第三篇 空中騎兵隊

 条約機構軍による年次の大演習は、大体毎年同じようなシナリオで展開する。

 条約機構の構成国たる連邦共和国に、仮想敵・あか軍が突如侵攻。連邦共和国軍を含む駐留条約機構軍(青軍)がこれに反撃、遅滞戦闘を続ける間に、欧州全域の条約機構加盟国から抽出された条約機構軍が戦略機動を行い、最終的に赤軍に対抗する。

 演習は複数ヶ国に跨って繰り広げられるが、しかしその規模に対して見た目は大変地味だ。一般人が〝軍事演習〟と聞いて思い浮かべるような射爆演習は実のところあまり行われず、演習の大部分は将校たちの図上演習や、鉄道や自動車、船舶、航空機を使った大部隊の移動展開訓練に終始するからだ。

 演習の最終盤には実弾をふんだんに使った派手な演習も行われはするが、これはどちらかと言えば一般・報道向けという性格が強い。

 世界各国から集まる観戦武官が注目するのはむしろ地味な演習の方であり、ここで見せる兵力の戦略機動こそが要諦でありまた強烈な示威プレゼンスなのだ。

 演習の見学は条約機構に属する国はもちろん、条約機構に属しない国であっても申請するだけで簡単に許可が降りる。ルーシー連邦の武官が演習を観戦するのも毎年のことで、彼らが見聞きしたものを国に持ち帰ってこそ、演習の意義も倍加するというものだ。

 そしてここにも一国、演習を観戦しに現れた武官がいた。

「こちらへどうぞ」

 案内されて雛壇の席に着いた共和国軍の制服を着た将軍とその副官の大尉は、本日のメインイベントに集まった武官たちの顔ぶれを確認する。

 ルーシー連邦は当然のこととして、条約機構に属さない非同盟第三諸国の武官。中には極東秋津島の武官の姿も見える。ぱっと見て、特別に普段と違う顔はないが、どの顔も皆好奇心に輝いている。

 毎年大きく代わり映えはしない演習だとはいえ、毎年何かしら新しい兵器や戦術のお披露目はあるもので、多くの関係者から本日の演習がそれであろうと目されているのだ。

「お待たせいたしました。もうすぐ始まりますよ」

 饗応役として付けられた合州国空軍大佐が、充分聞き取れる共和国語で語りかけてくる。

 将軍は戦中の経験もあって充分に連合王国語を操れるが、それを知った上で共和国語に達者な士官を付けられることの意味を内心推し図りつつ、視線を演習場に向けた。

 この演習場は普段は空挺部隊の降下訓練に使われている演習場で、本日の想定は、赤軍との衝突によって前線に生じた局所的劣勢領域への側面支援のための部隊急派、となっている。

 副官の大尉がちょっと考えてコメントした。

「一昔前なら『連隊規模の魔導師を派遣』とするところですかね」

 軽く頷いて同意を示しつつ、現在では無理な話だが、と言葉を返す。戦後、魔導師が悠長に飛べる空が消えて久しい。

 戦中に暴威を振るった帝国魔導師への反省から、戦後各国の軍が偏執的なまでの対魔導師防禦を敷くようになってからというもの、魔導師の出番は極端に減ってしまった。彼自身、魔導師として帝国の魔導師と戦った経験から、戦後共和国軍における魔導師対策の立案と整備に尽力してきたのだ。現代の魔導師に残された戦場は、潜入工作などのコマンドに限られると考えている。

 しかし一方で、かつて魔導師が担っていた作戦が封じ手のような有り様になってしまっていることにも、軍部は頭を悩ませていた。それだけ、練度の高い魔導師部隊は使い勝手が良かったのだ。

 ただ、軍事技術の発達が有効な戦術を葬り去ることは過去にもあった。騎兵突撃然り、戦列歩兵然りだ。

 きっと魔導師も、このまま消えていく定めにあるのだろう。

 自身も魔導師であった将軍は、一抹の寂しさを感じつつも、そう達観してもいた。あるいは、それで帝国魔導師による首狩り戦術を防げるのなら、と。

 空挺部隊が魔導師を含まないとなれば、それは純然たる軽歩兵だ。空から奇襲できるというメリットはあれども、重砲も機甲もない上に、降下時に数平方キロメートルの範囲に散らばってしまい、集合に手間取れば各個撃破の的になる。

