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「私、強くなったわよね?」
妙に気弱な風に、組んだ手の甲に頬を乗せたまま、カーミラは気だるげなため息を吐いた。
宵闇に浮かぶ雲の先、その遥か彼方までそびえたつ豆の木の根元。古城の一角にある広場には、石畳に突き刺した大剣の柄頭に寄り掛かるカーミラの他に、息も絶え絶えな少年と少女が座り込んでいる。
「この状況で、そりゃねぇんじゃねえか。カーミラさんよ?」
「タオ兄、因果応報って知ってますか? わざとらしく吹き飛んだりするから機嫌を損ねるんです。シェインにはいいとばっちりです」
辛うじて体を起こしたタオのそばに、うつぶせに倒れ込んだままシェインは呪詛を含んだような声音で呟いている。さっきまで重鎧の下敷きになっていた衝撃を、まだ跳ね返せずにいるようだ。
「俺が悪いのかよ。っていうか派手に吹っ飛んだのだって、受け流し損ねて踏ん張り切れなかっただけだからな? あんな大剣をあんな角度から叩きつけられるとか、死角から馬車に跳ね飛ばされるようなもんだからな!」
タオが指さしたのは刃渡りだけでカーミラの身長に届こうかという両手持ちの大剣で、鍔元の刀身は華奢なカーミラの胴回りより幅広い。しかも先端に行くにしたがって刀身は末広がりになっていて、さらに先端は左右と切っ先の3方向に、棘というよりつるはしを両刃にしたような凶悪な突起が伸びている。
しかもカーミラはその大剣を膂力のみで軽々振り回せるのだが、戦闘中はさらに魔力を併用することで手から離れた大剣を難なく操るのだ。それは投げるように突き刺した大剣を、そのまま手も使わずに瞬時に手元に引き寄せ、なおかつ自在に左右上下から力を加えることで剣速を落とすどころか遠心力を使って加速させ、1度背後を大きく経由させることで大剣の出所を完全に隠した奇襲にまでつなげてみせる。
重量と速度、そして全力で手を添えて振りぬく際の加速を合わせると、馬車と拮抗するどころか一方的に破砕しかねず、いや刃筋さえ合うなら鋭い剣閃は馬ごと一刀両断すらしかねない。
「まあ、それはそれとしてですね、カーミラさん。その見事な太刀筋が荒れるほど、何がそんなに気になるのですか?」
ふらつきながらも立ち上がったシェインは、タオの腰回りを探ってから表情を改めた。ああだからか、とタオも納得したように一つ頷く。
「手加減してくれたにしちゃ、吹き飛び過ぎたってことか。まあ運命が変わるとあっちゃ、変なところに力が入ったりするか」
あと3階層も登れば終わりだもんなと顔を見合わせるタオとシェインに、カーミラはちらりと目線を流し、そっと小さく息をこぼした。
「運命を変えられることは分かったの。でも変わるということはよい事ばかりじゃない…… ううん、不確実なことが増えるってことにようやく気付いたの」
至極当たり前の独白を、2人は笑い飛ばしたりしなかった。
〈運命の書〉を持つ者にとって、書かれた筋書きはその通りに生きるものであって、疑問を持つことすら思いつきもしないものだ。だから、カーミラの気付きは新たな一歩を踏み出した証であるのだが、今まで持ち得なかった想いが膨らむ不安さを持て余すしかないということも、だんだん分かるようになってきていた。
わずかに間をためてから、カーミラはそっと付け加える。
「運命の書にね、注釈が増えていたの。『侯爵夫人への挑戦には、命を落とす危険がある』って」
この豆の木登頂をめぐる冒険では途中何度も〈灰化〉に陥るほど過酷なものだったが、
それはサポートする側にすればあり得ないほど頼りになる事柄で、だがカーミラも慢心することなく、何度か〈灰化〉した悔しさをバネに己の剣技を磨いてきた。
(「別にその力に溺れているわけでも、頼り切っているつもりでもないけれど」)
先ほど見たリアルな夢が、まさか本当に起きたことではあるまいし、これから起きる予知夢の類であるなど、もっとありえない。
