第十三篇 助言業務
彼女に出会ったのは、
空軍士官学校の制服に身を包んだ彼女は、委員でも
先の大戦で決定的な役割を果たした新型爆弾。その原理を平和利用する目的で作られた委員会に軍人が参加していたのは、〝平和利用〟という用語が当時〝爆弾以外の使い道〟を意味していたからに他ならない。
とは言え、最先端の物理学の結晶だ。陸海空軍から出された委員は将校というよりは技術士官に近い者が多く、かくいう私も水上勤務よりも陸上勤務の方が長い
そんな中、独立間もない空軍から、しかも士官候補生が委員会を傍聴しているのだから、大変目立っていた。
最初は空軍の委員の関係者か何かかと思っていたのだが、会議の終了後に空軍の委員と合流するでもなく、一人てきぱきとメモを整理している姿を見て興味が沸いたのだ。
下心がなかったといえば噓になる。この委員会を傍聴しているくらいだから原子力に興味があるのだろう。何かしら取引を持ちかければ、空軍の内情が知れるかもしれない、と。
誓って言うが、いわゆる
そうだ。彼女は英才であった。
「君も原子力で飛行機を飛ばそうと考えているクチかね?」
半ば揶揄を込めて投げかけた彼女に対する最初の質問の答えは凄まじかった。
「原子力航空機など不可能です」
思わず理由を問うてしまったが、その答えも明快だった。
「航空機は出力重量比、出力体積比の要求が厳しいからです。原子炉は空を飛ばすには大き過ぎます」
それでは何故貴官はこの委員会を傍聴していたのか。そんな疑問を呈してしまうのは自然の成り行きだった。
「核兵器を運用する以上、空軍と原子力とは不可分です。技術的動向、社会的動向を把握することは不可欠だと考えます」
集まった委員たちが、この無限の可能性を秘めた新技術をどうやって自家薬籠中の物にせんかと政争に励んでいる傍らで、彼女の視線は既にその先ににあったのだ。驚くべき先見性、呆れるべき進歩性だった。
誤解を恐れぬ言い方をすれば、私は惚れたのだ。彼女の才能に。
残念なことに私は海軍、彼女は空軍。軍種の壁が立ちはだかり、普通に会うことは難しかった。一度は空軍に直接掛けあってみたりもしたのだが、警戒されただけで終わってしまった。なので、会話は委員会の前と後の僅かな時間だけ。それだけでも、
「とすると、やはり船舶の動力源として原子力は魅力的かね」
「はい。特に通常の熱機関と違い、酸素を必要としないことは大きなアドバンテージ足り得ます」
まだ実用原子炉の試験モデルが稼働してない頃に、彼女は既に原子力機関の最大のメリットを喝破していた。海軍の関係者ですら、「燃料補給の要らない機関」くらいの理解だった頃に、だ。
「そうだな。煙突は常に防禦上の懸案だ」
攻撃を受けることを所与の前提とする戦闘艦において、通風路・煙路は装甲を取り付けるのもままならない、頭痛の種であった。だが、彼女の発想はさらに上を行った。
「それもありますが、何より潜水艦でしょう」
衝撃だった。
先の大戦で実戦投入され、様々な戦果と課題とを海軍に
「そうか……空気の要らない動力源があれば、何も浮上して充電する必要も、シュノーケルを備える必要もない」
額を押さえて、高速回転する思考をなんとかまとめようとする。
「水を電気分解すれば酸素を得られます。原子力機関を搭載した潜水艦なら、常に新鮮な空気が手に入るでしょう」
その時彼女がどのような顏をしていたのか、私は受けた衝撃の大きさに、視認する余裕すらなかった。
「なんということだ。潜水艦の、海戦のパラダイムが変わるぞ……!」
初期の潜水艦を「可潜艦」などと言ったように、当時の潜水艦は「潜ることもできる艦」でしかなかった。だが、原子力機関を積んだ潜水艦は、いつまでも、乗員の食料が尽きるまで理論上潜り続けることができる……!