 養成にコストがかかる反面、使い所がかなり狭まってしまった兵種である空挺に、合州国がいかなる新機軸を与えたのか。

――連邦では、空中投下できる空挺戦車を開発しているそうだが。

 共和国でも検討しなかったわけではないが、重量と装甲のトレード・オフが許容範囲内に納まらず、技術的なブレイク・スルーがなければ使い物にならないと判断されていた。鉄の棺桶に兵を詰め込んで損耗を前提に投下できるのは、連邦くらいなものだろう。

 共和国や、当然、合州国では違うアプローチが模索されていた。成果は芳しくなかったが。

 合州国や連邦、そして連合王国に遅れを取りつつあるのではないか。軍事関係者の中には、そう不安を抱く向きがないでもない。

 とりわけ、絶大なる支持の元就任した大統領が条約機構軍からの脱退を強行したことは、軍事関係者にとっては頭の痛いところだった。

 戦中・戦後の恨み辛みから、合州国と連合王国が主導する戦後秩序に組み込まれることを善しとしなかった政治的判断ではあったが、では軍事的に独立を保ち得るかについては、言葉を飾らずに言えば、無謀だった。

 大統領の気持ちは痛いほどよく分かる。祖国を失陥し、南方大陸に逃れての徹底抗戦と言えば聞こえは良いが、実のところ帝国の外縁でハラスメントを行っていたに過ぎず、それすらも連合王国や合州国の支援あっての活動だった。連合王国のマールバラ公爵などは露骨にこちらを軽視していたし、情報戦ではごく自然につんぼじきに置かれていた。共同作戦において最も危険な任務を割り振られたことも一再ではない。

 戦後は戦後で、共和国内で帝国への協力者狩りの嵐が吹き荒れ、さらに大戦によって疲弊した本国に対し殖民地が独立を求めて蜂起するなど、政治的安定を得ることができず、戦後秩序の舵取りから完全に爪弾きにされていた。

 そんな中、条約機構からの干渉を嫌った大統領が、外交の独自性を回復する目的で条約機構軍からの脱退を強行したのは、外交的には意味のあることだったのだろう。

 実のところ〝条約機構〟そのものには未だ席が残っており、飽くまで条約機構〝軍〟からの脱退に留まっている辺り、「政治的には同盟、軍事的には独立」と自身が高らかに、そして周辺国からは揶揄を込めて呼ばれる状態に安住している。

 自ら飛び出していった身とは言え、軍事情報の収集は怠れない。だからこそ、このような機会には友好を深める演技も必要なのだ。

 ふと、遠くからバッバッバッ……と空気を激しく叩く音が届き始める。音を聞けば大抵の軍用機であれば判別できる将軍にも聞いたことのない音で、単発の戦闘機でも複数発の爆撃機の音でもない。

「なんの音だ」

 聞き覚えのない音に眉根を寄せると、饗応役が得心顔で説明した。

「ああ、来たようですよ。あちらの方角です」

 示された方向を見れば、低い高度にポツポツと黒い影がちらついていた。手際よく双眼鏡を渡され、僅かに調整して目に当てる。黒い箱型の胴が、竹トンボのように回る羽根の下にぶら下がっている飛翔機械。

