第九篇 養成課程
私的研究会、と銘打たれ、長机が四角に組まれた会議室に最後に入室した男は、二つ星の階級章を付けていた。
「どんな話を聞かせてくれるのかな。喜ばしい話だと良いのだが」
薦められるままに上座に座った将軍は、座長とされる鷲の階級章の男にそう問いかけたが、返って来た言葉は芳しくなかった。
「あまり喜ばしくないかも知れません。ただ、間違いなく有益ですが」
「ふむ。心の準備をした方が良い類か……」
机の上に灰皿があることを確認し、煙草入れをポケットから取り出す。巻紙を抜き取りながら、「始め給え」と言うのを忘れない。
「それでは」
末席に座る金色の楢の葉の階級章の男性が促され、立ち上がる。眼鏡を掛けた風采の上がらない男で、戦士というよりは会計士が似合いそうだった。
「事の発端は、空軍からの照会でした。大戦中の弾薬消費、補給についての各種統計資料の閲覧を求められました」
「……なぜ空軍が陸軍に?」
手元で煙草を巻きながら、将軍が不思議そうに尋ねたが、答えは明快だった。
「は。大戦中の陸軍航空隊時代の資料は陸軍に所管されてりますので」
「なるほど。続けてくれたまえ」
「残念ながら統計という形にはなっていなかったのですが、それならば原資料に当たるからと言われ、閲覧許可を出しました。三年程前の話です」
照会したのは当時空軍士官学校の生徒だったらしい。
最初は第八空軍の戦闘機部隊を標本抽出調査しただけだったらしいのだが、その後何があったのか、空軍自体が乗り出してきて資料を総浚いする勢いで調査をしていたのだという。資料の移管も陸軍に打診されたというが、当時の資料はまだ陸軍と空軍が一体だったため明確に区別しにくいものも多く、それは見送られた。
「それはもしかして、空軍にとって不都合な資料が見つかったということかね?」
煙草に火を点けた将軍の声にある種の期待感が籠もるが、その期待は当初この会議の誰もが抱いたものだった。
戦後陸軍から分離した空軍は金食い虫だ。やれ戦闘機だ爆撃機だ弾道ミサイルだ誘導弾だと予算を請求し、国防予算の少なくない割合を食い潰す陸軍の天敵である。陸軍のことを地べたを這いずり回るしか能のない原始人か何かだと思っていて、戦争の本質である地上戦のことを理解しようともしない、高いところが好きなアホ共だ。
「当初我々もそれを期待、ゴホン、疑い、空軍に調査結果の閲覧を要求しましたが、拒否されました」
空軍の秘密主義は今に始まったことではないが、それはますます疑わしい話だ。連中が何を隠しているのか、詮索したくもなるというものだ。
「そこで、最初の資料閲覧者である空軍のティクレティウス中尉に伝手を辿って接触したところ、空軍士官学校時代の論文の写しを入手することが叶いました」
「待ち給え。機密だったのではないのかね?」
「はい、いいえ。それがその、空軍が主導した方の調査は機密指定されておりましたが、ティクレティウス中尉の論文は単なる内部文書扱いで、空軍士官学校の図書館に納められておりました」
盲点、というやつだ。まさかそんな重要な文書がそんなところに放置されているなど誰も思ってもみなかった。恐らく空軍上層部ですらも。
「それでその内容は?」
「論文のタイトルは『大戦におけるエースパイロットの役割』というもので、〝エース〟の称号を得た戦闘機パイロットが通常のパイロットに比べてどの程度優秀なのかを数値的に検証し、可能ならばその育成に役立てようというものでした」
別に何かおかしな論文には思えない。
いや、これが発端であって、何か不都合な真実でも浮かび上がったのか。
「その結果、上位一パーセントのエースパイロットが、全撃墜の約四〇パーセントを叩き出していることが判明しました。そして、大部分のパイロットが一機も撃墜していないことも」
うーん、と将軍は唸った。彼も大戦に参加していたが、空軍のエースパイロットの華々しい活躍は広報で聞いていた一方で、普通のパイロットの戦績などは考えたこともなかった。
「さらに補給ならびに整備記録から、多くのパイロットはそもそも発砲すらしていないと」
「なんだねそれは?」
さすがに理解が追いつかなくなり、将軍は一度口から煙草を離して灰を落とし、もう一度咥えて煙を吸って頭を巡らせる。
「……つまり、逃げ回っていただけということかね?」
「生き残ったパイロットは、ということですが」
なるほど。無理に獲物を追うパイロットは早死し、生き残るのはエースと臆病者だけということか。
