第三話 魔法の王と白き魔女
冷静に考えるとひどい神様だな(担当が多すぎて手が回らないんだろう)
小雨の降りしきる、夜の森。
闇そのもののような娘だった。
漆黒のローブを纏い、長い髪をなびかせ、気品あふれる物腰。ヴェールに覆われた顔を見ることはかなわぬが、その美しさは容易に想像がついた。頭から伸びるのは二本のねじくれた角。
魔法の王。すなわち魔王たる娘は、己に向けて振り下ろされた刃をつまらなさそうに見やった。凡百の結果を見届けることほど無価値なものが他にこの世にあるだろうか?
それは魔王の身に届く直前、まるで弾かれたようにその矛先を変えたのである。新たな狙いは、鞘。凶刃は持ち主の意に反し、自発的に我が家たる鞘へと戻ったのだった。
魔王からすれば当然の結末。
魔力を帯びておらぬ。いや、帯びていたとしても結果は変わるまい。それは、震え上がっていたから。刃そのものが、魔王の威を畏れてその軌道を逸らしたのである。担い手たる剣士は刃に信頼されておらぬ。刃を支配することもできておらぬ。これが、神殺しの域にある戦士の手で握られておるのなら、たとえ棒切れ一本であろうとも魔王は安穏としていられなかったであろうが。
眼前の剣士は、何が起きたか理解できていない様子であった。もし彼が魔法使いであれば、即座に跪いて許しを請うていたであろう。いや、そもそもこのような無謀な戦いを挑みはせぬか。
魔王が彼への興味を失った瞬間。
剣士は死んだ。
剣士の臓腑。その中枢たる心の臓が、自ら停止したからである。魔王に対して刃を振るった愚かな持ち主、すなわち剣士自身の愚行を恥じて自決したのだった。倒れ込み、痙攣する屍。
動揺が広がった。魔王を取り囲み、刃を向ける者たちの間に。何が起きたか、訳が分からなかったからである。
それは戦いであった。いや、魔王からすれば、己を取り囲む者どもは敵ですらなかったが。彼らに見るべきものがない事を確認した魔王は歩を進める。
足元の水たまりが退いた。魔王の足を汚すことを畏れたからである。雨でぬれた大地が乾いた。土埃が上がるのを控えた。いや、そもそも降り注ぐ雨滴。その全てが魔王を避けていた。どころか、雷雲が気を利かせた。魔王に刃を向けた愚か者ども、すなわち相手の力量すら見定められぬ山賊どもめがけて雷霆を降らせたのである。
瞬時に、何十という数の死が生まれた。
―――つまらぬ。
周囲に転がった黒焦げの屍。それらから興味を失うと、魔王は散策を再開した。わざわざ襲い掛かってくるから、何か面白い発見でもあろうかと思い視界には入れてやったが。期待外れも甚だしい。勝手に死ぬとは。
―――何やら面白い出会いの予感がしたから来ては見たが。どうやら外れか。
勘が鈍ったかもしれぬ。魔王の勘はめったに外れたことがないのだが。
明日の散策では、違うところへ行くとしよう。
そんな事を想いながら、魔王は夜の闇に消えて行った。
◇
―――ああ。また、朝が来た。
陽光から逃れるべく枝葉の下へと倒れ込んでいたのは、無数の欠損を抱えた女体。脇に転がっているのは、首と戦斧。
女勇者であった。
他の
この半年、彼女は一睡もしていなかった。昼は陽光から逃れ、夜の間はただ、ひたすらに各地を巡り、何千という数の闇の種族や不浄なる怪物どもを殺して回ったのである。不幸なことに、女勇者を殺せるほどの猛者には一度も出会わなかった。本当に、あの敵将との出会いが最後の機会だったのだと実感する。
もっとも、傷は増えた。右太ももの肉が大きく削れ、頭も左目の周りは筋肉と眼球がむき出しとなり、さらに頬がえぐれている。それでも歩くのには支障がないのが不気味ではあった。もし死霊魔術について造詣が深いものに尋ねればこう答えたであろう。「女勇者の精神。すなわち霊の力が肉体を凌駕したためだ」と。
皮肉なことに、太陽神の神官として鍛え上げられた女勇者の魂魄こそが、彼女の不死を支える原動力だった。神にすべてを捧げていたが故の強靭さが、
あるいは狂い、人の魂を啜る怪物へと堕ちるのが先だったかもしれないが。
いっそその方が楽かもしれぬ。陽光に焼かれ、望み通り真の死を得ることもできるだろうから。だが、太陽神による裁きは、真に断罪すべき者のみに与えられる。正気を保っている彼女にはその資格がないのであった。
信仰心こそが、彼女を苦しめ続けているのだ。
◇
光差す森の中を往く、少女の姿があった。
蒼みがかった黒髪は腰まで届いており、白い肌と相まって艶めかしい。身に着けている衣はみすぼらしいものであったが、彼女の気品をいささかも損ねることはなかった。腰に青銅の手斧を下げ、手にしているのは大きな籠。山菜、あるいはキノコ採りであろうか。
美しさを除けば単なる村娘といった風情の彼女には、されど異様な特徴があった。
影がない。
まるでこの世の者ではないかのように、陽光は少女の身を素通りしていくのであった。されど、進む足はしっかりと大地を踏みしめている。実体を備えていた。陽光に焼かれているわけでもない。
まさしく魔女と呼ぶのがふさわしかろう。
そんな彼女であったが、ふと足を止めると、大木の陰へ視線を向けた。しばらく怪訝な顔をし、一歩踏み出し。
「―――!?」
驚愕の表情を浮かべた魔女の視線の先。
そこに転がっていたのは、強い意志を感じさせる青白い顔。緩いウェーブのかかった黒髪を持った女の顔は、右目を閉じていた。左目は開いている。閉じることができなかったのだ。何故ならば、目の周辺は破壊され、筋繊維がむき出しとなっていたから。頬も裂けている。痛ましい傷であった。
だが、魔女を驚愕させたのはそのことではない。
首から下がない。いや、よく見てみれば、さらに木の陰、首を備えぬ胴体が仰向けに倒れていた。左腕は半ばから炭化し、胸に穴が穿たれ、下腹部は半分が失われて骨をむき出しにし、腿もえぐれ、左鎖骨までが切断されていた。傍らに落ちている戦斧は彼女のものであろう。
なんと、
だが、それ以上に
そこまで読み取ってなお、魔女は、転がっている生首を拾い上げた。
救いの手を、差し伸べるために。
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