「これはオートジャイロ……いや、ヘリコプターか!」

「流石にご存知でしたか」

 当然だ。ヘリコプターは共和国でも研究している。もっとも、人一人か二人を乗せて浮上するのがやっとという代物で、実用化はまだまだ先と言われていた。

 それが、一機や二機ではなく、群れをなして向かってくるのだ。

「合州国はいつの間に実用化を……」

「軍事技術は日進月歩ですからね。正確な所は申し上げられませんが、つい最近、とだけ」

 双眼鏡の視界がヘリコプターで一杯に埋まり、肉眼でも仔細が捉えられる距離となり、爆音が一層耳を叩く。

 会話もままならない程の轟音の中、先頭を切る一機が先行、着陸地点付近に辿り着くや、左の張出し部スポンソンに取り付けられたランチャーからロケットを発射。

 炎と爆轟が大地を舐め、続いて右側に据え付けられた機銃が掃射を始める。余りに短い発射間隔のため、発射音がブザー音にも聞こえる特徴ある音。

「ガトリング砲か!」

 戦後、一層必要を増した対空砲火の切り札として合州国が博物館から引っ張り出してきた古き新装備だ。百年前のアイデアに現代の技術を組み合わせることで、毎分六〇〇〇発、秒一〇〇発という、魔導師の防殻を一瞬で飽和させる脅威の兵器だ。

 将軍は、この兵器こそが魔導師に引導を渡したのだと密かに思っていたのだが、それをこのような航空機に積んで運用しようとは!

 銃撃担当のヘリコプターが上空で睨みを利かせる中、後続のヘリコプターが次々と〝掃除〟された降着地点に飛来し、開け放たれた左右のドアから六、七人の兵士が飛び出してくる。

 装備はまちまちだ。小銃手、機銃手、ロケット砲手、そして迫撃砲も手早く降ろされる。

 隊長の指示の下、兵士たちは降着地点の周囲に散開して守備隊形を形成、索敵班が武装したヘリに連絡を取り、残敵に向かってヘリが射撃。その間にもヘリは次々と飛来し、拡大された降着地点は二機同時に着陸するようになっており、戦力増強は更に加速された。

 最後に、バナナのように折れ曲がった胴体と、前後二つの回転翼を有する大型ヘリコプターが一〇五ミリ砲を吊り下げてきた辺りで、将軍はこの新戦術に戦慄した。

 ヘリコプターという自在に空を行き来できる航空機で兵員を運ぶことにより、既存の空挺戦術のネックであった「密度」の問題をクリアし、武装型を先行させることにより降着地点の安全も確保する。さらに鈍足ながら大型の輸送ヘリを使って重砲まで運ぶ。

 確かに既存の空挺同様、軽歩兵ではあるものの、魔導師を交えた時のような火力支援が受けられている。部隊が一定範囲に降着するため、最初から集結した状態で展開できる点は、大きなメリットと言えた。

 それに、ヘリコプターはほぼ地面すれすれまで降下していたため、兵員は階段を数段飛び降りる程度のジャンプしかしていない。重たいパラシュートを背負う必要もないし、武器も空挺用の分解式ではなく、通常装備だ。空挺部隊として専門の訓練を受けた部隊でなくとも運用できる戦術なのだ。

「これは、恐るべき代物だな」

 何より恐ろしいのは、共和国ではまだ実験段階にあるヘリコプターを実用化し、数十機も運用する合州国の先進度、そして戦術の完成度だ。

「ご堪能いただけましたか?」

 ヘリコプターが去った演習場では、雛壇の上のざわめきが耳に戻ってきていた。ルーシー連邦の観戦武官が、完全に色を失って口早に饗応役に質問しているのを確認した後、副官の顔色を確認する。まだ何とか平静を取り繕っている所は合格点だろう。

 自分の顔色は確認できないが、血の気が引いていなければ良いな、と思いながら将軍は頷き返した。

「これは素晴らしいですな。近年稀に見る、重大な軍事的飛躍と言ってよいかと」

「ええ。我々もそう考えています。この場で発表するに足るものである、と」

 頭の中では様々な計算が飛び交う。

「あのヘリコプター、隨分数があるようだが、参考までに、購入するとしたらお幾らくらいですかな」

 だが真っ先に口から出て来たのは、手に入れたい、という欲求だった。

「さて。本国でもまだ配備が始まったばかりのもので、今回の演習のためにわざわざ運ばせたものだけに、暫くは国外へ販売する予定はないと聞いております」

 つまり、同盟国に〝供与〟することはあっても、共和国のような相手に〝販売〟する予定はない、ということだ。

「それは残念だ。では技術的な質問をしても?」

「小官に答えられる範囲ならば」

 手に入らないのなら、せめて秘密の一端なりとも持ち帰らねばなるまい。

「ヘリコプターは我が国でも研究しているが、技術的課題、とりわけエンジン出力が致命的に足りずに実用化に至っていないのだが、合州国はどのようにしてその課題を克服したのか、聞いても良いかね?」