「それが空軍が隠匿したがっている〝不都合な真実〟か」
「はい、いいえ、将軍。それ自体はティクレティウス中尉は問題にはしておりません。まず生き残ることが重要だ、と」
死んでしまえばエースパイロットになる可能性も
それは陸軍の歩兵にも通じる話なので理解はできた。生き延びた新兵は古参兵となり、部隊を支える屋台骨となる。
「ティクレティウス中尉が問題にしたのは、効率や交換比の問題です」
敵機を一機撃墜するために、何発の銃弾を要したか。また、撃墜と被撃墜の比率。
「トップエースと呼ばれるパイロットは、撃墜一機辺りに百発程度の弾丸しか消費していません。逆にエースでない撃墜スコア持ちは平均して数千発以上を消費しています」
将軍は数字を聞いて苦笑した。数千発? なんの冗談だ。
「それはまぐれ当たりではないのかね」
まったく、空軍のパイロット養成課程は何を教えているのだ。それでは陸軍の高射砲と大差ない命中率という話になってしまう。
「しかもこれは大戦終盤に帝国軍パイロットの質が落ちてからの値を含んでのことですので、もしこれが大戦序盤、帝国側に熟練パイロットが残っていたころであったならば、どのような結果になっただろうか。可能であれば連合王国の資料と突き合わせて検討したい、との所見でした」
なるほど、空軍が最近やたらと誘導ミサイルに固執するわけだ、と将軍は得心した。研究予算を食うので目の敵にしているところがないでもないのだが、空軍は空軍で必死らしい。
何やら愉快な気分になったが、それはそれ。燃え尽きた煙草を灰皿に押し込んで、将軍はしかし、と切り出した。
「それのどこが〝喜ばしくない〟話なのかね。まあ、合州国軍全体としては由々しき問題であるというのはわかるが」
「この話を伺った際、ティクレティウス中尉から進言がありました。『恐らく陸軍にも同様の問題があるだろう』と」
「なに?」
「ティクレティウス中尉によれば、この問題は空軍固有の問題ではなく、軍一般の問題である疑いがある、と」
将軍は座長の大佐の顏を窺うが、そこには深刻な表情。
「まさか」
「はい。我が陸軍の歩兵でも、同じ問題が見られました」
サンプル調査ですが、と前置いて少佐は言い切った。
「前線の歩兵の約八割は、そもそも発砲しておりません」
嫌な沈默が会議室を満たした。
「大戦中の戦場戦死者の多くは砲爆撃によるもので、次いで機関銃の掃射、地雷等の罠にかかったもの、狙撃手による殺傷で、歩兵の小銃射撃で死んだものは、驚くほど少ないのです」
「極端なことを言えば、歩兵には小銃を配備しなくても良い、と結論されかねません」
大佐が沈鬱気に零す言葉を聞いて、そういえば連邦が大戦中、歩兵に配備する武器が足りず、小銃を二人に一丁配布したというヨタ話を聞いた憶えがあったが、あながち間違いではなかったという話なのか。
「原因はなんなのだね? 我が軍の兵士たちが臆病者だ、というわけではないのだろう?」
それはない、と将軍は信じたかった。確かに合州国の兵士は精強とは言い難いところがあるが、それだってまさか命令に従って発砲するくらいはするだろうと信じたかった。
「残念ながら、私的研究会の形式ではそこまでは手を広げられませんでした」
少佐は一礼して着席した。
発表内容は以上だと知らされ、将軍は新たな一本を咥えて腕組みをする。
なるほど、自分が呼ばれた理由は、この私的研究会を公的なものに格上げする政治工作ためか。
だが……。
「これは慎重を要する案件だぞ」
「はい、御尤もです」
一歩間違えば議会から壮絶な突き上げを喰らうことは避けられまい。対策もなく飛び込める問題ではない。
「空軍は何かを摑んでいるのかね?」
「連中、ひた隠しにしております」
それはそうだろう。
だがこのままというわけにもいかない。空軍にせよ陸軍にせよ、放置して良い問題でないことは明らかだ。
「已むを得んな。……そうだな、私の空挺師団の独自研究という形でまずは進められるよう手配しよう。退役軍人庁の協力も必要だろう?」
「恐れいります」
大戦中に実戦参加した兵士の大部分は既に退役している。復員兵を対象に調査を行おうと思えば、退役軍人庁の協力は不可欠だ。
「後は、その空軍の、ティクレティウスといったか? その空軍士官だな」
陸軍へ助言を寄越す姿勢から察するに、空軍にとって〝不都合な真実〟を掘り出したその士官は余り居心地が良くないのではないか。
「陸軍に引き抜けないか?」
