第3章 ~違う運命へ続く一歩~

ep.1 わかって欲しいもどかしさ

「大丈夫か!?」


 重たいまぶたを開けると、心配そうな顔で覗き込む凌太りょうたが目の前にいた。


「凌太……」

「え? どうして俺の名前を……」

「生きてて良かった……」


 手を伸ばして触れようとした瞬間、ピタリと動きを止める。目の奥が熱くなって、堪えきれず涙を流した。


「どういう――」

「……っ!」


 勢いよく立ち上がり、凌太の腕の中から飛び出す。


「うわっ!? ちょっと……」


 彼を突き飛ばして、バランスを崩した隙を見て腕の中から逃げる。

 ごめんね、と心の中で呟いて、一度だけ振り返る。

 凌太と目が合い、別れにくくなる。離れたくない。でも、私が側にいたら凌太はまた――。


「バイバイ……」


 地面を強く蹴って、走り出そうとした、その時。腕を強く掴まれた。


「待って、シロ!」

「……え?」


 ゆっくりと振り返ると、凌太は手で自分の口元を隠した。


(今、なんて……)


 彼の瞳が動揺で揺れているけど、真っすぐに私を見つめている。


「あれ、なんでシロって……」

「離して……」

「待って、どうして俺の名前を知ってるんだ? 君は……」

「……っ!」


 凌太の手を振り払い、私は駆けて行く。後ろから「シロ!」と呼ぶ声が訊こえてくるけど、止まっちゃいけない。

 どうして私のことをシロって言ってくれたのかな? 今までなかったことに少し戸惑うけど、まずは彼から離れることの方が先だ。



 私が側にいるから凌太が、死んじゃうんだ……。



 辺りを見回して、草むらの陰に身を隠す。両膝を抱えて小さくなって、後から追ってくる凌太が過ぎて行くのを待つ。


(なんで……)


 人間になった私のことを知らないのに、「シロ」って呼んでくれた。



【もう一つ似てるのあった――雰囲気】



 それでわかってくれたのかな? でも、私が側にいたら凌太が、車にかれちゃう。死んじゃうのはもう、嫌だ。

 赤い海に凌太が浮かんでいるのは、もう見たくない。


(私が諦めればいいんだ、諦めれば……)


 両膝に顎をのせて、身体を更に小さくする。


「シロ!」


 訊いていたい声なのに、耳を塞ぐ。離れたないけど、離れないといけない――。

 目を強くつぶって、何も見ない。何も訊かない。


「…………」


 両耳から手を離すと、遠くから訊き覚えない男の子の声がした。楽しそうな声がして、遊んでいるのかな? 草が揺れる音がして、ビクリと身体を震わせる。音のした方を見ると、一つのサッカーボールが転がってきた。

 さっきの男の子達のかな? と手を伸ばすと、風に吹かれてコロコロと動く。


「ま、待って!」


 動く物を見ると追いかけたくなるのが、猫の習性。私が飛びかかると、弾みで更に転がっていく。


「にゃーっ! 捕まえた!」

「いてっ!」


 今度は逃がさない、と言わんばかりに両手でしっかりと掴む。その先に人がいたなんて気付かなくて、ぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさい……」

「いや、俺こそ下ばっか見てて……」


 お互いに顔を上げて、目を大きくさせる。ぶつかったのはなんと……凌太だった。


(隠れてた意味!)

「待って、なんで逃げるんだ!」


 慌てて逃げようとした私の腕を掴み、力強く引き寄せる。顔が近くなって、鼻先がぶつかりそうになった。息遣いを感じて、私の髪の毛を揺らす。


「なんで……追いかけてくるの……?」


 思わず声が震える。彼は真っすぐに私を見つめて、悲しそうな表情を浮かべた。


「逃げられたら、追いかけたくなるだろ……それに俺、君のことがわからないし」

「でも、シロって……」

「あれは……いつもあそこにくる猫に似てるような、感じがして……」


 視線を落として、自信がなさそうに言葉を紡ぐ。凌太の声が小さくて、よく耳を澄まさないと訊き逃してしまいそうだ。


「君は一体……」

「私は……」


 唇を引き結んで、言葉を溜める。息が詰まりそうになって、目の奥が熱くなるのを感じた。一度口を開いて、ゆっくりと息を吐く。


木下白きのしたしろ

「木下、白……」

「うん、その猫と一緒の名前」


 笑って見せると、凌太は驚いた表情を浮かべた。

 あの時みたく、猫と同じってことに怒ったと思ったのかな? それとも気付いてくれたのかな?


(それはないか……)


 二回目の時に同じやり取りをしたけど、ダメだった。


(凌太のこと言えないくらいそのまんまの名前をつけたんだけどな……)

「あのさ……」


 彼の顔がぐっと近くなって、真っすぐに私を見据える。黒い瞳に人間の姿の私が映った。悲しそうで、今にも泣き出しそうな顔をしている。どうにか笑ってみるけど、頬が引きつってしまう。


「白って……」


 凌太が一歩前に出ると、サッカーボールに触れたのか、視線の端で転がっていくのが見えた。



 今はダメ……でも!



 強く目を閉じて、一度は我慢した。でも、どんどん転がっていくボールが、脳裏で再生されて……我慢の限界を迎える。

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