第6話Re;

 ~白夜side~


 5日目。6日目。7日目。学校のあるなしに関わらず、東雲先輩の家へと行き、誰もいないという日を宇佐美先輩と共に過ごした。

 お互いメールも送り、電話をかけて、そしてそのすべてが無意味に終わった。

 嫌な予感は予感を超えて俺の現実に浸食を始め……。


 そしてその知らせは唐突に。なんの前触れもなく俺のところにやって来た。


 今、宇佐美先輩と共にタクシーに乗っている。

 行先は県内にあるクリスチャン系の大きな病院。車内は沈黙と焦り、そして絶望で満ちている。


 緩やかな力で体を引っ張られ、タクシーがブレーキをかけたことに気が付いた。会計を告げられる。ポケットから財布を取り出そうとして落とした。焦っているはずなのに、俺の動きはひどく緩慢で、宇佐美先輩もそうだった。


 その病院の最上階。

 

 彼女は、東雲先輩はそこにいた。 

 

 彼女は、静かに眠っていた。


 そしてそこは……。ホスピス――終末医療――この世の人間が最後を迎える場所だった。

 きれいだった。あまりにも。点滴もなく、呼吸器もなく。入院患者のほぼ全員がつけられはずのものはなにもつけられていなくて。それが否応なしに俺に現実を訴えてくる。


 俺たちはただひたすら立っていた。それしかできなかった。


 そして彼女は目を覚ました。


 そして……。

「そこに誰かいるのかな?」

 俺たちが立ち尽くしているドアのところに視線を向けて、まるで何も見えていないかのように告げた。

 嗚咽交じりの、悲鳴のような泣き声が聞こえる。すぐに隣にいる宇佐美先輩もものだと分かった。

 当然東雲先輩も気が付いて

「……緑ちゃん?」

 なぜ目の前にいる人のことを疑問形で尋ねるのだろう。

 それで泣き声は悲鳴になった。

 宇佐美先輩はゆっくりと東雲先輩に近づき、そっと抱きしめる。壊れそうなものを壊さないように優しく……優しく。

「この香りは緑ちゃんだね」

 抱きしめ返すことなく言葉だけを紡ぐ。

 いつもより弱弱しい――儚い笑顔で。

 俺はただ見ていることしかできなかった。


 ~白雪side~


 私が入院してから1週間と1日が経った。体感では3日目だけど。

 日増しに私の体の自由が消えていった。

 最初は耳だった。まだかろうじて聞くことができたのに、今はなにも聞こえない。

 次は目だった。次第にお部屋が暗くなり、気が付いたら真っ暗だった。

 そして頻繁に貧血を起こすようになった。もう満足に歩くことすらできない。

 

 お母さんは毎日、お見舞いに来てくれた。

 毎日、私の進んでいく症状に泣いていた。

 それが一番悲しかった。


 そして今日。お母さんが学校に私のことを説明しに行ってくれた。

 

 なにも聞こえない耳ではうまく説明できているのかわからないから。

 なにも見えない目では学校まで行くことすらできないから。

 満足に歩くことすらできない私は少しの段差も避けられないから。


 そして笑顔でいることはきっともうできないから。

 

 なのに……。ふたりはそこにいた。


 見えないし、聞こえないから。

 確認した。


 でも。

 見えなくたってわかる。

 聞こえなくたってわかる。

 大きな声で泣いている、抱き着いてきたのは緑ちゃん。

 入口のところに立って、なにもできないと考えている人は一色君。


 だから言わなくっちゃ。

「ありがとう」

 と

「さようなら」

 を、ね。

 笑顔で、ね。

 できるよね?私。




「私もう死んじゃうのかなぁ?」

 でも出てきた言葉は違った。

 表情も笑顔じゃなかった。

 見えない瞳から涙が出てきた。


 だったらあの人に。彼に渡したいものがある。

 その人はひどく不器用で。悲しい過去にとらわれていて。

 そして私にとってなによりかけがえのない人だから。


 そっと緑ちゃんが離れたのがわかった。長いお付き合いだからきっとわかったのだろう。


「一色君。こっちに来て」

 声はちゃんと出ているだろうか。

 彼に聞こえているだろうか?

 私のところまで来てくれるのだろうか?


 ~白夜side~


 彼女は見えない瞳に涙をためていて。

「一色君。こっちに来て」

 儚い笑顔で俺を招く。

 そっと宇佐美先輩は部屋から出ていった。


 白い部屋。

 ふたりっきり。

 喧噪もここには届かない。


 俺はよろよろと彼女の元まで歩いていく。


 彼女はとても器用で。とても美しくて。

 そして俺にとってなによりもかけがえのない人だから。


 彼女の元までたどり着いた。

 彼女は何度も何度も体を起こそうとする。

 何度も何度も体を起こすことができなくて。

 それでも……俺は手を貸すことができなくて。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 ついに彼女は体を起こした。

 隣に座るよう、弱弱しく手を動かす。


 俺はそっと腰を掛けた。

 ベッドがきしっと少し音をたてた。


「愛するってね。こうやってするんだよ」

 そう言って頭ごと抱き締められた。

 柔らかな感触。暖かな感触。

 そして微かに香る雪の香り。

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