第3話
「邪魔するよ」
広い店内にはしかし
「あら、あんたかい。残念だったね、ついさっき団体さんが来て、今頃みんなお楽しみさ」
「構わんよ、マグダレーナ。俺は君さえいてくれればそれで十分だ」
「おや嬉しい。…でも今日は愛の言葉を囁いてくれる為に来たのではなさそうね」
「あぁ、我が大隊の嚮導役だ。今宵はここでゆっくりさせてもらうとするよ」
「ま、そのうち娘たちも戻ってきて賑やかになるだろうさ」
大隊長を案内したこの酒場は、普段はもっと大勢の女達が給仕として働いている。そして、見事口説き落とした暁には、二人で宿にお出かけして楽しい時間を過ごすことが出来る…つまりはまぁ、そういう店なわけだ。だが、今日のような戦闘明けは大人同士の駆け引きよりも滾った血の発散に心が向く。俺たちが来た頃にはすでに完売御礼、残っているのは店を取り仕切る女主人と、様々な事情で本当に給仕のみに専念している女達だけだった。もっとも、それは俺の予想通り。マグダレーナ達と落ち着いて酒を酌み交わせる、この状況にあってはそれこそ願ったり叶ったりだった。
「おや、こちらの可愛いお嬢さんは?」
「おっとすまない、紹介が遅れた。こちらはターニャ・デグレチャフ中佐、我らが大隊の大隊長殿だ」
そうだ、また失念していたが、我らが大隊長殿は、一般的には幼女なのである。いや、実際に幼女そのものなのだが、戦場を共にした時からそんな思いはすっかり消え去っている。だがしかし、そんなことをここで説明しても仕方あるまい。「余計なことは聞いてくれるな」、そんな思いを込めて送ったアイコンタクトは、果たして通じたらしい。マグダレーナは、大隊長殿に笑顔を向け、一礼した。
「失礼、私はこの酒場の主人のマグダレーナよ。たいしたものは無いけれど楽しんでいってね、大隊長さん」
その店は、いかにも大衆酒場といった風情の、簡素で質素な店構えだった。意気揚々たる案内の割には至って普通、一体どんな秘密が隠されているというのか。女主人や給仕達も、器量良しの部類ではあるのだろうが取り立てて美人というわけでもない。それでは食事かと期待するも、これもまた普通。だがそのうちに、なるほど、と気づかされる。なんというか、居心地が良いのだ。会話のリズム、食事の出されるタイミング、様々な要素がオーケストラのように完璧な調和を見せている。そして、その指揮者は女主人に他ならない。さりげない仕草や一言が、全体の状況をコントロールしている。それは、見事というより他にない。
ただしかし。この状況で一つだけ、不満がある。それは、この場で私だけがビールではなく
「すまない、私にもビールを頼む」
けれど女主人は、困ったように言う。
「今はそれで我慢して。もう数年もすれば、美味しく飲めるでしょうから」
「私は軍大学を卒業した身なのだが?」
「ごめんなさいね、決まりなのよ」
…決まり、と言われてしまえば仕方ない。たしかに、法解釈にも曖昧なところがある。最終的には法の番人の判断に委ねるより他ない。そして、それによって不利益を蒙る可能性があるならば、先にローカルルールでもって規制してしまうというのはなるほど有効な一手と言える。ならばここは、ひとまず引き下がるのが大人の対応というやつだろう。
「そうか、残念だが致し方あるまい」
けれど、諦めたわけではない。法律の抜け穴というのはいくらでもあるのだ。日本の未成年飲酒規制法は、「満20歳未満の者は飲酒禁止」「保護者は未成年の飲酒を止めなければならない」「店は未成年に酒を提供してはならない」と本人、保護者、提供者それぞれに対する規制となっている。一方、ライヒの法が規制するのは、日本の法で言うならば三番目、店の提供のみ。つまり、直接提供されなければ良いのだ。机の上に並んでいるビールを、私が勝手に飲むことは、帝国法においては何ら禁止されていないのである。しかし、これも「決まり」と言われてしまえば出来なくなる。なので、女主人の目を盗み、空いたグラスに急いで注ぎ、一気に飲み干
!!!! なんだこれは! ぬるい!うすい!!まずい!!! 今世で初めて口にしたそれは、前世のそれと大きく違う。おかしい、ライヒのビールといえば、前世でも評判を得ていたはずだが…。
嗚呼そうか。これも、戦争のせいなのだ。戦争というやつは、なんといっても金がかかる。その金を国内の何処から調達するかとなると、真っ先に狙い撃ちされるのが嗜好品だ。事実、帝国では繰り返し酒税の税率が引き上げられている。更に、流通は生活必需品と軍需品が優先され、原材料の調達も難しくなる。ならば技術で工夫して…というわけにもいかない。帝国では「ビール純粋令」なる法があり、ビールの原材料に麦芽・ホップ・水・酵母以外のものを使うことが禁止されている。そして、この法の下で原材料不足と税率アップに対応するには、水を増やすより他にない。かくして薄い、まずいビールの出来上がり、というわけだ。
「ね、美味しくないでしょ?」
女主人がクスリと笑う。なるほど、そういうことだったのか。
「おっとすまない、紹介が遅れた。こちらはターニャ・デグレチャフ中佐、我らが大隊の大隊長殿だ」
店に入ってきた彼から紹介されたのは、ずいぶん可愛らしい「大隊長さん」。士官服を着てはいるけれど、どう見ても年の頃は十歳前後。しかしそう語る彼の表情は「余計なことは聞いてくれるな」と言わんばかりだった。…そういえば、彼に同行する人々の中には見慣れない顔もある。もしかすると、本当の大隊長さんはその中にいる? ではこの子は? そう考えると、一つの答えが思い浮かぶ。父親に憧れる娘に士官服を着せた、ちょっとした余興。ならば、それを台無しにすることもない。
「失礼。私はこの酒場の主人のマグダレーナよ。たいしたものは無いけれど楽しんでいってね、大隊長さん」
けれど、話しているうちに嫌でも気づかされる。この子は利発だ。饒舌ではないものの、相槌一つとっても話を理解していて決して誤魔化しは無い。冷徹に向けられるその視線を前にすると、全てが見透かされているような気にすらなる。この子はなんなのだ。まさか、幼女の皮をかぶった…そんな益体も無いことを考えていた時だった。
「すまない、私にもビールを頼む」
咄嗟に思考を現実に引き戻す。この子は、子どもだ。子どもにアルコールを出すわけにはいかない。
「今はそれで我慢して。もう数年もすれば、美味しく飲めるでしょうから」
「私は軍大学を卒業した身なのだが?」
そんな言葉ですらも、余興の設定ではなく真実であるかのように聞こえる。でも、たとえそうでも、飲めない年齢であることは変わらない。
「ごめんなさいね、決まりなのよ」
そういうと、彼女はおとなしく引き下がった。そして、その数分後。こっそりビールを飲んだ彼女は、大きく顔を顰めた。年相応のその反応が、しかしなんとも似合ってなくて逆に可愛らしい。
「ね、美味しくないでしょ?」
しかしこの子ならば、大人の味を分かるようになるのもそう時間はかからないのではないか、なんとなくそんな予感もした。
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