2.季節外れに鳴くセミは


「いったーい…。」


 マンガ並のきれいなダイヴをみせた彼女が腰をさすっている。とんでもない高さから落ちたわけではないし、大丈夫そうだが一応聞いてみる。


「あの…。大丈夫ですか?」


「あぁ、うん大丈夫だいじょうぶ」


 とんでもない高さではないとは言っても、衝撃はそれなりにあったらしい。彼女は目に涙を浮かべながら笑っていた。


が、突然その眼が真剣になった。


「ねえ、カメラ、私のカメラは無事なのよね?」


 そうだった。僕はただ落ちてくる彼女を受けとめないで眺めていた訳ではない。まあ、受け止めようと僕が頑張ったところで助けられたかは疑問が残るのだが。今回、彼女を受け止められなかった理由がコレだった。


「ああ、えっと…はい。」


 慌てて、持っていたカメラを彼女に差し出す。カメラはちゃんと受け止めたし、どこへもぶつけていないから無事なはずだ。


 カメラを自分の元へ引き寄せた彼女は、真剣な表情でカメラの表面を確認し、続いて液晶画面を見つめ始めた。きっとデータを確認しているのだろう。


 しばらくの沈黙の後、彼女はふぅと息を吐き、そして笑顔になった。


「うん、大丈夫ね。よかった…。ありがとう少年。」

ニッと笑っている。


「あの、でもなんであんなところにいたんですか?」


 ずっと気になっていたことを聞いてみる。僕を「少年」と呼ぶくらいだし、見た目的にもちょっと木に登りたくなった、という年齢ではないはずだ。


「え?あぁ…セミをね、とっていたの。」


 さらっと言われた彼女の答えに驚いた。


「えっ、カメラを持ったままでですか?。」


 自分のことよりも大切にしているようなのに。そう思って尋ねると、彼女は驚いたように目を見開き、しばらくして笑い出した。


 ひとしきり笑って、息を整えた彼女が言う。


「あはは。えぇーちがうわよぉ。セミの、写真を、撮っていたのよ。カメラを持って蝉取りする訳ないじゃない。」


 言いながら、また面白くなったようで彼女はしばらく笑っていた。


「ほら、これ。よく撮れているでしょう?」


 今度こそ笑いの発作が収まった彼女が写真を見せてくれた。


 秋に入って葉が落ち始めた木の枝を背景に、セミが絶妙なアングルで撮られている。


 たしかに、よく撮れている。僕には写真の知識なんてものはないから、気がする、程度だが。


「あの、すごくきれいだと思います。…詳しくはわからないけど。」


 少し悩んだが、正直に伝えることにする。


「でしょでしょ!」

 彼女は嬉しそうだ。



「でも、なんでセミなんですか?」


 思わず追加で聞いてしまった。ズルズル話を続けてしまっている。そういえばうちに帰る途中だった。

 そろそろ切り上げて帰ろう。そう思っていたのに、彼女の予想外の答えに僕はまた帰れなくなる。


「それはね、今が秋だから。」

 今までとは違う、静かな口調で彼女は言った。


「・・・・・・え。」


 言葉に詰まった僕に、彼女はもう一度言った。


「だから、秋だからよ。もう秋なのに、セミが鳴いていたから。」


 秋にセミが鳴いていたから見たくなった。僕かセミを探していたのと同じ理由。気になった。もう少し聞いてみたいと思った。


 僕の視線に促されるように、彼女は続ける。


「私ね、秋になって鳴き続けているセミを見ると、頑張らなきゃって思うの。」


しかし、彼女の言った言葉は、予想外だった。


え・・・、それは、どういう意味ですか。


 そう聞こうとした。でもうまく声が出なかった。僕は固まってしまったが、彼女は話し続ける。もともと相槌は期待していなかったようだ。


「秋になって、1匹になっても鳴いているセミって、絶対生きてやる!って言っているように思うの。」


 そういって、きっちりと縛って髪をとめているゴムに手を伸ばす。おそらく、木に登るためにまとめていたのだろう。

 髪をほどいて頭を振った。想像よりも長めの黒髪が、風に流されてたなびく。



ねえ。君もそう思わない?



 彼女はそう言って笑った。


 自信を表すような、満面の笑み。

 背後に見える夕日が、彼女を美しく照らしていた。




 これが、僕と彼女の出会いだった。



 僕は今日もその道を歩いている。先日、彼女と会った道だ。今日はもうセミは鳴いていない。


 秋に一匹で鳴くセミ。


 彼女が、生きてやる!と言っているようだと言ったその声は、僕にはさみしいと泣いているように聞こえていた。1匹取り残されて、仲間を探しているように。

 

 だから僕は秋のセミの声を聞くと寂しくなる。


 セミはそんなこと考えていない、何を言っているんだ、と笑われてしまいそうで、誰にも言ったことはなかった。

 だけど、秋に鳴くセミを撮りたいという彼女の話をきいて、もしかしたら、と思った。もしかしたら、僕とおなじことを考えているかもしれない、と。



 だが、彼女の答えは正反対だった。元気をもらえると、はっきり言いきった彼女を、うらやましく思う。僕とは相入れない答え。


 どうすればあのように考えられるんだろう。

まあ、彼女とはあれから会っていないし、これからも会うことはないだろう。だから、この答えを知ることも、きっともう、ない。



 そう思っていた。しかし、僕のこの思いをよそに、僕と彼女は、とてもはやい再会を果たしたのだった。

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