裸マントの首なし女騎士が乳首を赤子に吸わせた話がいままでにあっただろうか、いやない(こんだけ断言しておけばどっかに前例あるやろ)

たき火にかけられた鍋がぐらぐらと煮え、よい香りが立ち込める。食欲をそそる料理から上澄みがすくいあげられ、木の器によそおわれた。

「できた」

器を手に、死霊術師が振り返った先。

赤子を抱きかかえた、首のない女の姿があった。その身を覆っているのは厚手のマントのみ。ずぶぬれになった服は近くの木にぶら下げて干している。森の木々でも遮れきれない朝日は女騎士にとって辛いはずだが、それでも彼女はじっと赤子を抱きかかえていた。

赤子―――女児だった―――は、そんな女騎士の乳房に吸い付いていた。もちろん乳など出ない。どころか死した肉体は冷え切っているはずなのに、それでも赤子は懸命にむしゃぶりついている。

女騎士が赤子を抱きかかえる手は、優しい。

彼女は乳房を赤子の口から離すと、死霊術師から匙を受け取った。そして赤子の口に上澄みを含ませる。

赤子は、与えられた滋養を静かに飲み込んでいた。

「……ぉ」

やがて満足したか、赤子は眠りに就く。それを見届けた死霊術師は、女騎士へ告げた。

「お疲れさん。後は俺が引き受けたから、お前さんは寝とけ」

「……ぅ……」

「ああ。引き取ってくれる里者を探さにゃならんな。神殿にでも預けるか」

女騎士は、名残惜しそうに籠へ赤子を収めると、自らも眠りに就くべくその場から下がった。


  ◇


赤子は泣く。泣くのが仕事と言われるくらいに泣く。

それは、言葉を話せぬ赤子にとって唯一の意思表示が、泣く事だからだ。

時も場所も構わず泣く赤ん坊は、時に世話をする者の精神を追い詰め、極度の疲労を蓄積させる。子育てとは試練であった。だから本来、死と隣り合わせの旅を続ける魔法使いにとって、赤子の世話とはそれ自体が冒険だ。

「……とんでもないな……」

籠に病魔避けの護符をくくり付けながらの、死霊術師による発言である。

亀の甲より年の功。外見に見合わぬ時を生きて来た男にとって、実のところ赤子の世話はこれが初めてではなかった。

だから、彼の言葉は、赤子の世話をしているという事実そのものに向けてではない。

彼の目には見えていたのである。赤子が背負っている、途方もなく巨大な運命が。

英雄か。聖者か。稀代の大悪党という事も考えられる。

まだ分からない。だが、この赤子がただの人間として生涯を終える事はあるまい。

死霊術師は確信していた。

とはいえ、今はまだただの赤ん坊に過ぎない。故に。

「おっととと……こいつめ」

粗相をする赤子に男は苦笑。おしめを作るべく、彼は天幕へ首を突っ込み荷物を漁った。漁りながら、彼は語った。

「ちょっと待っててくれ。今忙しいんだ、お客さん」

死霊術師の言葉に、周囲からギョッとするような気配。隠形を見破られて観念したのか、木陰から現れたのは、頭巾で顔を隠した男たちだった。

彼らは手にした小剣を構え、ためらいなく踏み込んだ。

先頭の男が無防備を晒す死霊術師を刺し殺す。

まさしくそう見えた瞬間、地面が盛り上がり、そして振り上げられた手斧が男を襲った。切り裂かれ、絶命する男。

「おいおい、だから言ったろ。待っててくれって」

顔を出したフードの魔法使いは苦笑した。何者かは知らぬが、問答無用で襲い掛かってくる相手に向ける慈悲の持ち合わせは彼にはない。

襲撃者たちは気圧された。死霊術師の態度に対してではない。彼を守るように立ちはだかる、手斧を構えた骸骨兵に圧倒されていたのである。

そいつは陽光の元でギクシャクしていたが、それですら刺客どもより俊敏に見えた。

数で勝る襲撃者たちは散開。死霊術師を包囲しようとする。そのうちの一人。背後に回り込んだ襲撃者が死霊術師へ襲い掛かろうとしたその瞬間。

地中より伸びた細腕が、彼の足を掴んだ。

ギョッとした襲撃者は小剣でそいつを切りつけるが、ぶつかる直前、刃は静止。押し込もうとしてもピクリとすらしない。

土が盛り上がり、腕の主が立ち上がった。

首のないそいつは、裸身の女。美しい肢体を惜しげもなくさらす彼女は、襲撃者を逆さづりにするとその腹部に一撃を加える。

男は白目をむいて気絶した。

投げ捨てられた男に、襲撃者たちもたじろいだ。この分では後何体出てくるやら分かったものではない。

彼らは互いに目くばせすると、速やかに逃げ去っていった。


  ◇


襲撃者の男は、頭にぶちかまされた水で目を覚ました。

眼前には頭のない女。一糸まとわぬそいつは、凄まじい剛力で男を抑えつけてくる。

周囲を見回した彼は、己が逃げ場を失っていることに気が付いた。赤ん坊を抱いた骸骨兵。フードの魔法使い。

故に、彼は奥歯に仕込んだ毒をかみ砕き、飲み込んだ。

苦味が流れ込み、意識が遠くなる。全身が弛緩し、そして痙攣。

襲撃者は死んだ。

周囲が真っ暗になる。急速に熱が抜け出ていく。何も見えない。何も感じない。

いや。

そのまま感覚を、男は生まれて初めて味わった。

混乱。

周囲を見回す。

そこにいたのは恐ろしいまでに巨大な霊気を纏ったフードの魔法使い。おぼろげな人型の影とそれに抱かれた赤ん坊。そして、こちらの首を掴んでいるのは

死んだ男に、魔法使いは告げた。

。さあ、お前が何者で、何のために俺たちを襲ったのか吐いて貰うぞ。死んだくらいで逃れられると思うなよ?」

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