003

 大して暖かくも新鮮でも美味しくもない食事をすませ、ストアは庭園にやってきた。ここで待つ、と矢文があったからだ。

 ――矢文。

 まさか近代において、そんな古風なものに遭遇するとは。

 同じ部屋で食事を取っていたのだから普通に話しかけてくれればいいのに、と思う。

 奇想天外な人だ。

 ストアの属する魔術工房は、この国で二番目に大きい。師匠は国の筆頭魔術士に登録されている指折の能力者だ。

 この国はもともと、農業大国として成り立っている。

 だから魔術士のような職業は比較的異端にあたるのだが、それでも世界全体から見れば、もっとも優秀な魔術士を輩出し続けてきた名家がいくつもある魔術国家だ。蓋を開けてみれば国民の半分以上は農地を耕し生きているが、外からのイメージは違う。

 魔法を操り、魔術を伝承する、素朴な人々が暮らす魔術の国・バーサイド。

「実際、異邦人は首都イリキにしか訪れないしね。たしかに国の要は、全て魔術で賄われている」

 キスはそう言いながら、ポットを大きく掲げてお茶を注ぐ。

 ポットの隣には、角砂糖が高く積まれていた。お菓子だ。

「食べる?」

 ストアは頷いて、一つだけ頂こうと手を伸ばした。

 可愛らしげな包装を解き、砂糖を口に放る。世間の持つイメージに違わず、子供であるストアは甘いものが好きだ。

「さて!」

 パン、と突然キスが手を打つ。騒がしい人だ。

「見せてくれる術は決まったかい?」

「はい。基礎ですが……色変えの呪文を、しようかと」

 カリトのアドバイス通り、色変えの呪文を選ぶことにした。

 ストアは他の弟子たちに比べると、魔術の教本をよく読むほうだ。だから、複雑な呪文や珍しい術式を試みて、知識の豊富さをアピールすることも考えた。

 が、相手は大人だ。それも分析士なら、なんでも知っているだろうーーと踏んで、知識の部分で戦おうとするのはやめた。

 単純な式を選んで、力の錬成具合を素直に見てもらったほうがいい。

 そこまで伝わったわけではないだろうが、キスは満足するように頷いてみせた。

「いい術だ。懐かしい! では、見せてもらおうかな」

 キスはそう言うと、カップを飲み干してから角砂糖へ手を伸ばした。ばくりと食べる。

 そして、あとに残った包装紙を、綺麗に広げて差し出した。

「さぁ、どうぞ」

 たしかにこれなら、分かりやすくカラーのプリントがあって、変化も認めやすいだろう。まったく異存はない。

 キスから受け取った花柄の用紙を、テーブルの上にそっと置く。

 まずは、今の色合いを学ぶことが大切だ。

 少し爽やかさを感じる、ライトブルーとグリーンのあしらい。そして花の中央には、サーモンピンクの雄しべが描かれている。

 ――よし。

 次に、イメージを固める。

 ストアは、この段階をいちばん大切にしていた。

 魔力は思考から生まれると、体感のうえ、信じているからだ。

「後ろを、ネイビーブルーにします。工房の空のような、厚い暗色に」

「素敵だ」

 キスは面白がるように、頬杖をついて微笑んでみせる。

 顔を上げれば、目が合った。目線が交差する、というよりも、ガラス球のような眼球に引き込まれるような感じがする。

「続けます」

 覗きこんでくるような目線が少し怖い。これが分析なのだろうか?

「次に、中央の花を、夜空によく合うように濃い赤紅に」

「いいね、女性が好きそうな色合いだ」

 キスはそう言って指を、彼の額に当てる。嵌められている眼球が、唐突にぎゅるりと回転した。

 心臓が跳ね上がるような、ひどい気分がした。瞳が回転しただけで、唐突にキスの顔が人間の顔には見えなくなったのだ。

 花粉がひどく飛ぶ日、風の強い朝、眼球を取り出して洗いたい、と思うことがある。

 もちろんそれは不可能なことなのだが、彼の、もはや無機質な瞳を見ていると、当然のように取り外しぐらいはできそうに見えた。まるで機械に見えるのだ。

 それはもはや、ただ高性能なレンズだった。黒目には幾何学的な図形がいくつも折り重なって、虹彩の色が、油光りするようにてらてらと移り変わっていた。両の眼は互いに違う方向へくるくると、時折方向を変えながら回転している。

 あっと口をあけて彼の瞳に魅入られていると、キスが困ったように微笑んだ。瞳は相変わらず表情を失い機械的だが、その他の、鼻や口や耳といった部分は、人間らしくそのままだった。

「驚かずに。続けて」

 これが――分析、なのだ。

 ここまで、ストアは分析をあくまでもスキル的なものだと捉えていた。たとえばストアが植物を育てるのが上手かったり、カリトが石削りが上手かったりする、その程度のものだと。

