過去は追いかけてくるもの(もの)※一部ミスを修正しました
闇に覆い隠された空間だった。
湿度は高く、にもかかわらず、著しく気温は低い。空気は澱んでいる。
そこは地下。岩肌をむき出しにした天然の洞窟なのだった。
灯りはない。人間であれば目が見えぬであろう。だが、今ここを進みつつある男にとっては関係のない話であった。完全な暗闇でも見通せる
がっしりした短躯が身に着けているのは重武装だった。
鎖帷子の上から要所要所を油で煮固めた皮鎧を身に着け、お椀を逆さにしたような兜の両側からは上向きに角を象った装飾。顔立ちはゴツゴツしているが、どこか愛嬌を感じるもじゃもじゃの髭面。背中には背嚢。右手に手斧。左腕には小さな円盾を構える。首からぶら下げているのは火神の聖印。
神官戦士は、ゆっくりと洞窟を進んでいく。慎重さ故ではない。よく見れば、その武装は傷つき、汚れている。鎖帷子も何か所か貫かれている痕跡があるではないか。戦った後なのだ。その身に付いた傷は癒えているとはいえ。恐らく加護を用いたのであろう。
とはいえ、加護は疲労を癒すことはない。むしろ、神と接触することで疲労を増大させた。彼が限界を迎えつつあったのは誰の目にも明らかである。恐らく、次なる襲撃を受ければ死すであろう。
―――だが、死ねぬ。
男には目的があった。追跡してきた仇敵。かつて彼の故郷を焼いた怪物を追い詰め、倒すという誓いが。
だから、男が外へと通じる風を感じ取った時に歓喜の表情を浮かべたのも無理はなかった。
「……おぉ。神よ」
火神への感謝の言葉を捧げ、男は尽きかけた力を振り絞る。
洞窟の外へとつながる最後の行程を、驚くほどにゆっくりと。されど今の彼には精一杯の速さで抜けようとした、その時。
外から入ってくる光。驚くほど弱いのはそれが星明りだからであろうが、闇に慣れた彼には十分明るく見えた。
そして、それを遮っている姿。頑丈そうな外殻に覆われたそいつは、人間に匹敵する大きさの蜘蛛に見えた。
もはや男には加護を引き出すだけの力が残っておらぬ。頼りになるのは、消耗しきった肉体。そしてボロボロになった武装のみ。
「―――神よ。どうか、力を」
男は祈り、そして踏み込んだ。
◇
姫騎士が異変に気付いたのは、日課となった登山を終え、村に戻る最中の事だった。
血臭。それも、登るときにはまだしていなかったはず。
山の斜面を駆け抜け、村より少々離れた場所までたどり着いた彼女が見つけ出したのは、山肌にぽっかりと口を開けた洞窟。
そして、そこから上半身を乗り出し力尽きた、
◇
―――おお。まだ運には見放されておらんらしい。
こちらに歩み寄ってくる気配を感じ取った神官戦士は、かすかに目を開いた。相手の姿を認めるために。
月を背にしているのは、麗しい女体。人間族であろう。彼ら
恐らく魚の皮をなめして作ったのであろう衣はゆったりとしている。そのまま視線を上に向けた彼は、違和感を覚えた。
―――首が、ない?
目を見開き、凝視する。
首のない女。そいつが小脇に抱えているのは、美しい生首だった。
追跡していた仇敵。憎き
手を伸ばす。その途中で、神官戦士は意識を失った。
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