「ああ、その程度でしたら」

 饗応役は微笑んで、足元の鞄を手にし、鍵を開けると中から紙束を取り出す。

「本国ではそろそろ発行されている空軍技術ジャーナル最新号の抜き刷りです」

 合州国空軍航空研究開発軍団が発行する空軍技術ジャーナルは、その内容の完成度の高さと品質の高さから、各国の軍事技術者や軍高官必読の雑誌と言われて名高い。

 将軍も毎号隅々まで読み込んでいて、必要に応じて翻訳もさせているが、このお披露目に合わせてくるとは手が込んでいる。

『ターボ・シャフトエンジンの理論と構成』

 抜き刷りに目を走らせれば、標題冒頭から初見の単語が飛び込んでくる。急いで概要アブストラクトに目を通す。

「ターボ・ジェットエンジンの推進力をタービンを使って回転力として変換・抽出するだと……⁉」

 理論的に導かれる出力重量比パワーウェイトレシオはレシプロエンジンの四倍にも達するという。それだけで、重量制限の厳しい航空機にとって非常な恩恵となるエンジンであることは疑いない。

「! ヘリコプターのエンジンがこれか!」

 しかし、構造自体は複雑という程でもないが、燃焼ガスを受けることになるタービンブレードの耐熱性や、低トルク超高速回転となる軸出力を減速させるギアボックスの耐久性など、一朝一夕には解決できそうにない課題が列挙されている。

 いや、実際に機体が既に飛んでいるのだ。問題は解決されているはず。

 ということは、この論文は……。

「失礼だが、この論文はいつ書かれたものかね?」

「申し訳ありません、将軍。その質問にはお答え致しかねます」

 饗応役は澄まし顔で、知らぬ存ぜぬを決め込むが、論文に指摘された問題点が解決されている点を考えれば、数年は前のものであろう。

(これだから合州国の連中は……!)

 内心に悪罵を募らせながら、将軍はそれでも論文を読み進む。

 ふと気配を感じると、副官の大尉が何か言いたげに、論文の著者名を指さしていた。

 主執筆者は、ターシャ・ティクレティウス大尉。これもよく知られた航空研究開発軍団の才媛だ。というか、ジャーナルで彼女の名を見ない号はない、というくらいの傑物で、一時は機密保持のために作られた架空の人物なのではないかとまで言われたことすらあった。

「これはまた、かのティクレティウスの論文でしたか。確か昇進は昨年でしたかな」

 少なくともこの論文は昨年以前に書かれたものか。

「まさか将軍ともあろうお方が、我が空軍の一士官の動向をご存知だとは…本人も光栄に思うことでしょう」

「ははは。一士官などとはとんでもない。彼女程の人材なら、どの国も注目すべからざるところだ。許されるなら、引き抜きたいくらいだよ」

「またまたご冗談を。空軍士官学校第一期首席を引き抜くなど、国際問題にもなりかねませんよ」

 論文の読み込みは副官に任せ、自分は将官として饗応役との会話に興じることにする。

「そうは言うがね大佐、毎号のように彼女の名前をジャーナルで見るのだ。一度くらい会って話してみたいと思うのは当然だと思わないかね?」

 ターシャ・ティクレティウスの発表する論文の幅は広い。今回のような純粋に技術的なものもあれば、戦術、戦略に当たるものもあるし、果ては「静止人工衛星を使った全地球通信網」などといった空想科学に近しいものもまである。しかし、そのどれもが実現可能性が極めて高く、また実現の折には世界を一変させてしまうようなものばかりなのだ。

