第3話「動きだす」

 

 フェクシェマ領の領主、シュヴァイン公は無能だ。

 そんなことが領内の在在所所あちらこちらに話が出てくることはなんら不思議なものではなかった。

 ろくに仕事もせず、遊び惚けては寝てばかり。領内の問題など全て家臣たちに任せきり、それが領民たちの耳にも入っているのだ。

 これは由々しき事態。

「ご領主、シュヴァイン様。どうかお部屋から出てきますようお願い致しまする! モンテ子爵の御令嬢との逢瀬に向かうと先日申したではありませぬか!」

 バンバン! とドアを叩くのはフェクシェマに欠かせぬ家臣筆頭であるイーバル・ドッグスだった。整った顔立ち、スラリとしながらも鍛え抜かれた筋肉がその衣服越しでも分かる体。知と武を兼ね揃えた完璧たる家臣・イーバルは、青い髪を揺らして必死に主に呼びかける。

 しかし出てこない。朝から出てこない。

 メイドから話を聞いて、嫌な予感をしていたイーバルの予想は的中してしまった。

「うおおおおおおおおおおお!!! お願い致しまする! この取りつけにどれだけの労力と家臣たちの屍が転がっているのかお分かりか!」

「それを申されているから嫌がられているのでは?」

 イーバルの背後から声を掛けるのは、メイド長たるエマ・テザストルだった。キッとキツい目つきに眼鏡を掛けていて、少し引いた目でイーバルを見た。

「ぐぐ! しかし事実なのだ。あのバカなサル……サージェルも頑張ったのだ、屍を越えてきた私は失敗など許されない!」

「階段で爆睡していたサージェルさんが居ましたね」

「あのカーブリスト翁も、老体ながら必死に手伝ってくださった」

「すぐそこ廊下で危うく老衰しかかっていましたね」

 階段から『掃除の邪魔だぞテメエ。そこどけよぅ』と竜人族・リューの声が、『ジジィおめぇここで死ぬんじゃニャアぞ? 死体片付けるの大変なんニャから』と猫人族のミタマが忠誠を尽くして倒れた家臣たちを足蹴にしている。メイドたちの冷たさに歯軋りを起こすイーバル。

「そ、それはそうとメイド長。それは?」

「これですか」

 エマは手に持っていた物をイーバルに見せる。

「ご主人様がご必要とされましたので持ってきたのですが、私も詳しくは……」

 エマが持っていたのは、分厚く重ねられた雑誌の数々だった。主の物を勝手に物色するのは絶対にいけないことだが、今は火急の用件がある。それ以上の優先事項があるのかと思っての行動。雑誌の一つを取る。エマに注意されると思ったが、イーバルの言い分も分かっているエマは無言でそれを許した。

 その雑誌はというと、

「王都の貴族御用達、【潜在嗜好アブノーマルの果て、貴君はどこまでいけるかな今月号】……」

 エマは静かに、果てしなく無感情のままイーバルからそれを取り返し。

「ご主人様、お持ちしました」

『おっふ! おつかれ! いつものとこから入れてちょ』

「畏まりました」

 エマは流れるような動作で、ドアの中腹に作られた特殊口からそっと雑誌を挿入した。中からドタドタとノロい足音が聞こえる。

『ぶきー! 今回もすんごいなぁ! うおっすんごいなぁ! すんごいなぁ!』

「シュヴァインさまああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」

『ぶひゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!! お耳痛いぃぃぃ!』

 ドアの近くまで来たので、鍛え抜かれた大声量で主のダメさを叱責するべく顔が張り付くまで特殊口に唇をぐぎゅうと無理やり挟み込む。

「あにゃちゃわほんちょうにふぁにやっちぇんふぁぁぁぁぁぁぁ(訳:貴方は本当になにやってんだあああああ)!!」

『ひ、ひぃぃ! 唾ぁ、唾がつくぅぅ!!』

 そこからは何時もの風景、約一時間くらいイーバルの御説教が開始された。その光景をメイド長は慣れたように眺め、新米メイドさんたちはイーバルの苦労を知ることになった。





「やっと連れ出してくれましたか。もうお昼ですぜ」

「すまん、先方にはこちらから連絡はしてあるのだが、急ぎアジュールの街まで頼む」

「隣街なので全然余裕ですがね。イーバルの旦那、こうなること予測してましたねぇ。へへへ、さすがだ」

 馬丁グルームの少年はイーバルにそう言うが、とても疲れたような顔をしていた。少年と待っていた厩舎責任者マスター・オブ・ザ・ホースのジムはそんなイーバルに労いの言葉を掛ける。

「お疲れ様です。ご主人さまはご自由でおられますからな」

「……本当に」

 と、そこにふくよかな主の背中を押してながら馬車に向けて大声を言い放つ。

「ふ、ふぎぎぎぎ! お、おもっ……むぐぐ! イ、イーバルさまドアを! 馬車のドアをお開けくださいぃ!」

御者コーチマン、済まない。シュヴァインさまをここまでありがとう」

「ハァハァ、……御者コーチマンは馬を走らせる仕事なのにどうしてあたしがこんなことを」

 真っ赤な髪をポニーテールに纏めたかわいらしい少女は、荒い息を吐きながらシュヴァインを馬車まで押しくる。

「……?……御者助手アンダーコーチマンと、従者ヴァレットは?」

「ブローはリッカとご主人様の荷物を持ってくるところです、ほら、向こう側」

 シュヴァインを馬丁の少年と、ジムに預けて、御者のポニテ少女は無駄に広い豪邸の庭から大きな荷物を必死に運んでくる人影が見える。言葉通りで、人影が見える程度なので全然距離がある。イーバルは不憫に思う。

「主人が大変だと、家臣と家事使用人も苦労するのは一緒か……」

「……頑張りましょうよ」

「そうだな…………もう絶対やっちゃいかんことだが、馬車で迎えに行っちゃえ行っちゃえ」

「ありがとうございます」

 本来ならば、いや、たとえ主が極悪非道のゴミクズであろうと、使用人は主に逆らえない。いつでも代用が出来る故に殺されようと問題無い、というのが当たり前な時代なのだが、どうやらフェクシェマ領は特別過ぎるようだった。

 主の意見ガン無視で可哀想な使用人を迎えに、主を乗せた馬車を走らせたのだった。

「いやぁ。助かりました。ご主人の荷物の大半が辞書みたいに分厚い本が多かったので、意外と重く」

 そう言いながら、馬車の後ろに備え付けられた荷置場に大きな鞄を置く。大柄で、人当り良さそうな顔をした男は、苦笑しながらポニテ少女の隣、御者台に上がる。

「エポナさんもお疲れ様です」

「ふ、まだ仕事は終わってないのよ、ブロー」

「おぉ、なんだか暴れ馬との対応をしたときくらいにゲッソリしていますが、大丈夫ですか?」

「こんなことで音を上げるようじゃダメなんだからね」

「そうですな、頑張りましょう」

 ブローと呼ばれた男は笑みを崩さず、御者助手としてポニーテール少女、エポナの補助に回る。

 中に入っていった従者ヴァレットを確認し、厩舎責任者マスター・オブ・ザ・ホースのジムと、馬丁グルームの少年に視線を向けた。相手にも伝わり、馬車の窓から顔を見せたイーバルとシュヴァインに深いお辞儀をする。

「行ってらっしゃいませ」

 階級が上の者が挨拶をし、下の者もそれにならい深く頭を下げる。何かと正直に文句みたいなことを言っているが、使用人は基本主に忠実なのである。

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