第3章 彼から彼女へ
第1話 白夜の1週間と長い1日
~白夜side~
「はい。じゃあ13時に駅前で」
電話を切る。
なぜか明日東雲先輩と買い物に行くことになってしまった。
あの必死な顔でお願いされたら誰だって頷いてしまう。
長い1日だったと思いベッドに横になる。
思い出すのはこの1週間の先輩の行動と自分の気持ち。
バザーで顔を合わせたのをきっかけに東雲先輩と宇佐美先輩が昼飯の時に学食まで来るようになった。
東雲先輩は必ず隣に座って話しかけてくる。
宇佐美先輩はそれを東雲先輩の隣で聞いていた。1回も口を挟んだことはない。
てっきり施設にいることを突っ込んで聞いてくるかと思っていた。そしたらいくら東雲先輩でも、思いっきり突っぱねるつもりだったのに話題はいたって普通の友達同士がするような内容だった。
最初の1日は話しかけられても本から目を離さなかった。それでもなんとか会話をしようとしてくれた東雲先輩。
学食を出るときに瞳を伏せていたことが頭にこびりつき、寝る前にその光景が頭によみがえってきてすごく悪いことをした気分でなかなか寝つけなかった。
次の日もやはり先輩たちはふたりで学食に来ては東雲先輩が俺に話しかけた。
罪悪感に近いものを感じて本を閉じたときの東雲先輩の嬉しそうな顔は今でもはっきり覚えている。
それでも友達なんていない俺はどんな話をしたらいいのか分からなくてただ相づちを打つだけだった。
本の中や教室、学食でもみんなテンポ良く会話をしているのに俺だけできない。
今まで人を遠ざけることしかできなかった自分に相応しい罰だと思った。
それでも東雲先輩は柔らかい微笑みを絶やさないで相づちと、たどたどしい俺の言葉を聞いて嬉しそうにしてくれた。
そして決定的な出来事が起きた。
俺にとっては、まぁいつものことだった。男子のやっかみを買いそれが直接的な暴力になっただけだ。
男子たちに囲まれて、話を聞くにどうやら東雲先輩は人気があるのか、単にそいつらが東雲先輩のことが好きなのかの2択に絞る。
どっちでも関係ないことだった。
ふいに胸ぐらを掴まれて引き寄せられた。
いつもように「分かりました。もう近づきません」で済ませるはずだった。
「お前には関係ないだろ。手を離せ」
なのにそんな言葉を言い放ち合気道の要領で胸ぐらを掴んでいた男を投げ飛ばしていた。
一瞬「やばっ」と思ったが時すでに遅し。
周りの奴らが怒鳴りながら殴り込んできて大きな喧嘩になる。
殴ったり殴られたりしながら、頭の中では「俺、なにやってんだろう」なんて考えていた。
すると突然腹に蹴りが飛んできた。
かわすことも防ぐこともできずに腹に相手の靴の爪先が刺さり込む。
息が止まった。うまく呼吸ができない。「このまま床に倒れこんだら袋にされるな」なんて思いながらもお腹を庇うように足は勝手に膝をついていた。
そのときだ。いつもの甘い声はどこへやら。
「やめて!これ以上一色くんをいじめないで!」
なんて泣きそうな声で走ってきたのは東雲先輩だった。
そのまま覆い被さるように抱き締めてくれる。
そしてそのまま泣き出してしまった。
それが1番頭にきた。誰だ。この人を泣かせたのは。誰を殴ればいい。立ち上がろうとしたところで、それ以上の力で東雲先輩は抱き締めてくる。
初めて人に庇われた。それはとても暖かかった。
泣かせたのは自分か……と気がついてしまった。
やり場のない怒りとはこの事かと実感していると騒ぎを聞き付けた先生たちがやって来て全員連行していく。
これだけ大騒ぎになれば停学も仕方ないと諦めていた。
「待ってください!一色くんは被害者ですよ!先に保健室に連れていってあげてください!」
東雲先輩は俺の手を痛いぐらい握りしめ叫ぶ。
結局東雲先輩も目撃者として連行された。