 先程の演習で見たガトリング砲も、彼女が発表した「戦後時代の対空砲火のあり方についての一考察」という論考に可能性が示されたところだ。その論文では小口径から大口径までの対空砲の射程と密度によって重層的な防空圏の形成を論じつつ、高密度な対空砲として過去の技術の転用を示し、更に次世代の外縁迎撃のために〝誘導弾ミサイル〟なる概念を発表していた。共和国軍内部での検討でも論考は理に適っており、誘導弾も十年程で実現が可能だろうと推測された。

 それまでもティクレティウス名義の論文は数多く、そして影響力が大きかったため、ある種の共同ペンネームのようなものではないか、とも言われたのだが、調査の結果、実際に戦後の空軍士官学校第一期首席卒業生であることが判明し、その後も慎重に追跡が行われている。

 実在の人物であるならば、と、将軍も合州国訪問の折に面会を申込んだことがあったのだが、残念ながら予定が合わずに面会は叶わなかった。しかしその後も数度の申込みが流れたり、他の誰が申し込んでも面会ができなかったりとなると、いよいよ話はきな臭くなってくる。

 航空研究開発軍団の中枢で機密を多く知る立場だけに合州国側が神経質になっている面はあるにしろ、相互技術交流の場を設けてすら接触できないとなると尋常ではない。そこまでの機密保持がされる人物となると、戦後同盟国に引き取られた一部の旧帝国の技術者くらいしかいない。

「何分、ティクレティウス少佐は空軍でも重要かつ多忙な立場ですからね。我が空軍の将官でも、簡単には面会できません」

 毎月のように論文を発表するということは、それだけの知的作業を行っているということであり、論文の執筆だけではなく、実際の技術開発にも関わっているティクレティウス少佐のスケジュールは極めてタイトなのだ、と饗応役は説明する。

「それにしても、例えばこちらの技術者に対するレクチャーの場を設けてもらう、といったことはできないものだろうか?」

「連合王国や連邦共和国の技術士官との交流は行っておりますよ」

 笑顏でそう返される。

 つまり、接触したければ条約機構軍に復帰しろ、ということか。

 政治、政治。

 彼らと我らの間の政治的スタンスは余りにも食い違っている。

「合州国と連合王国は、どうにも連邦共和国を信用し過ぎている、と大統領はお考えです」

「小官は一大佐に過ぎませんので政治についてはお答え致しかねますが……大戦はもう終わったのですよ。旧帝国は解体され、今や連邦共和国は大切な同盟国の一つです。共和国は些か拘り過ぎなのではないですか?」

 何が拘り過ぎなものか!

 あの帝国ライヒ、あの戦争機械と国境を接することの恐ろしさは、海を隔てた連中には永遠に分かるまい。今でこそ分割され、往時の力を失っているとは言うものの、連中の再軍備には共和国は最後まで反対だった。対連邦の防波堤としての必要性が認められた今日でも、連邦共和国の軍備武装には一定の制限をかけるべきだとの主張は根強い。

 叶うなら、大陸軍事裁判など行わず、徹底的に帝国を解体したかった。二度と覇権国家を夢見ることもできぬよう、小国家群に分割し、悪魔の如き参謀将校たちを根刮ぎにすることこそが、共和国の平和と安寧には不可欠だったのだ。

 それがどうだ。

 大陸軍事裁判は茶番劇となり、帝国はその過半を連邦共和国として残し、現在もなお欧州の一大勢力となり得ている。

 対連邦・対共産主義という名目で積み上げられた軍事力は、かつての参謀将校たちによって編成統率され、その鋭鋒は些かも損なわれていないではないか。

 帝国を敵として手を携えていた筈の連合王国・合州国はいつの間にか連邦共和国構想の支持に回っており、そのあまりの手際の良さは、ある種の疑いを抱かせるに充分であった。


 連中は帝国の残党と結託している。


 その疑惑は、特に自由共和国に属していた者達にとっては許しがたい裏切りだった。戦後再建された共和国が合州国や連合王国と距離を置き始めたのは、彼らが構想する戦後世界秩序に元帝国の影がちらつくことが、その要因の一つと言っても過言ではない。

