第十篇 楽園

 おいコラそこの白いの! ここは私企業所有の農園だ! 無許可の撮影は禁じられている!

 カメラを置け、両手を挙げろ。抵抗するな。

 なに? 許可はあるだと?

 C班カルメンから本部。カメラを持った白人男性を拘束。許可を得ていると言っている。

 おい、お前、名前は?

 ……許可は出ているがまだ発効していない? 誓約書にサインが必要なんだとよ。本部に連行してやるから有難く思いな。

 なんで手錠って、お前さん射ち殺されるところだったって分かってるか? 大人しくしてな。

 おい、マリオ! カメラからフィルム抜いてこっちに寄越せ。

 お前はさっさと車に乗りな。


 大人しくサインしてきたか? 撮影は不可に? ふん。勝手したんだ当然だろ。

 ああ、俺が役になったフェデリゴだ。短い付き合いだろうが、よろしくな。

 ん? 見て分かるだろ。警備員だよ警備員。

 お前みたいに農園に入り込んで勝手するバカが出ないように、毎日巡回してんだよ。鉄条網付きのフェンスで囲ってあっても、なんとかしてこの農園に入り込もうとするバカは毎日出る。

 なんでかって? 知るかよ、って言いたいところだけどな。まあ、分からんでもない。この農園は特別だからな。

 何作ってるかって、見りゃ分かるだろ。分からない? お前さんホントに記者か? ジャーナリストだかなんだか知らんが、不勉強過ぎるんじゃないか。

 コーヒーだよ、コーヒー。

 この農園じゃコーヒーを作ってる。それもただのコーヒーじゃねぇ。プレミアム、超高級豆だ。

 働いてる連中だって、バカじゃ勤まらねぇ。やれ気温だ、湿度だ、日照だ、って毎日のように数字と睨めっ子してる。俺は学がないから警備員だが、家内は高校出てるからな。あっちで働いてる。

 ん? ああ、ここじゃ家族全員が社員なんて珍しくない。ウチも、妻も子供もみんな社員だ。長男は俺と同じで学がないから警備員だが、次男と長女は農業部門だ。末娘はまだ学校だがね。

 学校はほれ、あれだよ。会社が作ってくれた学校だ。小学校から高校まで。教師も社員だよ。成績が優秀だと奨学金を貰って大学にだって行かせて貰える。そうなれば卒業後は幹部社員だ。末っ子が奨学金貰えそうなんでな、俺も頑張ってるわけよ。

 え? 娘の進路? 本人は医者か看護婦になりたいって言ってるけどな。ほら、学校の向こうにある建物。あれが病院だ。もちろん、会社が運営してる。医者も看護婦もみんな会社が用意してくれた。

 病気だけじゃないぞ。予防接種もするし、ええとなんだ、公衆衛生教育、ってやつもする。俺たちは必死に勉強するわけだよ。

 当然だろ。

 病気の農夫が育てた豆に高い値段が付くと思うか? 伝染病が蔓延してる農園で作った豆が欲しいって思うか、あんたは?

 付加価値、って奴だ。付加価値。

 俺もこの農園に来て初めて知ったコトバだがね。

 一山いくらのコーヒーは、どれだけ作っても安く買い叩かれる。でも味が良くて品質が高いコーヒーには、とんでもない値段が付く。豆が高く売れれば会社の売上が上がって、それは俺達の給料やボーナスになって生活が豊かになる。品質の高いコーヒーを育てるには、農夫にだって学が要る。

 俺だって前は別の農園で働いてたから分かる。この農園は特別だよ。朝から晩まで汗水垂らして働いても一ドルにもならなかった外の農園とは段違いさ。だからこそ、俺達はこの農園を守らなきゃいけない。外から入り込もうとする連中を、見つけ次第とっ捕まえてほっぽり出す。

 それが俺の仕事だ。

 時には荒っぽいことになることもあるが……まあ、それも仕方ない。それが嫌ならちゃんと入社試験を受ければ良い。この農園だって時々は人を募集している。競争率は凄いがね。

 ああ、俺の家族は運が良かった。この会社に入れて人生が変わった。ただ言われるままに仕事をするんじゃ家畜だってな。仕事の意味を知ることが大切なんだ。

 外の連中はウチの社員と違って、碌な衛生状態に置かれちゃいねぇ。どんな病原菌、寄生虫、病害虫の類を持ってるか分かったもんじゃない。どれも農園に入り込んだら俺達の生活をダメにする。

 俺はこの仕事に誇りを持ってる。キツい仕事だが、誇りを持ってやってる。

 俺だけじゃねぇ。この農園で働いている社員はみんな喜んで働いている。政治家やジャーナリストどもが煩く言う〝搾取〟とか〝奴隷労働〟ってやつはここにはねぇんだよ。

 政府が俺達に何をしてくれた? 住まいも上下水道も電気もガスも学校も病院も、何もかも、与えてくれたのは会社だ。この会社なんだ。

 ここにいれば〝健康で文化的な生活〟って奴が送れる。街を歩いているだけで突然銃を突き付けられて有り金巻き上げられることもないし、マフィアがみかじめを要求してくることもない。書類手続きで賄賂を要求されることもない。ほれ、そこにある会社が作ってくれたスーパーマーケットならボッタクられる心配もない。もちろん、衛生的だ。

 欲しいものは金さえ出せば手に入る。車だって買える。家内は服やバッグを買ってる。

 子供たちは外に出たがらなくなった。この農園の中で何でも手に入るから、ってのもあるが、外は危険過ぎる。俺ですら最近は恐怖を感じるくらいだ。いつ弾が飛んでくるか、どこかが爆発しないか心配しなきゃいけない街なんて狂ってる。

 かつてはそれが当たり前だと思ってた。だが、そうじゃなかった。

 見ろよこの農園を。

 みんな安心して笑ってるだろ。

 襲われる心配がないってだけで、人はどれほど幸せになれるか分かるか? 飢える心配をせずに済むってことが、どれほど幸福なことか分かるか?

