カーミラの憂鬱

機月

▽1

 闇夜にいくばくかの羽音がこぼれ、それと引き換えるように1人の少女が闇夜から降り立った。

 淑女の礼のように、艶やかに膨らむ漆黒のドレスの裾を摘まんでわずかに腰を落とす。伏せた瞳は深紅。魔力で生み出した翼を乱雑に振るうと、硬い笑みに荒ぶる銀糸の髪をなびかせながら、その姿勢のまま後ろへ滑るように跳ぶ。

 地を這う茨が、水面を切る小石のように少女を追った。2度3度と、わずか浮いた華奢なヒールに絡まり損ね、だがそこに追い付いた別の茨が黒いレースで編まれたストッキングを捉えて破り、真白い細足を絡み取った。茨が大きく波打つと少女は軽々と翻弄されて宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる。

「かふっ」

 少女が綿菓子のような真白くふわふわとした地面に背中からめり込むと、いくつもの茨が少女の手足ごと絡みついて地面に潜り込み、今度は少女の細い首や胴回りへ何度も執拗にまとわりつき始めた。

「あなたにも、偽りとはいえ暖かな聖夜は訪れた。それで満足したらどうかしら?」

 いつの間にか豪奢なドレスに身を包んだ貴婦人が歩み寄っていた。見事な量感をたたえながら、折れそうなほど絞り切った肢体には、慈愛に満ちた柔らかな振る舞いがあふれんばかりだ。

 タクトのような茨が絡む魔法の杖を振るうと、貴婦人の目の前に白木の杭が浮かび上がった。その先端を軽く杖で叩くと乾いた音を立て、今度は横たわった少女の心臓目掛けてゆっくり降りてゆく。

「明けない夜に沈むなんて、闇の眷属にはお似合いだと思うの」

「諦めちゃだめだよ、カーミラ!」

「そ、そうよ! そんな茨くらい、いつもの無駄な怪力でさっさと引き千切っちゃいなさいよバカ!」

 縛った両手を吊るされた少年と少女が、苦痛に顔をゆがめながらも戒めに抗っていた。自由な足をばたつかせる度に手首に茨が食い込み、流れる血潮を吸い取ってその茨は黒く染まる。そして茨ははっきりとわかるほど太く鋭く、その棘を増やして柔肌を一層食い込んでゆく。

「あなたに滅ぼされるのは癪に障るけど。……そうね。割と悪くない最後というのは、認めてもいいのかな」

 つぷり、と杭が沈み込む。触れれば簡単に折れそうな、何の魔力も持たない乾いた木の杭が、わずかに真紅の液体に染まる。

「もっと痛いのかと思っていたわ……」

「これは祝福だもの。呪われた生を解き放つ、聖なる儀式。そんな尊いものに、苦痛など必要ない…… なんていうと思った?」

 少女を見つめていた貴婦人の、口が耳まで裂けた。おぞましい牙をむき出しに、黒い目に真っ赤な瞳孔を開きながら、醜悪に顔を歪ませる。こぼれた声は掠れていたが、その表情も声も楽しいと察せるだけの愉悦に震えている。

「これで貴女を、永劫に燃え尽きぬ煉獄に叩き落すことが出来る。さあ、いつまでも苦痛に苛まれ続けて、己が運命を呪い続けるといい!」

「ひっ!?」

 揺り起こされた少女が目を開くと、そこは夜が明ける前の薄暗い寝室だった。静かで、少し肌寒い、明けない夜を繰り返す古城の一室。

「……カーミラ? うなされてたけど、大丈夫?」

 ありないほど耳元近くで呼ばれた名前は、明らかに不満げで、そして寝ぼけたように緩み切っていた。

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