海軍省に戻り、早速部下に〝原子力潜水艦〟の検討を指示した時には、私は既にこのアイデアの虜になっていた。
海軍省内を駆けずり回り、造船局内に原子力機関の開発部局を設置するよう働きかけ、重電会社との共同開発プロジェクトを立ち上げた。無論、海軍内でも異論はあった。まだ発電用原子炉ですら完成していないのに、推進用の原子炉を作るなど無謀だという意見は、一定の説得力があった。だがそういった反論を一つ一つ説得し、合州国海軍が戦後世界で最先端の軍隊であり続けるために必要な投資であると説き伏せた。
そんなある日のこと、不意に中央情報局の訪問を受けた。
まるで陽を浴びることを拒む吸血鬼のように青白い顏をした男は、
「
本名を名乗る気もない男に振りまく愛想など持ちあわせていなかったので
「勿論、任務ですよ。なにしろ原子力技術は大変重要な機密だ。連邦のスパイがどれほど渇望しているかご存知ないとは思いませんが」
そのようなレポートは回ってきていたが、私は当然、部下も信頼できる者ばかりだ。水漏れが皆無とは思わないが、それが自分の身近で起こるとは考えていなかった。
だから、彼が放った言葉は慮外の事だった。
「空軍の士官候補生と、何やら親密なご様子」
「なんだと⁈」
とても聞き捨てられない侮辱だった。
「貴様、彼女を疑っているのか⁉」
「まさか、そのような」
名状しがたい複雑な表情を浮かべた局員は、そう言いながらも意見を翻す様子はなかった。まるで彼女が危険人物だとでも言わんばかり。
「貴様、彼女の知性を知らんのか⁉ あれは十年、いや、百年に一人の逸材だぞ!」
「それ故に、彼女は大変
その微妙な言い回しから、オークリッジの科学者と同じか、あるいはそれ以上の存在としてカンパニーの監視対象となっているのだと、察せられた。
「お分かりでしょう? あまり近づき過ぎないよう、ご忠告申し上げます」
「だったら、空軍などに置かずに、オークリッジかロースアラモーにでも閉じ込めておけば良い。そうすれば私も遠慮なく彼女に会いに行ける」
――ああ、それができればなんと楽なことか。
耳の良い私には、そう聞こえた。
「ともあれ、彼女との接触は慎重にお願いします。彼女の知性にばかり目を奪われていると、脇が疎かになりかねません」
なんともモヤモヤしたものを残して、彼は去っていった。
その後、彼女が士官学校を卒業すると、ただでさえ少なかった機会はさらに減り、彼女の業績を紙の上でのみ知ることが多くなっていった。
原子力潜水艦の一番艦の建造が始まった後に、久しぶりに彼女と顏を合わせる機会があった。国防総省に所要で赴いたという彼女が、海軍省内の私のオフィスに顏を出したのだ。
「ご無沙汰しております、大佐。それとも提督とお呼びした方が?」
「残念だがまだ昇進は発効していないのだよ。ああ、久し振りだな。活躍はジャーナルで毎号拝見しているよ」
議会公聴会も終えて昇進までは秒読み段階ではあったが、当時はまだ大佐だった。一方の彼女は、ほぼ最速で大尉に昇進していた。
「そうだ、丁度良い。ジミー、あれを一つ彼女に渡してくれ」
「は? 大佐、しかし……」
たまたまオフィスにいた原子力潜水艦プロジェクト担当の大尉は、空軍の制服を纏った彼女にやや面食らっていたようだが、重ねて促すと疑問を押し殺して平たい箱を一つ持ってきた。
「これは?」
「本当は進水式で参列者に配る予定のノベルティだがね」
開けてみたまえ、と言って箱を私から彼女に手渡す。
「皿、ですか」
中央にアルファベットのNをあしらい、外周に「Mobilis In Mobili」と書かせた。
それを見た彼女は稚気のある笑みを浮かべて、では初代艦長はネモ大佐ですかな、と元ネタを諒解した旨を返してくる。
「本当は君も招待してあげたいのだが……」
「それは流石に無理でしょう。大佐も、随分不快な思いをされたのでは?」
「ふん。あのラングルレーの
「仕方ありません。立場上、機密の多い仕事です」
なにか色々と諦めた風に、彼女は肩を竦めてみせた。