「困難かと。空軍士官学校第一期首席です」
「それはそれは……」
将軍が北叟笑む。
空挺部隊一筋の将軍は、最後まで空軍独立に反対した一派だ。せめて空挺部隊用の輸送機だけでも陸軍に残せと抵抗したが、連中、空に関わる一切合切を持って行きやがった。
お陰で空挺降下訓練の度に空軍の輸送機を借りる羽目になっている。
独立した空軍共がコロラドスプリングスにやたらと豪華な士官学校を作るのを苦々しく思っていたが(その金があれば
「まあそれは良い。引き続き〝
「は。丁度良いことに、近々、ティクレティウスの関わった部隊がこちらに教習のために来訪する予定です」
「ほう。パイロットのパラシュート脱出訓練か?」
合州国の中で落下傘降下訓練のための設備があるのはフォート・ベニング陸軍空挺学校だけだ。なので三軍で必要とされる降下訓練も陸軍空挺学校で行っている。
「いえ、パイロットではなく、新たに創設される……戦闘捜索救難隊の訓練だそうです」
物騒な用語に眉を潜める将軍に、大佐が説明する。
「敵地上空で脱出したパイロットを、捜索して救出する任務部隊であるとのことです」
「つまり敵陣に突っ込んでパイロットを担いで帰って来るというのかね?」
正気じゃない、と思ったが、同時にこれは空挺の仕事だな、とも思う。勇猛果敢な男の中の男の仕事だ。
ただ、危険度も難易度も高い任務だけに、そんな精鋭部隊を空軍が錬成していることは気がかりだった。
「ティクレティウスの提言で始まったそうで、本人が部隊錬成の指揮を取っております。流石に責任者は佐官のようですが」
「なるほど。こちらにやって来るなら良い機会だ。君たちの誰かが接触できるように便宜を図ろう」
予定が合えば自ら顏を拝みに行っても良いくらいだが、残念ながら空挺学校に足を伸ばすのは難しかろう。
もう二三、私的研究会を師団内研究会に格上げするための相談を交わし、その日の研究会はお開きになった。
私的研究会のメンバーを師団に引き抜く手続きを取って数ヶ月。忘れていたわけではないのだが、将官というのは師団の統率に割かねばならないエネルギーが大きく、将軍の頭の中に占める割合は徐々に小さくなり、半ば忘れかけていた頃になって、暫定報告会の報せが届いた。
慌ててお座なりにしていた経過報告に再度目を通せば、どうやら着々と調査の手は広げていたらしい。
何がしかの結論が聴けるものと期待して、指定された日時に会議室に出向けば、前回よりも増えた面子が将軍を迎えてくれた。
前回同様に上座に座り、煙草を取り出す。
「さて、今回は期待できるのかな」
「どうでしょうか」
相変わらず難しい顏つきで、座長の大佐が合図をすると部屋の灯りが落とされ、件の少佐が
「閣下のお力添えで、大戦を経験した退役将兵を調査することが叶いました。結論から申し上げますと、サンプル調査と大きな差は認められませんでした。歩兵の大部分は小銃を発砲しておりません」
最大で八五パーセントの兵がそもそも小銃を発砲していない。
何ということだ。
それほど多くの将兵が敵前逃亡を図っていたとは……!
「ではその兵たちは何をしていたのか。彼らは敵前逃亡をしていたのではありませんでした」
「弾薬運び、伝令、負傷者の救出など、むしろ塹壕での撃ち合いよりも危険とも言える任務に
将軍は混乱した。どれも危険な任務であり、勇敢さが讃えられる任務だ。危険度から言えば蛸壺に籠って小銃を発砲している方が遙かに安全とさえ言える。
にも拘らず、兵たちはより危険な任務に志願しているというのだ。
報告はどんどん続く。
発砲した兵についても敵兵を狙って撃った者は少なく、盲撃ちや意図的な威嚇射撃に留まるものが多数。実際に敵を狙って撃ち殺したと証言できるものは極少数であった。
塹壕での白兵戦に至っては、銃剣で刺突するよりも小銃の台尻で殴りかかったりシャベルを振り回す者が多く、これは銃剣挌闘訓練が殆ど用を為していない様を物語る。
「これらの怠業現象は
延々と見せられた数字とグラフに打ちのめされながら、将軍は当座の結論を嚙み締める。
「たとえ訓練された兵士であっても、目視範囲内で直接人を殺すことに対する忌避感は極めて大きく、これを乗り越えることは著しく困難なのだと考えられます」
兵士と敵の距離が伸び、姿が見えなくなればなるほど心理的障壁は下がり、兵士は無心で〝作業〟に没頭できるようになる。特に砲兵ともなれば、自分は砲を操作しているのであって、その結果が十数マイル先でどうなっているのか直接目にするわけではない。