 しかし目の前で行われているこれは、どう見ても、常人の出来ることではない。少し観察力があるとか、データを統計だてて見ることが出来るとか、そういった瑣末な能力ではない。

 ――これは、おそらく一種の魔術だ。

 手が震えそうになるのを、なんとか気力で固定させる。術士にとって最大の天敵は動揺と不信だ。

 はあと唇から息を吐く。鼻で吸って、口で吐く。呼吸を安定させる。魔術の基本だ。

「――カリト――」

 思いついた言葉を、発声して口に出す。

 魔術というのは、決められた呪文を唱え定められた様式に従ってなぞるだけのものだという俗説が強いが、真実は違う。大切なのは術者の中にある魔力そのものの力であって、呪文というのはほんとうはなんだっていい。とはいえ魔力を形にするためには、ある程度のイメージが必要だ。

 たとえばおたまじゃくしを蛙に変化させるイメージで、板に足を生やして机にする。

 マシュマロを焦がすようなイメージで、鉄板を熱くさせて調理用具とする。このとき、『ヘーパイストス』と呟くと上手くいく。

 ヘーパイストスは誰もが良く知る炎の女神で、彼女の名前を口にすることで助力を得られる――と、魔術士でない人は思っているが、大切なのは「ヘーパイストス」と呟いたことで得られる脳内のイメージのほうだ。

 どうしたって、この大陸に住む僕たちはこの名前の響きに炎を連想する。その想像、空想、イメージが、魔力の練成の基礎になる。

 だからこそ、魔術士は読書家だ。さまざまな概念、さまざまなイメージを多様に己の中に持っていなければ、とてもたくさんの魔術を行使することができない。

 呪文を知っていることが大切なのではなく、自分のなかで呪文の本質を知っていることが重要なのだ。

「ヘーパイストス・ティタトル・色変えせよ!」

 包装紙が瞬間、蝋燭の炎にあぶられた様に色を変える。転変、という言葉が思い浮かぶ。

 一瞬で燃えたようにも見えたのに、高波が突然収まったように、穏やかな水面になる。やがて揺れが収まると、明るかったライトグリーンは深い藍色に染まっていた。――そう、ネイビーブルー。

 大枠の色変えは済んだ。あとは、細かいあしらい。

 頭の中で、筆をとって陶器に色づけをする父親の姿を思い出す。色づけは自分でもやったことがあるが、圧倒的に父のほうが上手かった。そのイメージを利用したい。

「――夜空によく似合う花火へ――」

 夕暮れ時は過ぎたのに、まだ少し青さの残る夜空。星々が光り始め、星座が形作られていく。その中に一つ、大輪を咲かせる。炎の花を。

 目を閉じる。風景のイメージと、父のイメージ。それらを頭のなかでだぶらせて、目を開いて最後に包装紙を見る。これが、小さなキャンバス。

「出来ました」

 両の手のひらのうえに揺れる、小さな包み紙を掲げて見せる。

 空想の世界と、現実の世界が、同一になる。

 思い描いていた通りに、中央の花は赤く染まっていた。少し、イメージが強すぎたかもしれない。単に色だけを変えたというよりは、少し火花っぽく表現がついてしまっている。

 キス・ディオールは大人らしい大きな手を叩き、薄唇を歪めた。

「よし、よくできました」

 その音でなんとなく魔法が解けたような気がして、ストアはあらためてキスの瞳を仰ぎ見た。

「どうでしたか?」

「ふむ……ふむ、ふむ、ふむ。良いイメージだ。非常に柔軟で、自由で、素晴らしい幼児時代を送ったのだろう」

「ありがとうございます。あの……僕のイメージが見えるんですか?」

「ああ、見えるさ。カリトというのは、人か。誰かな?」

「はい、僕の兄弟子です。工房に来てからずっと、僕の面倒を見てくれています」

 ――イメージが見える。

 それは、他人がどうやって魔術を行使しているのか、その手品のタネが全て透けて見えるということに他ならない。

 もちろんストアも、師匠や兄弟子たちの魔力そのものは見える。しかし、彼らがどうやってイメージを固めているのかは見えない。彼らが目を閉じ、何かを唱えることで、魔力が形作られていく過程を知ることが出来るだけだ。なんとなく感情が伝わってくるようなこともあるが、イメージが見える、というほどではない。

