秋のセミ

優木

1.出会い

 その日、僕は通学路である遊歩道を一人で歩いていた。歩道の先には公園につながる分岐がある。公園から出てきたであろう数人の子どもたちが前から走ってきた。

 僕は自分のいる位置を確認した。ちょうど歩道の真ん中だった。考える。


 ――どちらかの端によけたほうがいいかな。


 しかし、僕が考えている間にも僕と子どもたちの距離はどんどん近づいていく。結局彼らは、当然のように二手に分かれて僕の両脇を走り抜けていった。


「はやいなぁ。」


 思わずつぶやいていた。子どもたちの足の速さもだが、決断が早いと思った。自分にもあんな頃があったはずなのに。すぐに決断ができなくなったのはいつからだろう。自分の判断に自信が持てなくなったのは…?


 子どもたちは、ただ走っていただけだろう。目の前に僕がいたから避けた。別に決断するとかしないとか、誰が右にいくかとか、そんな事は考えていないだろう。その自然な反応が羨ましいと思う。


ジ…ジジ…ミンミンミンミン……


 どこかでセミが鳴いている。


 珍しい、と僕は思った。今は9月の終わりなのだ。もう秋である。暑さも真夏に比べればましになり、涼しい日も増えた。

 僕は音がする方へ近づいて行った。別にセミは好きなわけではない。むしろ嫌いである。高校と家の間にあるこの遊歩道は、両側に木が植えられていて、夏場はセミの大合唱に包まれる。それは鼓膜が破れてしまうのではないかと思うような大音量だ。鬱陶しいとさえ思う。


 しかし、僕の耳に届く鳴き声はセミ1匹分のものだ。1匹で鳴くセミの声は、仲間を呼んでいるように思えた。秋にさしかかっている今、誰にも気づかれずに鳴く、そんなセミの姿を見てやりたい。なぜかそう思った。


 セミの声が大きくなった。きっとこの辺りにいるのだろう。そう目星をつけ、数本の木のあいだに立って木を見上げた。


 セミは見つからない。見えたのは、紅や黄色に色づき始めた大量の葉だけだった。


 あの中にいるんじゃ見つけられない。仕方ないな。まぁ、そんな絶対見たいわけではないし…


 そう一人で言い訳をして離れようとしたとき、頭上からガサガサッと音がした。飛んでいくのか。それならはやく離れよう。セミが飛んでいくのは構わないが、セミは時々余計なものを落としていく。セミの落とし物をかぶることだけは避けたかった。



ガサガサ…



 予想通り、セミは飛び立った。

 しかし、僕の目の前に降ってきたのものは、僕の予想とは違っていた。


ミシッ…


 そんな音が聞こえたと思うと、地面に大きな影が映った。


同時に、


「あ…!」という人の声と、少し太めの枝が落ちてきた。

 まさか。驚いて見上げてみると、


「あーっ。少年。いいところに。」


 人がいた。女の人だ。


 危ないですよ。なにしてるんですか。なんでそんなところに。


 色々聞きたいことが思い浮かんだが、多すぎて呆然と見上げる事しかできなかった。そんな僕におかまいなしに、その人は続ける。


「あのね、これから君にカメラ投げるから、絶対受け取ってねっ。

絶対よ。取り損なったら弁償だからねっ。」


早口で言った。


「え、でも…あなたは。」

「私は飛び降りるからいいのよっ。はやくっ。足場不安定なのよ。

着地の瞬間にカメラが地面に激突とかいやだもの。」

「あ、はぁ。」


 どうやらさっきの音は、片足をのせていた枝がおれた音だったらしい。彼女の左足はどこの枝にものっていなかった。


 急いで彼女の下に行って手をのばす。


「いい?いくわよ。」


 彼女が片手を首にかけているカメラのひもに手をかけた。できるだけ僕の手に近づけようと身をかがめて手を伸ばしている。


「はい…!」


 僕もできるだけ手を上に伸ばした。あとは僕がカメラを受け取って、彼女が着地すればいいだけだった。


 その時、僕は気づいた。

「あ、でも…。」

 彼女はもう片方の手を幹にかけ、足も曲げていた。その幹にはかなり体重がかかっているだろう。


「なあにっ?」

 彼女が聞いてくる。


「そんなに乗り出したら…」

すべるのでは?


「え、あ、きゃあっ」

 僕が言い終わる前に、案の定彼女は足を滑らせた。


 


 僕はこの日、人生で初めて、漫画でもドラマでもなく、人が空から降ってくるところを見た。




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