俺はひとりで、向こうは多数だったこと。先に手を出したのが向こうということで反省文のみで済んだ。
事情を聞かれているときも、怒られているときも、反省文を書いているときも、保健室で応急処置をしてもらっているときも東雲先輩の泣き顔が頭から離れない。
なによりもう昼に学食に来てくれることもなくなるだろう。それが1番悲しかった。
いつの間にかそれを楽しみにしている自分がいたことに初めて気がつく。
「大事な物は無くしてから気がつく」とは良く言ったものだ、と感心しながら廊下を歩いていた。
泣き声が聞こえた。
涙でぐしゃぐしゃの顔で俺を見上げる東雲先輩がいた。
「なにしてるんだろう」とか「待っていてくれたのだろうか」とかよりも顔を見られたことに心の底からなにかまだ知らない感情が沸き上がる。
殴られた痛みより「この人が泣いている」ということが1番痛かった。
「そんなに泣かないでください。俺は大丈夫ですよ」
だからだろう。すっと一言目が出てきた。そして庇ってくれたことにありがとうを伝えようとした。ところがあまりに涙で顔がぐしゃぐしゃだったので黙ってポケットからハンカチを出し涙を拭ってあげる。
泣き止んだのを確認してから
「庇ってくれてありがとうございました。こういう時、どうしたらいいか分からなくて……。すみません……」
改めてありがとうを伝える。
なのに逆に謝られてしまった。
だからお願いした。
いつも通り笑った欲しい、と。
それを聞いた東雲先輩はいつもみたいに柔らかく微笑んでくれた。
そしてそのままお家までお邪魔してしまった。人の家に招かれるのは初めてで苦労した。
東雲先輩が着替えに2階に上がっていく。
東雲先輩のお母さんがお茶を持ってきてくれた。頂きますと伝えて口をつける。
「ハーブティーですね。美味しいです」
素直に感想を伝える。
「白雪が男の子を連れてくるなんて初めてだから奮発してみたのよ」
東雲先輩によく似た柔らかい微笑みで同じようにハーブティーに口をつける。
「あぁ親子なんだな」って思った瞬間だった。柔らかい微笑みは母親譲りだったのかと感心していた。
それから少し話をする。やたらと俺を彼氏にしようとするのに困っていると、東雲先輩が止めに入ってくれた。
東雲先輩を見る先輩のお母さんの瞳は優しさに溢れていて、それは俺が求めても手に入れられなかったものだと気がついた。
世の中のほとんどの人がもらえて、俺みたいにもらえないひともいる。
それ親の無償の愛。それを東雲先輩の部屋に入って1番最初に目に入った写真からも感じてしまって居心地が悪くなってきた。
そんな俺にあえて踏み込まない東雲先輩。そんな距離感が心地よい。
時計が鳴った。午後5時。そろそろ帰らないとまずいということで帰らせてもらうことにした。
そのときに明日買い物に行く約束をした。正直、楽しんでもらえる自信はなかったけれども、なぜだか断りたくなかったのだ。
玄関で東雲先輩もそのお母さんも暖かく見送ってくれた。
帰り道に思ったこと。
初めて抱き締められた感触。暖かかった。
握られた手。震えていた。
踏み込まないでくれる関係。心地よかった。
そして今。
電話を終えて1週間を振り返って思うこと。
あの人なら。俺のことをもっと知ってもらいたい。
安い同情なんてぜったいにしない。
きっと心から悲しむだろう。
悲しませたくない。それでもそれを話さなければ俺は、俺と先輩は先に進まない。
だから話してみよう。
傷つくかもしれない。
それでも話してみようと思い目をつぶった。
あの先輩の柔らかい微笑み。あれを思い出すと心がざわつくのに落ち着く。そんな不思議で初めての体験。
これがもしかしたら……というものなのかもしれない。
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