「我々としては、なぜ合州国や連合王国が、それ程までに簡単に彼らを信じてしまえるのか…そちらの方こそを理解し難く思うがね」

「信用するには相応の理由が必要であると?」

「当然だろう」

 僅かに首を傾げた饗応役は、建前を滔々と述べてきた。

「既に戦犯は裁かれましたし、〝帝国ライヒ〟も存在しません。今あるのは生まれ変わった新しい国です。疑いを抱くよりも、信じて手を携えるべき相手ではありませんか」

「その新しい国を率いているのも、旧帝国の高官だった者たちではないか」

 堂々巡りだ。向こうは看板がすげ変わったのだから新しい国だと言い、こちらは看板が変わっただけの同じ国だと言っている。この点について、共和国との意見は決定的に一致しない。

 饗応役の表情も、困った駄々っ子をあやす親の如きだ。

「知識と経験を持った官僚がなければ国は動きません。戦犯とならなかった者たちには罪はないのですよ」

 嗚呼、だから大陸軍事裁判は茶番だというのだ。あれは戦犯を裁いたのではない。僅かな生贄と引き換えに、免罪符を濫発したのだ。

 恐るべきゼートゥーア。己の身を捧げて彼はライヒを救ってみせたのだ。

 内部の裏切り者、帝国への協力者を粛清するのにかまけて、帝国の意図に気づかなかった失策は認めよう。気づいてみれば大陸軍事裁判は終わり、多くの首脳たちが免罪され、大手を振って新国家の中枢に地位を得ていた。

 そしてその状態を是とする合州国と連合王国。

 何度訴えても、裁判のやり直しや追加の審理、新たな戦犯の起訴は一切認められなかった。

 ルーシー連邦との新たな対立に心を奪われているのだとばかり思っていたが、いつしか共和国も気付かされた。その対立を、何者かが利用しているのだと。戦後に生起するだろう新たな対立を予見し、その中での〝帝国ライヒ〟の役割を規定し、両国に売り込んだ奴がいたのだ。

 恐るべきゼートゥーア。死してなお共和国を扼し続ける帝国の亡霊よ。そして死者に率いられる亡者の軍団の恐るべきか。彼らは合州国・連合王国の暗默の後ろ盾を得て、今も帝国再建に向けて活動している。

 共和国も独自に情報部を動かして彼らの動向を探り、場合によっては実力行使も辞さぬ決意ではあったが、連合王国や合州国の同業他社カウンターパートの有形無形の妨害は厳しく、殖民地問題の方が直近の課題として死活的なこともあり、対応は低調だ。

 なぜそこまで合州国や連合王国は帝国の残党共に肩入れするのか。

 確かに対共産主義という目的を共有しているにしろ、その肩入れ具合は、些か度を越している。まるで何かを恐れているかのように。

 まさか死んだゼートゥーアの亡霊を恐れているわけでもあるまい。

「戦犯とならなかった者たち、か。合州国では元帝国技術者が隨分活躍しているそうだからな」

「我が国は移民国家ですので、優秀な移民は歓迎されるものです」

 厳しい監視下に置かれているとは言うものの、彼らは合州国で様々な科学技術の発展に寄与している。

「それに、元帝国の方々を受け入れているのは、共和国も同じでは? 外人部隊には随分と元帝国軍人が在籍しておられると伺っておりますよ」

「はて。外人部隊は〝前歴不問〟が伝統だからな。どこから来た者かなど把握はしておらんよ」

 勿論建前だが。彼らの中には帝国でかなり暴れ回った者もおり、共和国での戦術評価や戦技評定に大変役立ってくれた。

 そういう意味では、共和国も旧帝国から利益は得ている。

 だが、それだけでは足りない。連合王国や合州国の態度は、その程度では説明がつかない。

 何か、まだ大きなピースが足りていない。

「ティクレティウス少佐も――」

 話題を、件の少佐に戻す。饗応役も面倒な政治から話が逸れて、安堵の様子が見えた。

「――ティクレティウス少佐も、移民だとか?」

「どこでお聞きになられたのか存じませんが、移民だったのは彼女の親の世代ですよ。彼女自身は生粋の合州国市民です」

 間髮入れぬ否定。

 将軍とて、彼女の経歴くらい押さえている。ウィスコンシナ州の帝国からの移民の家庭に生まれた孤児。そして長じて飛び級で空軍士官学校に入り、最優秀の成績で修了し、以後、空軍の発展に多大な貢献を果たす。