「空挺師団を中心とした調査でしたので、機甲兵については空白になっておりますが、恐らく大きくこの傾向に違いはないものと思われます」
結論としては、映画や
戦場で人殺しを忌避する兵士と人殺しを厭わぬ兵士が出逢えば、結末は自明というものだ。
「〝人殺しを恐れぬ勇士〟の育成法の確立が急務というわけか」
少佐が着席して部屋の灯りが戻った後、長い長い溜息を吐いて、将軍は煙草を灰皿に押し付けた。いつの間にか、灰皿は吸いがらで埋まっていた。
正直、馬鹿な、と言いたい。空挺師団は志願者だけで構成され、厳しい訓練を潜り抜けてきた精鋭である筈だった。にもかかわらずこの体たらくとあっては。
これが彼の師団だけの問題ではなく、広く陸軍、いや合州国軍全体の問題であることがせめてもの救いか。
「本件について、ティクレティウス中尉が既に対策を講じていることが、交換プログラムで判明しました」
座長大佐の口から出てきた例の空軍士官の名前に、沈思默考していた将軍の興味が再び外に向けられる。
空軍の戦闘捜索救難隊の教育の一部を引き受けるのと交換に、陸軍でも将来的な捜索救難隊設立を想定して訓練の見学を取り付けたのだという。
「フィルムを御覧ください」
再び部屋の灯りが落とされ、今度は一六ミリ映写機が回り始めた。
スクリーンに映し出された風景はどこかの訓練場と見え、一個班規模の兵たちが隊列を組んで茂みの中を進んでいた。時間を気にしながら進む隊の前、横、後に次々と銃を手にした
あまりの生々しさに、戦場経験が薄いらしい何人かが呻き声を上げる。
標的の中には銃を持っていない的も出てきて、その場合は行動が回避か排除かに分かれるようだった。そして進んだ先で要救助者に見立てた人形を見つけ出し、背負式担架に括り付けるや、一目散に後退を始める。
その途上でも的が無秩序に現れるのを、時に排除し、時に迂回し、要救助者の運搬を交替しながら部隊が進行していくところでフィルムは終わりを告げた。
「実際の人間に似せた標的と、これを用いた徹底した反復訓練によって、思考するよりも早く引き金を引けるようになるまで報酬と罰で教育する。さらに狙い澄まして撃つのではなく、短機関銃で弾丸をばら撒くことによって思考時間を減らし、兵士があれこれ考えるより先に敵兵を排除してしまえるまでに鍛え上げる、とのことです」
「それは……」
精鋭たることに矜持を持ち、古典的な戦士像、英雄像を自らに、そして麾下の将兵に求めてきた将軍にとって、それはある種受け容れがたい内容であった。
「それではまるで動物の
「はい、事実ティクレティウス中尉はこれを〝オペラント条件付け〟、即ち調教による成果であると断言していました」
状況に対応する行動を最適化して叩き込み、目的以外のことを考える余地をなくし、敵と見れば考えるより先に体が動いて銃撃を浴びせる、極めて完成された狩猟犬の如き兵士たち。
「こんなものが、求められる兵士像だというのかね」
「……遺憾ながら、有効と認めざるを得ません」
居心地が悪そうに大佐が体を搖する。
彼らが使っていた人間そっくりな標的を使って抜き打ちテストをしたところ、陸軍の兵士のかなりの部分はその標的が出た途端、発砲を明らかに躊躇った。通常の板の標的には何の躊躇いもなく銃弾を浴びせる兵士たちが、人間そっくりな的には引き金を引けなかった。
命令を浴びせ、無理やり発砲させたところ、その命中率は酷いものだった。しかも血糊が飛び散った後に軽い錯乱状態に陥った兵士すら出た。
「……わかった。結論は確かに受け取った。だが、判断はより広範な調査結果を待ってからとする」
将軍は判断を避けた。
どうしてもティクレティウス式を受け入れる気にはなれない自分を正当化するため、この研究を陸軍の研究に格上げし、その結論が出るまで保留することに決めたのだ。
憂鬱な顏で会議室を後にした将軍は、廊下で一人呟いた。
「恐ろしいな。あんな訓練を受けた兵士たちが駆ける戦場は、さぞかし地獄だろう」
人と人との戦いではなく、獣と獣の戦い。
かつて大戦でオラニエに降下し、散々に帝国兵と戦った将軍ですら、あんな兵士と戦いたいとは思えなかった。それはまるで、そう、あの帝国の〝ラインの悪魔〟と肩を並べるかのような、そんな悪幻想を彼に与えて
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