ただ、これまで〈運命の書〉に書かれていたことは、それをなぞるように、必ずその通りになっていたのだ。
〈命を落とす危険がある〉というのは、起こることなのか、起こらないことなのか。
些細なことと思えば思うほど、焦るような締め付けられるような妙な心持ちに、気が付けば俯いて地面を見つめてしまう。
カーミラは唇を噛んだまましばらく視線を伏せていたが、小さく息をのむ音に慌てて振り返った。何でもないような顔を作って、何か言い足そうとしたカーミラを迎えた2人は、あろうことか顔を見合わせ噴き出すと、突然大爆笑を始めた。
「は?」
慌てて口を塞いだタオですら、そこから一歩も動けないほどの発作に見舞われている。シェインはお腹を抱えて座り込みそうになりながら、慌ててしがみついたタオの腹やら腰やらを盛大に叩きながら笑い転げている。
カーミラの顔から陰りが滑り落ちたが、今度は小さく震えながらその頬を真っ赤に染めていく。
「ちょっと! どういうことよ、いきなり笑い出すなんて失礼じゃない!」
苛立たし気に振り下ろした両手の握りこぶしは衝撃波を叩きつけ、乾いた石畳から枯葉や小石を吹き飛ばす。
その派手なパフォーマンスにも気づかないほどだったのか、気付かないふりをしても大丈夫と判断したのか。疲れるまで苦しそうに、あるいは思う存分笑い転げたタオとシェインは、それでも声を震わせながら、やっと言葉を発した。
「あれほどシェインたちが口酸っぱく『1人で突出しないでください』って言ってた成果が、やっと出てきたってことですかね」
「そういうこった。もういっそ、清々しいにもほどがあるってもんだ」
口を開きかけたカーミラを手で押しとどめ、疲れたように眉根を下げながらもどこかすっきりした様子でタオが答えた。
「そんなこと、豆の木を登る前から決まってたってことだよ。どうなるか分からない? だから最善を尽くすんだ」
「まあ、そこに気づいたってことは、つまり成長したってことですから。……なるほど、確かにカーミラさんの運命は変わったっぽいですよ?」
感慨深げに腕を組んでうなずくシェインに、タオも振りではなくて本当に大げさに驚いている。
2度3度と口を開きかけながら結局奥歯を噛み締めるしかなかったカーミラは、結局カッと目を見開いて一喝した。
「もし仮に、し、失敗することがあったら! 勝手に手伝っておいて、勝手に落ち込まれても困るから伝えておいただけなのに! そこまで馬鹿にするなら、それ相応の覚悟があるってことよね!」
真横に肩の高さまで振り抜いた大剣を顔先に突き付けられても、タオはひるみもせずに拳の先で押さえつけると口角をひねり上げてカーミラに向けて踏み出す。
「タオ・ファミリーがどれだけこんがらがった想区を、台本なしのアドリブで切り抜けてきたと思ってるんだ? 伯爵夫人をぶっ飛ばせばいいだけなんて、しくじる方が難しいぜ」
にらみ合いながら歩を詰めた2人は互いに一歩も譲らず、首筋に大剣の鍔元を触れんばかりに押し込むカーミラと、拳の背と小手で力を受け流すタオは、鼻先がぶつかりそうなほど顔を寄せ、そして牙をむいて笑った。
「そこまでいうのなら、さっさと済ますとしましょうか。この決着は、そのあとにでも」
「その喧嘩買った! 禍根も遺恨も全部片付けて、喧嘩祭りとしゃれこもうぜ」
空いた拳を突き合わせてから離れると、2人は獰猛な笑顔のまま豆の木を見上げ、そのまま豆の木の根元に向かって歩き出す。
「いや、盛り上がるのは勝手ですけど。……ちょっとお2人さん! 長丁場の準備も必要だし、せめて姉御は連れて行かないと。さすがに2人で挑むのは無謀ですよ」
まったく歩みを緩めない2人にため息を一つつくと。それでも頬に笑みを浮かべてから、食事の準備をしてるはずの2人を迎えに、背後の城へと駆け込んでいった。
カーミラの憂鬱 機月 @lunargadget
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