5. 到着


 僕は何とか吉井さんとはぐれずに電車に乗ることが出来た。


 吉井さんは、時々振り返りはしたが、足を止めることも、歩調を緩めることもせずにホームまで歩き続けた。

 だから、僕が彼女に追いついたのは、ホームに入って、乗降口の前で彼女が足をとめた時だった。


 そして今、ようやく僕は彼女と並んで電車に揺られていた。


落ち着いたので、聞いてみる。


「・・・あの、吉井さん。今更なんですけど、どこへ行くんですか?」



「うーん?それはね…。」


ふふふっと笑って彼女は僕の方を向いた。

がばっ という効果音が聞こえてきそうなくらいの勢いだった。


「その前に、名前!」


 質問に答えてくれるのかと思いきや、彼女の口から出たのはそんな言葉だった。


「え?」

驚く僕に、


「なんで、ヨシイさんって呼ぶの?」


せっかくミズノって名乗ったのに…と彼女は膨れていう。



「いや、・・・あまり知らない男子に下の名前呼ばれるのって嫌かな、と。」

取り繕うように言ってみたが、うそだ。

彼女はそんなことは気にしないだろう。


僕は女子を苗字でしかよんだことがなかった。

下の名前で呼んで、と言ってくれるような女友だちもいない。

だから、本当は僕自身が下の名前で呼ぶことをためらっているだけだ。



「もうー。そんな事気にしなくていいのにー!」

予想通り彼女は言った。そして続ける。



「確かに、よくは知らないけど…全く知らないわけじゃないし。

危ないところを乗り切った仲じゃない。ほら、吊り橋効果?みたいな?」


吊り橋効果・・・

それはもっと恋愛系の錯覚の話だったはずだ。


「それはちょっと違うんじゃ…。」

戸惑って言う僕に彼女が笑って言う。


「まあまあ、いいじゃない。 そんな事より。ほら。」


「ほら?」


つながりが読めず、思わずそのまま聞き返してしまった。


彼女が僕を見て言う。


「‘’ミズノ’’・・・っはい。」


ああ、そういうことか。

繰り返せと、口調と表情が言っている。




「……みずの、さん」


さすがに先輩を呼び捨てにはできないから、

さん付けで僕が呼ぶと、「よくできました。」と彼女は満足そうに笑った。


「私はヒロくん、って呼んでるのに、きみには吉井さんって呼ばれるなんて、やっぱりさみしいじゃない?」


嬉しそうな笑顔だ。




まったく、この人は。



危機感の全く見られない笑顔に力が抜ける。



そんな彼女に声をかける。

「あの、み……瑞乃さん?」


ちょっと詰まってしまったのは許してほしい。


なあに。という彼女に言う。


「その……。」


この複雑な気持ちをどういえばよいか。

自分で話しかけたくせに、口ごもってしまった。


「……そういうこと、誰にでも言っちゃうんですか」



「そういうこと?」


 口からこぼれた言葉はとても小さかったが、彼女には聞こえていたようだ。

例えば?と、分かっているのかいないのか、首をかしげて聞いてくる。


「……だから、つり橋効果とか、さみしい……とか。」

あと、その笑顔とか。


これは心の中で付け足した。絶対に言わない。


彼女を見るが、相変わらず ふふっと笑っているだけだった。


いや、そもそも今日だって

「……だいたい、今日だって!」


「今日?」

ようやく彼女が口を開いた。

どうして今更?という表情だ。


「……今日だって、僕を呼び出して。」


2人きりだし……

これは口に出たような出ていないような


「その……危ない、と、思わないんですか?」


もちろん、そんな危ないことをする気もないし、

仮にその気があっても、行動に起こす勇気もさらさらないが。



「あぶない?」


彼女がさらに首をかしげる。


――ああもう。

「だから、その……し、下心があったらどうするんですか。」


言いながら恥ずかしくなってきた。

なんで僕はこんなことを言っているんだろう。


顔が熱い。きっと僕の顔はいま、モミジのように赤くなっているに違いない。


そんな僕を見て、彼女は

「下心?」

聞いてきた。


仕方がないからうなずく。


「君が?」


もう一度。うなずく。


彼女はしばらく考えるな仕草をして、


そのあと笑い出した。


そして、


「あのねえ。下心がある人はそんな風に赤くならないわよう」


と、からかうように言った。




……やっぱり、言わなければよかった。


僕は目を逸らした。


もともと、多くしゃべるのは苦手だし、まして自分の主張なんて、いつもなら絶対に言わない。

言ったところで、みんな興味ないだろうから。


それなのに、言ってしまった。


どうも、彼女と話すとき

僕は普段なら思うだけで口に出さないことまで言ってしまうようだ。


なぜだろう……。調子が狂う。



ひとり気まずくなって黙った僕に、彼女が言う。



「……でも、心配してくれたんでしょう?ありがとう。」



そういって、僕を見て、今度はにっこりと笑った。




――ああもう、やっぱり。


今日、来ることが決まった時から

――いや、むしろ最初からか

わかっていたことだが、その笑顔を見て僕は思った。



やっぱり、僕は彼女には敵わないらしい。




     ◇◇◆◆◆◇◇


目的の駅に着いたらしく、僕は彼女に促されてホームへ降りた。


結局、どこへ行くのかは聞けていない。


電車の中での会話の途中で、そのことには気づいていたが、話を遮ってまで、もう一度聞くことは僕にはできなかった。


そもそも、僕の問いかけに答えずに、話を変えたのは吉井さんだから、

僕には話題を戻す権利があったはずだ。

でもできなかった…これが僕だ。


まあ、どちらにしてもここまで来たらもう行くしかないのだから。


そう諦めて僕はただ彼女についていくことにした。


ここは僕が初めて降りる駅だった。

名前は聞いたことがあったが、いつも通り過ぎていた。


――こんなところだったんだ。


特に大きな商業施設とかは見つからないが、人通りが多く、なんだかにぎやかだった。

家族連れから若い男女、いろいろな人たちとすれ違う。


「今日行くところはね…もうすぐわかるから。」


最初の僕の問いかけを覚えていたか彼女は言った。

珍しそうにあたりを見ていた僕が気になっただけという可能性もあるけれど。



しばらく歩いているうちに、ひとつの建物が見えてきた。


見えてはきた。

だけどまさか、ここ?


「着いたわ!」


じゃーん という効果音にジェスチャーを付けて彼女がそれを示す。


そこには「□□高等学校」と書いてあった。


「文化祭です!」

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