「それは失礼。何分、彼女の身上については、業績ほどには詳しくないものでね」

 そうなのだ。空軍に入ってからの華々しい活躍に比べ、それ以前の生い立ちは漠然とし過ぎている。確かに彼女が暮らした孤児院や引き取られた養父母、通った学校は実在し、書類は完璧だ。しかし、人々の記憶や証言は実に曖昧だ。写真の一枚も見当たらないのはなぜなのだろうか。

 そして、頑なに拒否される面会。

 嗚呼、この恐るべき想像が、妄想であって欲しい。

「業績も、公開されたものが全てではないようだが」

 鋭く睨みつけてみるが、饗応役は涼しい笑顏だ。外交に携わる武官がこの程度で尻尾を出す筈もなし。

「今回の演習、大変興味深かった。彼女の発案したターボシャフトエンジンがヘリコプターの技術的課題の克服に繫がったのだろうが、それ以外にも、戦術面での貢献も大きいのではないかね?」

「どうしてそう思われたのですか?」

「彼女が以前発表した、新しい空挺戦術についての論考のことを思い出した」

 彼女がまだ駆け出し尉官だった頃、隨分と以前の話だ。

 あの論考は、当時既存の空挺戦術を分析して長所と短所を洗い出し、短所を埋め長所を伸ばすための技術開発の方向性と、将来的な空挺戦術のあり方を論じていた。

 その中の一つのアイデアが、今回の戦術に似ている気がするのだ。

「済まない、記憶が定かではないのだが…なんといったかな」

「『空中騎兵隊構想』です、将軍」

 論文を読み終えていた副官の大尉に水を向ければ、当意即妙に答えが返ってくる。

「そうだ。それだ」

 魔導師のように自在に空を飛ぶ飛行機械に兵を乗せ、中隊から大隊の兵力をピンポイントに空から集中投入する、という話だった。

 当時は技術がまるで追いついておらず、空想小説の類という扱いだったが、年月が過ぎて今目の前で実演されてみれば、まるで航空魔導師による斬首戦術を科学技術で置き換えたような、既視感溢れる作戦になっていた。

 将軍にはライン戦線司令部を襲う〝空中騎兵隊〟の姿が幻視されるのだ。

「隨分とティクレティウス少佐の論文を精読されているようで、驚きです。確かに今回の演習はかの『空中騎兵隊構想』に範を取ったものですが、少佐自身は直接関与はしておりませんで、〝助言〟に留まっております」

「〝助言〟とは些か迂遠に思えるが」

 あれだけの論文を書いた人物が直接関わっていない、というのは将軍には不合理にも思えたのだが、饗応役は「お恥ずかしい話ですが」と前置いて、こう続けた。

「空中騎兵隊は陸軍の管轄でしてね」

 空軍大佐の階級章を付けた饗応役は、軽く肩を竦めてみせた。

 元々の構想者が最後まで指揮を取れば良いものを、なんと身内の陸軍に対してもティクレティウスは隠匿されているのか。

「空軍におけるヘリコプター運用の研究開発がティクレティウス少佐の本業ですもので」

 将軍は副官に目配せするも、副官は首を捻って憶えがない、と態度で示す。将軍にも記憶がなかったので、敢えて問うてみた。

「その〝空軍におけるヘリコプター運用〟というのは、どういうものかね。差し支えない範囲で教えて貰えるとありがたいのだが」

「いずれ形になった後に、また公開される予定です」

「まだ形になってないのかね?」

「鋭意研究中、としか申し上げられません」

 やんわりとした拒絶。

 先ほど見せられた陸軍による見事な展開。これをなし得た合州国が未だ研究中の新戦術に、興味が無いと言えば噓になる。

「既に完成していて、我々には隠蔽されているのではないかね?」

「ははは。どの国にも軍事機密というものはありますでしょう」

 共和国が合州国に対して隠しているものもある。そういう意味では確かにお互い様なのだが、明らかに軍事技術で遅れを取っている、さらに合州国が先を進んでいるとあっては、焦燥がいや増すばかりだ。

