第二話 せーぶ あんど ろーど

ふもっふ(もふ)

曲がりくねった三日月湖の中に、その集落はあった。

闇の種族の砦。かつて人の類の村落があった場所。

かつてここは、型に蛇行した川が三方を守る天然の要害だった。そう。ほんの1200年前には。

膨大な時の流れの前には、地形すらも姿を変えるのである。もちろん当時の建造物等一つも残ってはおらぬ。

それでも、女海賊は周囲の植生や川の生物から、ここがかつての故郷なのだという事実を察していた。

泣き崩れる彼女を、付き添っていた女占い師はいつまでも見守り続けていた。


  ◇


急峻な湾の奥。

細長い優美な船体が、海浜に乗り上げていた。その周囲に散らばる荷物を積み込んでいるのは二人の男。交易商人と、そして一人だけ殺されてはいなかった―――生贄にするためである―――若者である。

彼らは、一通り荷物を積み上げると、休息を取った。積み上げた泥炭に火をともし、暖を取ったのだ。

休んでいた彼らは、やがて近くに現れた気配へ振り向いた。

女占い師である。

彼女は、空いていたスペースに腰掛けた。交易商人がそこへ声をかける。

「おお。戻られましたか。どうでした?」

「はい。あの方は眠らせました。長すぎる眠りから覚めたばかりでしたから」

「……1200年ですか。想像もつきませんなあ」

「はい」

女海賊は、1200年前この地に住んでいた北海の民ヴィーキングだった。集落は闇の種族に攻め落とされ、そして集落の長の娘だった彼女は捕らえられて生贄として捧げられたのだという。

斬首され、あの泥炭地ピートボグの底に沈めらた彼女は、魂が安らぐことなく1200年もの歳月を過ごしていたのだ。地下に住まいし流血の女神。すなわち流血神によって地獄の責め苦を味わい続けていたに違いない。

女海賊は土の下へと戻ることに酷く怯えていたが、肉体と霊魂を癒すため、女占い師は彼女をしたのである。死者に安らぎを与える眠りの魔法をかけたのだ。

「殺してくれ。氷神の御許へと行かせてくれ。と頼まれました」

「……でしょうな。ですがそれでは困ります。漕ぎ手が足りません。せめてどこかの人里にたどり着くまではお付き合い願わねば」

「ええ。

船の方は大丈夫ですか?」

「傷一つありませんよ。荷物は大分荒らされていましたが、集めたところおおむね無事でした。今回唯一の明るいニュースですな」

この地に住まっていた闇の軍勢はおおむね滅んだ。わずかに残った小物も逃散している。まぁ小鬼ゴブリンの一匹であっても交易商人にとっては十分脅威なのだが。

ちなみに女占い師を守っていた氷は、日の出とともに速やかに溶けた。あれはあくまでも術者を守るための加護であるため、氷漬けとなっていたことによる後遺症もない。

「しかし驚きましたぞ。まさかあなたが氷神の神官だったとは」

「魔法使いにだって神を信仰する者はおります」

交易商人の言葉に女占い師は苦笑。実際の所、魔法というのは神々が定めたこの世の理に大なり小なり反するものである。だから、魔法使いという人種は特に光の神々に対して後ろ暗い所があった。闇の魔法使いはそんなことを気にせず闇の神々を信仰していることが多いが。

「さて。……魔法を使いすぎて少々疲れました。しばし眠らせていただきます」

「ごゆるりとお休みくだされ。見張りは私がしっかりとしておきますので」

美貌の女占い師は、深い眠りへとついた。


  ◇


―――暖かい。

一糸まとわぬ女海賊は、地の底で体を横たえていた。自らの生首を抱きしめ、体を縮めて。

あの泥炭の底とは全く違う。術者の。女占い師の心遣いがそのままあらわれたかのような、柔らかく、快適な寝床。

このままいつまでも眠っていたかった。時が果てるその時まで。

だが、それは許されないらしい。女占い師に頼まれたから。船を動かすのを手伝ってくれと。

女海賊にとって、魔法使いとは未知の存在だった。自らをあの術者の機嫌を損ねるのは恐ろしい。また冷たい泥炭の下へ戻されるかもしれぬ。逆らうのは論外だった。

だが。

1200年後の世界に出ていくのも恐ろしい。一族と交流のあった他の部族も変わり果て、あるいは滅んでいるだろう。驚くほど世界が変わっているのも見て取れた。あの強靭で美しい物質。鋼というそうだが。あんなもの、初めて見た。彼らの船も驚くほど優美で洗練されている。都市となればどれほど繁栄しているのだろう。

ある意味、変化した世界とは魔法以上に女海賊から縁遠い存在だった。

今までとは別種の恐怖におびえながら、いつしか女海賊は意識を喪失していた。

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