は重々しく請け負ってくれた。

「創業以来、パラシュート事故で怪我をした社員は皆無だ」

「それじゃ部長、お先に!」

 パラシュートを背負っていない生身のままの課長が、後部にあるドアを開けて、そのまま、飛び出していった。

 啞然、呆然。

「こら課長! 落下傘を忘れてるぞ!」

「人が落ちた! 死んだ!」

「君も人聞きの悪いことを言わないでくれ給え。まったく……」

「すいません、忘れてました」

「うわあっ!」

 落ちていった筈の課長がひょっこりと扉から戻ってきて、もう訳がわからない。

「でも部長、良く考えたら自分の落下傘はその記者さんが使ってるんですよ」

「そうか。次回からはちゃんと余分を用意しとけ」

「了解です」

 そう言って軽く敬礼、課長は再び空に飛び出していく。

 再び男たちに両腕を摑まれて、抵抗虚しく扉まで引きずられていく。

「ま、待って…」

「待っても良いが、いつまで待てば良いかね?」

「普通に着陸するまで――」

「待てんね」

 力一杯に蹴飛ばされ、空に放り出される。一瞬の浮遊感。重力を失い、地球との繫がりを絶たれた絶望感。

――落ちる!

「ああああああああ‼」

 死ぬ。ここで死ぬんだ。

 思い出が次々と脳裏を駆け巡った次の瞬間、ガツン、という衝撃とともに展開した落下傘が体を引っ張り上げ、ベルトが体に食い込む。それでももの凄い速度で落下しながらぐわんぐわんと回る視界の中で、空と大地の境目が丸みを帯びているのが目に止まった。

……ああ、地球は丸いんだな。


 大空と地球を体感できるスカイダイビング体験記が地元誌に掲載されるのは、約一月後のことであった。

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