「……すごい、ですね」

「おや、何がだい?」

「あなたの分析のことです」

 コト、とキスはティーカップを置き、ストアの指から包装紙を取った。そしてそれを何度か日に透かしてみせる。

「綺麗だ。紙質も染料もそのままに、しかし色合いだけがただ変化している。これぞ――魔法だ」

 魔法。天から与えられた、ストアの大切な才能のひとつ。

「はい、工房ではいろんなことを教えてもらっています」

 そのようだ、と答えてキスは、未だレンズのような瞳の前で一振り、手をひらひらとさせた。

「――驚かせたね、悪かった。君がどれほど動揺に強いのか、というのも一度見てみたくて。二度目以降は慣れてしまってテストにならないだろう?」

「はい。すごく、驚きました」

 ストアのいる工房ではやらないが、師匠の方針によっては、術中の弟子を意図的に驚かせ、精神の強靭さを試すこともある、と聞く。

「だが君は意外と持ったな。実は今日は君の魔術を見ることはできないかな、なんて思っていたんだ。紅茶を飲みなさい!」

 彼がシルクハットをくるりと回すと、ポン! と弾けるような音がしてから、温かなティーポットが現れた。香り高い。アールグレイだ。

「……ありがとうございます」

 両手でカップを持って、息で冷ましてから口に運ぶ。田舎では、紅茶はあまり飲めなかった。

 術を使ったあとはどうしても体に疲労感が出る。はあと大きく息を吐いて、ふと包み紙を見つめた。

 綺麗に色変えできたけれど、このまま持っていても仕方がない。

「リディアット・空へ舞え」

 一昨日、本で読んだばかりの台詞だ。

 包み紙は羽を得て、風にさらわれるように空へ消えていった。ただ飛ばされていったように見えるけれど、あれは魔法だ。彼(もしくは彼女かもしれないが)は、鳥になった。

「美しいな。『葬制のリリア』は、僕も読んだことがある」

 リディアットは、『葬制のリリア』という小説のなかに登場する少年の名前だった。年のころはちょうどストアと同じだ。彼は、恋人・リリアとの別れを受けて、ラストには鳥になって飛び立つ。

「はい。一昨日読み終えたばかりです」

「うん、僕も君ぐらいの年ころに読んだような気がするな。サテ」

 キスはぐるんとシルクハットをまわした。仕立てのよさそうな皮地の香りが漂う。彼はその長身をぐんと伸ばして立ち上がった。東屋の天井についてしまうのでは、と思うほどに彼の背は大きい。

「まあ、今日はこれぐらいにしておこうか」

「はい。あの――」

「分析結果かい? まあ、あまり急かさないでくれ。もう少しデータがないとよく分からないこともあるのでね。ところで君は今赤の本を行っているんだったな。魔術の基礎だ。明日、君の修行を見学しても構わない?」

「はい。勿論です。いまは鉄鍋で、薬を作っています」

「なるほどね。つまらない仕事だ! まあ、君がやっているというのなら勿論、見学しよう」

 彼はルージュの少しはみ出た唇をゆがめて、笑う。笑うような形の唇だった。

「あの、すみません! 一つ、お聞きしてもいいでしょうか」

「一個でも十個でも百個でも無量大数でもどうぞ」

「僕の気脈は、どんな風に見えますか?」

 魔術士の気脈は、自分では見えない。

 他の人のものなら、たしかに色と形をもって判別できるのにも関わらず、なぜか自分のものだけは生涯目にすることが出来ないのだ。――ひょっとするとあの分析の目になら、自分自身の気脈ですら、見えるのかもしれないけれど。

「君はずいぶん特徴的だぞ。他の人から聞いていないのか?」

「大体は。金色だとか、蛍のようだとか、虫がいるようだとか」

「そうだ。君は蛍の大群をその小さな背におぶっているように、僕には見える。蝶もいたかな? 本当にすばらしい才能だよ! ストア。君が術式を始めた直後、この一帯からふわりと金色の光が現れ、世界中がともすれば光に包まれるかとさえも思った。もちろん、そんなことはなかったがね。しかしそれほどのことが出来るような才能である、ということだ」

「なるほど。ありがとうございます」

 キスの答えは、師匠や、カリトや、他の弟子たちが教えてくれる内容と、まったく同じだった。こぶし大の、金色の無数の光。蝶々や草木が生い茂って、どんな寒い冬の日でも春のような心地がする。光はオーナメントのようにきらきらと優しく、ときに眩しく輝く。光が現れただけで、一帯は激しく発光する。

 ――その光にみんな騙されているんじゃないのか、とすら、ストアは思っている。

 光があふれ、美しく見えているのであれば、たしかに凄い魔力だと思ってしまうのだろう。事実、気脈の視覚的な印象はその人の本質に依存している。師匠の気脈は黒い霧のようで、すべてを覆い隠してしまう。カリトの気脈は緑を中心とした色とりどりの泡と足元に生える硬い石の連なり。他にも、円形の陣を出す者、帯を出す者、閃光が出てゆく者、何も濡らさない雨を降らせる者――みな、気脈の表現はそれぞれに違う。キスは、どういう気脈を持つのだろう。

 そして僕は、本当に「才能」を持っているのだろうか。どうして、術士は自身の才能を見ることが出来ないのか。

「……また明日、どうぞ宜しくお願いします」

 キス・ディオールにそう礼を言って、ストアは修行場に戻った。

 ――勿論、鍋はひとつも完成しなかった。

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