水も滴るいい女です(物理)

「おおおおおおおお!?」

戦士の一人が宙を舞った。女海賊の手で投げ飛ばされたのである。

軍船上。

敵の進路を予測し、浅瀬に張り付いてしていた女海賊は見事、敵船へと乗り込むことに成功していた。

彼女は、奪い取った斧を力一杯に振るう。

轟音と共に舵が破壊される。不死の怪物の膂力に抗える構造物などあろうはずもなかった。

周囲では戦士たちが武器を手に取り、立ち上がって女海賊を包囲しつつあったが大丈夫。武具に魔力は感じなかった。

旋風が巻き起こった。

襲いかかってくる敵勢を殴り飛ばし、斧の一撃を叩き込み、あるいは投げ飛ばす。狭い船の上である。数の多い戦士たちの方が不利だった。

船の中央まで駆け抜けた女海賊は、斧を振り上げた。1本マストを破壊するために。

これでもはや、追撃などできまい。

そう判断した時。

女海賊の胸を、呪詛が打った。


  ◇


船首に立っていた魔法使いも、乗り込んでいた敵に対して手をこまねいていたわけではなかった。

彼は右手の人差し指を伸ばすと機を見計らっていた。が開くのを待って術を放ったのである。

放たれた呪詛の一撃は、見事船上で暴れていた首のない女を打ち据える。

跪く女。とはいえこの程度では致命傷を与えるのは難しい。故に彼は肉体から抜け出た。魂を肉体から遊離させたのだ。

さらには、自らを守護する霊へと祈願。それらと合一し、物質界へと顕現する。

それは、船の人間たちからすれば、魔法使いの背後に巨大な狼の霊が出現したかのように見えたであろう。

脱魂ガンド魔術。北西の地に伝わる魔法であった。

魔法使いは、空中より女海賊へと襲い掛かった。


  ◇


女海賊は、正面より襲い掛かって来た巨狼の顎に間一髪。手をかけ、食い殺されることを阻止していた。相手は霊魂である。同様に、肉体よりも霊の力が強い女海賊は、敵との格闘戦を可能としたのだ。

とはいえ体勢は圧倒的に不利であった。陽光の下では魔法の威力は減衰するが、それは女海賊とて同じである。肉体という防壁を持たぬ、今の敵手の方が消耗は激しいだろうが。

そして全身を走る。苦痛も疲労も感じぬはずの女海賊を呪詛が襲っていたのである。まるで病魔にやられたかのような不調であった。先の魔法の一撃に違いない。

他の戦士たちは魔法使いを助けようと襲い掛かってくるがこれは無視してよかった。なにせ彼らの武装は魔力を帯びていない。

だから、この魔法使いの霊魂を倒せさえすれば、逆転の目はある。

ぶつかり合う両者の霊力に、船上の人間たちは恐れおののいた。

へしゃげ、破壊されていく女海賊の肉体。あと一歩で、敗北。

というまさしくその時。霊魂が退いた。

陽光の威力に耐えかねたのである。

されど、既に女海賊の肉体は限界だった。上半身の肉が断裂し、骨も砕けていたのだ。

さらに、そこで上がった魔法使いの声。

「長よ!とどめを!!」


  ◇


戦士たちの長は、手にしていた剣に淡い輝きが宿ったことを悟った。傍らの魔法使いは叫ぶと精根尽き果てたかのように崩れ落ちる。彼が付与した最後の魔法に相違あるまい。

だから長は、敵へと走った。舵は破壊されたが、処置は可能だ。それに漕ぎ手の多くは残っている。あの首のない女さえ排除すれば追跡は可能なはずだった。

だから、彼は敵へと駆け寄ると、刃を振り下ろした。

いや。

振り下ろそうとして、真横から放たれた衝撃波フォースの加護に跳ね飛ばされた。

空中を舞う彼は、見た。いつの間にか船足を落とし、すぐ横に並走していた敵船。そして水面を走りこちらへと接近していたローブの魔法使いの姿を。


  ◇


―――うまくいった。

魔法の助けを借り、海面を走る女占い師。

彼女の祈りを氷神は聞き届け、女海賊へ襲い掛かろうとしていた戦士を跳ね飛ばすことに成功していた。

必要なのは、後一手。

女海賊へと叫ぶ。

「今です。マストを!」


  ◇


ひとまずの脅威が消えたことを察した女海賊は、足元に転がった斧を、相当な苦労をしながらも拾い上げた。残っている戦士たちが襲い掛かってくるが、彼らの刃はする。脅威ではない。

残った渾身の力で、斧が振るわれる。

哀れな標的は、その威力に耐えられなかった。めきめき、と倒壊していくマスト。

もはやこの軍船は脅威でない。

そう判断した女海賊は、斧を投げ捨て船べりから身を投げ出した。

両腕を広げ、待ち構えていた仲間。すなわち女占い師の胸へと、飛び込んだのである。

女海賊の首がない裸身。それは、柔らかく受け止められた。


  ◇


這う這うの体で島へと上陸した長は、逃げ去っていく敵船を見送っていた。あれにはもう追いつけぬ。舵もマストも破壊され、漕ぎ手を多数失った軍船では追いつけたとしても勝てぬであろう。

だから、彼は戻ってくる軍船を待つこととした。浅瀬だったのが幸いした。足が海底についたのである。落ち着いて鎖帷子と兜を脱ぎ捨てることができた。溺れ死ぬという不名誉を回避できたのだ。

彼の頭にあったのは、任務の失敗をどう王に釈明するか。そのことだけだった。

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