そして、机の上にある一つの模型に目を向けた。
「それが?」
「ああ」
言質を取られないために言葉を略すのに、それでも意思がきちんと疎通する小気味良さは、彼女との会話の魅力だ。
「大佐……」
ジミーがいよいよ気になってきたようだが、彼に彼女を紹介するつもりはない。彼の前途にあの連中が出没するようになるのは上司として忍びない。
「失礼、本来なら名乗るべきなのでしょうが……」
「止めておきたまえ。彼は前途ある若者なのだ」
ジミーにウィンクをして、飲み込んでおけ、と伝える。
「なるほど、大佐が目をかけておられるだけはある。きっと将来は大物になられるに違いない」
彼女は興味深そうにジミーを眺め回して、再び視線を模型に戻した。
「どうかね、良い
「いえ、その、自分は空軍ですので、艦艇のデザインには詳しくないのですが……」
ああ、彼女との会話はいつもそうだ。それはちょっとした話の接穂のつもりだったが、何気ないところから、途轍もないアイデアが湧いてくる。
言い淀む彼女が何かに気づいているのだと経験から察した私は、渋る彼女を宥めすかして本音を聞き出した。
「艦の形状が、流体力学的に洗練されておらないように見受けられます」
「なんだって⁉」
思わずジミーが叫んだのを、私は片手で押しとどめる。
「どうしてそう思ったのだね? 素人見立てではあるまい」
「いえ、私は艦艇については素人なのですが、しかし航空力学の見地から考えれば、この形状は、なんと申し上げますか、水中航行に適していないように見受けられるのです」
「艦艇は喫水下の抵抗を最小限に抑えるように――」
「待て、ジミー。彼女は〝水中航行〟と言ったぞ」
模型を穴が空くほど睨みつける。そうだ。潜水艦がこのような平甲板を持つ水上船舶に近い形状を持つのは、普段水上を航行し、必要な時だけ潜るという運用に基づく要求だ。
しかし、しかしだ。
原子力潜水艦は――。
「これは大変なことだぞ、ジミー!」
「た、大佐⁈」
「艦の形状はこれでは良くないのだ!」
そうだ。海面上を走り水面での造波抵抗を考えなければいけない水上艦艇と、常に海中に没し、全周を水に囲まれた潜水艦では、最適とされる形状が異なるのだ! 原子力潜水艦は常に潜っていられる艦だというのに、艦体形状がそれに合っていない!
「なんということだ! 既に一番艦は起工してしまった!」
「大佐、これは簡単な設計変更には留まりません。模型による水槽試験から始めないと」
斬新なアイデアが次々と沸いて出て議論に白熱してしまい、つい彼女のことを忘れてしまったが、気づくと彼女は腕時計を見て辞去する時間だと告げてきた。
「おお、済まない! ああ、なんということだ! 来る新型艦には君の名前を刻んでやりたいくらいだ!」
「お構いなく、大佐。空軍士官の名を付けようとすれば、反発も大きいでしょう」
「海軍に鞍替えしたくなったらいつでも連絡をくれたまえ。相応のポストを約束するよ」
「あり得ないでしょうが、もしものときはお願いします」
笑って別れたあと、私達は猛烈に仕事を始めることになった。
残念なことにこの後、ジミーは父親を亡くし、家業の農場を継ぐために退役することになったのだが。
そしてさらに時間が過ぎ、私が提督になり、原子力潜水艦の一番艦が完全な実績を残した頃、オフィスで一通のダイレクトメールを受け取ることになった。
アリゾナ州マラナを住所とする、エア・サービス会社。社名には全く憶えがなく、そのまま棄てることになるかと思いつつも封を切ってみれば、会社設立の挨拶文だった。一体なんだと訝しみながら、末尾の手書きの追伸と署名を見て膝を打った。
『この度空軍を退役し、独立起業いたしました。コンサルティングのご用命は、是非当社に』
私はすぐに秘書を呼びつけて、叫んでいた。
「このザラマンダー・エアー・サービスと契約を結ぶぞ!」
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