「ヘリコプターの運用については海軍も独自に研究開発を行っていますよ。こちらは艦載機としての運用になりますが」

 む、と将軍は押し黙る。核心の部分は避けて、出せる情報をばら撒いてこちらを煙に巻こうというのだろうが、得られるものは得なければならない悲しい懐事情だ。

「陸海空、どの軍種でも広く使える汎用兵器というわけですね、ヘリコプターは」

 ぱっと将軍が思いつくだけでも、今回の陸軍の展開を揚陸艦からヘリコプターで行う、といった応用があるだろう。

「そう遠くない将来、ヘリコプターによって、魔導師の仕事は完全に代替されるでしょう」

 ちょっと言いにくそうな饗応役の目が向けられていたのは、将軍の胸元に儀礼的に下げられた共和国制式演算宝珠だった。

 工業技術によって、同じ性能の機体を何十機、あるいは何百機と生産できるヘリコプターは、科学技術の進歩に伴って性能を向上させていくことだろう。先ほど見せられた武装型ヘリコプターは、確かに熟練の航空魔導師に比べれば一歩も二歩も劣るものかも知れないが、その数は熟練の航空魔導師を遙かに上回ることができる。不確かな人間の才能に頼らざるを得なかった魔導師に比べれば、質と数を揃えられるヘリコプターは、陸で、空で、海で、魔導師が担っていた仕事を速やかに代替していくことだろう。

 なるほど、これこそが、合州国が見せたかったものか。

 魔導師の決定的な陳腐化、新時代の幕開け。

「これがティクレティウス少佐の描く未来、か……」

 科学と技術に満たされた、魔導なき世界。

 凡百の魔導師には想像もつかなかった未来図。一見して軍事魔導が不要にすら思える未来。価値の著しく下がった魔導師に対する警戒心は、下がらざるを得まい。

 

 ああ、そうだろうとも。

 一体どのような魔導師がガトリング砲に抗し得ようか。正面戦力としての魔導師は死んだに等しい。歴史の中に消え去るのみだ。

 もうあのサラマンダーの影に怯える必要もない。

 その甘美なメッセージに、誰が抗えようか。

 議会が、そして参謀たちが、こぞってそう主張する未来が見えるようだった。

 ふと視線を走らせれば、自分の副官はいたく感銘を受けた様子で、抜き刷りにメモ書きをしている。

 確かにヘリコプターは強力な兵器だ。共和国でも急いで追いつかねばなるまい。そのために予算や人員を投入しようとすれば、何かしらを犠牲にせざるを得ず、その矛先が魔導師に向けられるのは自然というものだ。一歩間違えれば、魔導師部隊は共和国から消え失せてしまうだろう。

 だが、それこそが罠だ。

 自身が熟達の魔導師であり、血みどろの大戦を生き抜いた将軍の感性が訴える。魔導師は、表舞台から姿を消すだろう。では、裏舞台では?

 空中騎兵隊は、それを覆い隠すための巨大な迷彩だ。実利を伴っているだけに、厄介極まりない。

――なんとか、コマンドー部隊だけでも生き残らせねば。

 将軍は決意する。

 この巧妙に作られた大きな潮流に逆らうのは難しい。だが、なんとしてでも為さねばならぬ。そのためには、敢えて禁を破ろう。

 〝前歴不問〟を謳う共和国外人部隊に在籍する元帝国魔導師。奴らを、共和国の魔導師生き残りの策として活用しよう。

 汚名を浴びてでも、共和国百年のために為さねばならぬことがある。


 その彼らが相次いで退役し、合州国のとある民間企業へ転職することを将軍が知ることになるのは、もう少し先のことであった。

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