狂うとデュラハンと戦えるようになる世界(いやすぎる)
―――まずい。
女海賊は身動きが取れなかった。眼前の女怪への対応に苦慮していたからである。
相手はかなりの巨体だった。上半身こそ、一糸まとわぬ麗しき少女に見えたし、その表情は救いを求める感情がにじみ出ている。だが、下半身。蛇とも魚ともとれる異形の部位はひょっとすれば十メートル近くになろう。これに絡みつかれれば、船の帆柱くらいたやすく破壊できるに違いない。
そして腰から生えている犬の頭部。
6つもあるそいつらの頭部は、ひとつひとつが少女自身の上半身をひと呑みにできそうな巨大さと前脚を備え、そして腰のあたりからかなり柔軟に曲がる関節を備えているようだった。はっきり言って熊よりなお強力そうに見える。1匹1匹が。
しかも、猛犬どもは女海賊を見つめると、威嚇するかのように唸り声を出していた。少女の上半身とは言動が異なりすぎである。
そんなものを引っ提げている女怪がいくら助けを求めていたからと言って、素直に応じれるものではなかった。女海賊自身が怪物でなければ、恐れおののいて逃げ出していたかもしれぬ。
―――さしずめ、
このままでは悪意があろうとなかろうと船を破壊されかねない。そう判断した女海賊は、ひとまず相手が人間同様に話をできるという前提で進める事とした。片手を上げて動きを制止し、次いで陸を指さしたのである。
「……?」
対する
女海賊は慎重に動いた。
ただ一点。彼女がしくじった点があったとすれば、それは
◇
「ここは良さそうですね」
石造りの建物だった。村の神殿。その聖堂であろう。隣には木と石で出来た家屋も付随していた。
女占い師の言う通り、頑丈そうな物件である。住人は慌てて逃げだしたのか、扉があけ放しになっていた。まださほど無人になってから日が経っていない。いや、村を調べたところ、食べ物などの状態から、数日、下手をすれば昨夜には人っ子一人いなくなっていた可能性が高かった。
一同は防備を固めるべく、動き始める。狂戦士や船員はバリケードを築く一方、女占い師は、建物の奥から何やら探し出すと、手早く並べた。
その様子に、手伝っている交易商人が疑問を呈した。
「何をなさるおつもりで?」
「護符を人数分用意します。あの怪物たち―――
「……我々もああなる、と?」
「はい。闇の魔法によって生じた瘴気。すなわち毒気の類が今回の原因のはず。状況からすると大気ではないでしょう。恐らく水源が汚染されたはず」
「となると川の水は飲めませんな」
「ええ。幸い太陽が沈むまでもうしばらくあります。船から荷物を下しましょう」
その時だった。女海賊の生首が口を開いたのは。
「…ぁ……!」
「なんですって。それは……!」
「どうされました?」
「生存者がいたそうです。今船の方にいると」
「なんと。こちらへ呼んで、話を聞かねばなりませんな」
「いえ。それが……」
女占い師が交易商人へと説明しようとした刹那。建物の崩れ去る音が、響き渡った。
◇
突如として襲い掛かって来た
3メートル近い猛獣の頭部。それがみっつも同時に襲い掛かって来たのである。どんな怪物であろうともたちどころに食い殺されるであろう。たとえ
だが、標的となった女海賊は既に死んでいた。死者は死なぬ。故に、猛犬どもは静止したのである。
そのうちの一頭を掴むと、力いっぱい陸へと放り投げる女海賊。
6トンの巨体が、宙を舞った。蛇身と猛犬6匹分の質量を加味された
民家のひとつに突っ込み、倒壊させながらめり込んでいく異形の女体。もうもうとした土煙がその姿を隠す。
そんなものを投じた女海賊の足場。すなわち船は、本来であれば無事では済まなかっただろう。だが彼女を突き動かすのはこの世の理ではない。作用反作用の法則など通用しないのだった。
さすがにあれでは無事に済むまい。そう判断した女海賊は、素早く飛び出すと相手へ駆け寄った。
そこへ、土埃の中から奇怪な声が響き渡る。狂気に満ちた叫び。意味の分からぬうめき声、と女海賊は解釈した。
もしこの場に女占い師がいれば、警告を発したであろうが。それは、神への救いを求める聖句だったから。
真横に振りぬかれた尾鰭のついた蛇身。女海賊を打ち据えたそれは、死者を殺す力を帯びた
互角の魔法がぶつかり合えば、結果を定めるのはこの世の理である。
だから、女海賊を生かす不死の魔法は、現実に屈した。10メートルの蛇身によって吹き飛ばされた彼女の肉体は、優に20メートル以上の距離を飛翔し、そして別の建物へと叩きつけられたのだ。
倒壊する家屋。
凄まじい剛力であった。
蛇身の一撃で女海賊の胸郭は陥没。全身の皮膚はズタズタになり、筋繊維は断裂している。死者でなければ即死していたに違いない。
土煙の中から起き上がる敵手の頭部は、遥かな高みにあった。
それでも女海賊は、瓦礫の中から立ち上がった。狂気に囚われた
「待って。行かないで……」
と。
女海賊は、この時初めて剣を抜いた。
少女を救うために。
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