 ジャーナリストさんよ、あんたらは取材と称して会社の悪口を書いてるんだろ。知ってるぜ。学はないけどな、俺だってこの会社に就職してから頑張って読み書きを覚えたし、今じゃ新聞だって読んでる。会社の悪口が載ると、その日はみんなその話題で持ち切りになる。分かるだろ? 俺達は怒ってるんだ。

 政治家とツルんでるマフィアにみかじめを払わないから俺たちのことを悪く書くんだって、みんな言ってる。反政府の共産ゲリラにだってビタ一文払ったことはねぇ。鉛弾ならくれてやったがな。

 右か左かなんて知らねぇし、興味もない。好きにしてなよ。俺達に手を出さない限り、俺達も何も気にしねぇ。いつもどおり、毎日平穏に暮らせればそれでいいんだ。

 なのになんで放っておいてくれねぇんだ?

 内戦でも治安作戦でも何でも外でなら好きにすりゃいいじゃねぇか。この農園の中にゃ社員とその家族しかいねぇし、ゲリラなんざ匿っちゃいねぇ。それは警備の俺達が一番良く分かってる。

 俺達にとっちゃ良いコーヒーを育てることが一番大事なんだ。

 なに、俺達がブルジョワジーの尖兵だと? 記者さんアンタ左翼崩れか?

 ああ確かに俺達は自分たちで育てたコーヒーを飮んだことは、ほどんとない。なにせ卸価格がキロ千ドル、世界でこの農園だけが作ってるプレミアム種だ。最初に聞いた時にゃ呆れたよ。そんなバカみたいなコーヒーを飮むアホみたいな金持ちが世界にはいるんだ、ってな。

 だがな、今はこう思ってる。連中は〝購買力のあるお客様〟だってな。連中はより旨いコーヒーのために金を積み上げる。俺達は奴らの好みのコーヒーを頑張って育てる。〝需要と供給〟ってやつだ。そんな物好き連中がいるからこそ、俺達はここで働いて、給料を貰ってる。その給料で今度は俺達が車やテレビを買って、他所の労働者がそれで給料を貰う。世の中はそういう風にできてるんだ。

 悪い資本家ってやつは間違いなく居る。それは俺だって重々承知だ。だがな、良い資本家もいるってことを、俺はここで学んだ。共産主義者は悪い資本家から労働者を救うんだそうだが、良い資本家は共産主義者より人を救うぜ。

 あんたらもとやかく言う暇があったら農園の一つも経営して、社員を養ってみせればいい。

 政治家どもも首から上に頭が付いてるんだったら、とっとと国の土地を全部ウチの親会社辺りに売っぱらちまえば良いんだ。そしたらみんな幸せになれるぜ。



 それはちょっとした愚痴だった。

 なぜ我が国の裏庭外交政策は上手くいかないのか。

「Win‐Winの関係を築こうとしないからでしょう」

 答えは単純かつ明快だった。

 自国や自社の利益だけを考え、相手国の、特に労働者に経済的利益を与えることに積極的ではないからだ、と。

 我が国の投資家の取り分を減らせと?と尋ね返すと、より巨視的な返答が即座に叩きつけられる。

「購買層を育てるという視点が欠けています」

 彼女が言うに、豊かになれば彼らは消費者として我が国の製品をより多く買うようになり、結果として金は還流し、経済が活性化され、最終的により豊かになる。

 机上の空論ではないのか、となじってみれば、論より証拠、と奴らの子会社だという農園を紹介された。

 共産ゲリラが跋扈する失敗国家の中に区画限定された、国家内国家。

 外の状況を良く知悉しているが故に、余りの落差に眩暈がしそうだった。

 完璧に清掃され、維持された満ち足りた世界。しかも彼らは情報封鎖されているわけでも騙されているわけでもなく、自らの意志ですすんで会社に忠誠を誓っている。

 聞けば、警備員の中でも優秀さを見込まれた者は、本社で研修も受けられるのだという。

 農園ファーム。そう、そこは彼らに金銭だけではなく人的資源をも供給する、一つの藩国だ。しかも完璧なまでの自由経済の信徒。

 中央情報局が常に望んでいる理想の裏庭国家の姿がそこにあった。

 だが……。

 それは飽くまで、その〝境界線〟を超えられた者にだけ与えられる幸福なのだ。途轍もない競争率を勝ち抜き、入社後の教育を突破した一握りの実力ある者達。才能と努力を併せ持つ者だけを集められる環境ならそれも良いだろう。

 しかし、それを国全体に適用できるものなのだろうか?

 そのような国が、本当に幸せになれるのだろうか。

 煩悶しつつ、彼はそのレポートを封印することに決めた。

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