怪物は消毒です(ぼーぼー)

霧の中の攻防。

怒号が飛び交う中、人間たちと不浄なる怪物どもとの闘いは互角だった。聖句が力を発揮したからであり、盾は大変効果的な防壁として機能していたからでもある。

そんな中。

敵刃を受け、倒れた村人の一人がけいれんを起こした。

敵勢を押しとどめていた若者の一人がそれに気づく。

「―――大丈夫か?下がってろ!」

仲間を気遣い、声を上げる若者。不幸なことに、彼は相手をよく確認している余裕がなかった。倒れた村人が受けていた傷は致命傷だったと気付かなかったのである。

故に。

ふらりと立ち上がった村人が、口を大きく開けたのにも。

その口が、若者の首筋へとかぶりついたのも。

まさしく首筋が食いちぎられる瞬間まで、気づくことはなかった。

血の凍るような絶叫を上げ、若者は倒れた。

若者を仲間の口から漏れ出るのは、喜びを示す吐息なのだろうか。

不幸はそれだけで終わらない。

たった今絶命したばかりの若者。彼の肉体がびくん、と震えると、ぎこちなく立ち上がったのである。たった今まで握っていた武装を手にしたまま。

彼はつい先ほどまでの味方へと向き直ると、うつろな目を見開いた。


  ◇


急激に霧が密度を増していく砂浜。

ローブの女占い師は、眼前の軍船を無力化するべく身構えた。対象が大きすぎる。生半可な魔法では駄目だろう。ただの火でも駄目だ。魔法の炎ならば別だろうが。

印を切り、口を開こうとした彼女は、ふと気づいた。ただでさえ高い湿気がさらに強まり、己の体表で滴となるのを。どころかそれは量を増していく。ほとんど流水だった。

それは、まるで自らの意志があるかのように動いた。

「―――!?」

女占い師の肢体を伝った流水は、口を塞いだ。鼻も。呼吸を封じたのである。

息ができない。口訣を結ぶことができぬ。女占い師の精神集中が千々に乱れていく。

跪く。

それでも、女占い師は力を振り絞った。自らの霊の力を集め、口元の霧へと叩き込んだのである。

魂の拳アストラル・フィストの術は、霧の霊力を吹き払った。とはいえこれは一時しのぎに過ぎない。何かないか。手段は―――!

周囲を見回し、彼女は見つけた。敵に打撃を与える手段を。

流水に口を塞がれる刹那、彼女は聖句を唱え、。悪を討つことを誓い、そのための助力を氷神に誓願したのである。

神はそれに応えた。傍らの松明。交易商人が手にしていたそれを清め、神聖なる武具セイクリッド・ウェポンと化したのだ。

「松明を、船に!」

フードの魔法使いは叫ぶ。その口へと、再び霧が集まった。


  ◇


戦死者の軍勢と村人たちとの闘いは地獄の様相を呈し始めていた。

敵に倒される者が出るたびに、敵が増えるのである。起き上がった死者もまた不死だった。家々から持ち出されてきた聖水や銀の短剣によって、滅ぼすことこそ可能だったが。

だが犠牲者の数はそれほどではない。女海賊が、敵の刃の多くを引き受けていたからである。その代り、首を持たぬ彼女の肉体はボロボロだった。全身に刃を受け、胴体など半ば両断されかかっている。それでも彼女は懸命に戦っていた。

女海賊は踏み込み、戦死者を鎖帷子ごと両断。これだけ敵を切り倒していれば、剣の扱いにも慣れようというものだった。不死の体は剣術のには最適と言えよう。

と。剣を振り、伸びきった体へ、戦死者の斧がめり込む。乳房を切り裂いたそれを意に介さず、女海賊は返す刀で相手を切り捨てた。

―――戦いづらい。敵の着ているあの鋼の衣が欲しい。あの木でできた円の武具も。

そんな事を思いつつ、女海賊は刃を振るった。肉欲も睡眠欲も食欲もわかぬくせに、物欲だけは一人前にあるのだな、と気づいて少しだけ困惑。剣を得た時はうれしくなかったはずが、どういった心境の変化なのだろう。

己は、真の死を望んでいるというのに。

不思議だった。

その時。物思いにふけった隙を突き、敵が足を切り払おうとしてくる。この状況で歩けなくなれば致命的だった。必死で回避しようと女海賊が後退した時。

戦死者たちの動きが、急に止まった。かと思えば奴らは背を向け、泡を喰ったかのように戻っていくではないか。

女海賊は、敵を追いかけた。


  ◇


交易商人の手にしていた松明が揺らいだ。凄まじく濃厚な霧のもたらす湿度が、火勢を衰えさせたのだ。

「これは……っ!?」

それどころか、呼吸すら困難になっていく。霧が肺へと入り込みつつあったから。

「が……ぉ……っ」

敵の攻撃だ、と気づいた時には、交易商人は、跪いていた。空気を求め、あえぐ。されど入ってくるのは湿気だけ。

陸の上でありながら彼は溺れつつあった。

救いを求めた交易商人は、傍らの女占い師も跪いていることに気が付いた。攻撃を受けているのは自分だけではないのだ!

まずい。後何十秒かすれば、意識を失ってしまうだろう。そうなれば死人どもの仲間入りである。どうすれば。

そこまで交易商人が考えた時。

「松明を!船に!」

女占い師の声。

手元を見れば、松明の炎が激しく燃え盛っている。どころか霧が退いているではないか。魔法であろう。

だから彼は、言われた通り反撃に出た。手にした松明を、軍船へ向けて投じたのである。

それは狙い通りに飛び、船の中へと飛び込んだ。

死者は死なぬ。されど聖別された炎は別だった。そして、幽霊船は、木造の船である。よく燃えた。炎上だった。

一気に、霧が引いていく。塞がれていた呼吸口が自由になった。

「―――げほっ、げほっ」

を免れたふたりが咳き込む。その背後では、敵勢が戻りつつあった。

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