第2章 ~再会、友達からの裏切り~

ep.1 再会、巻き戻った時間

凌太りょうた……っ!」


 彼の頬に触れて、涙を流す。

 温もりがあって、声も訊ける。こうしてまた名前を呼ぶことが出来るのが、何よりも嬉しい。


「りょ……」


 何度繰り返しても飽きない、足りない。


「どうして、俺の名前を……」

「え……?」

「逢ったこと、あるっけ?」


 風が吹き抜けて、木の葉が目の前を過ぎていく。

 凌太は真っすぐに私を見つめて、視線を逸らさない。彼の瞳には驚いた顔をした私が映っていて、動揺しているのか目が揺れていた。


「そんな……」


 ついさっき自己紹介をして、私の気持ちを伝えたばかりなのに、その返事だって訊いていないのに、どうして――。



【ああ、ニンゲンが生きている時間に戻るんだ。お前さんがな】



 ふと、クロウの言葉を思い出した。

 時間が戻って凌太が生きている時間にきた、それってもしかして……人間になった直後に戻ったってこと!?


「君は……誰?」

「私は……」


 生きていればいい、そう思っていたけど、やっぱり胸が苦しい。


(それでも、私が望んだこと……何より、凌太が生きてる)


 唇を噛み締めて、手をゆっくりと離していく。拳をギュッと握り、息を大きく吸い込む。


木下白きのしたしろって言うんだ……」

「木下、白……」


 確認するかのようにゆっくりと言葉にする凌太は、ふっと優しい笑みを浮かべた。


「アイツに似た名前だ」

「アイツ?」

「ここにくる白猫がいるんだけど……俺が名前をつけたんだ。シロって」


 私は目を大きく開いて、凌太を見つめる。私のことはわからなくても、猫だった時の記憶はあるんだ。


(良かった……)

「大丈夫? やっぱり、どこか痛い?」

「ううん……違うの、また凌太に出逢えたことが嬉しくて……」

「ごめん、俺……」

「気にしないで……」


 涙を指先で拭い、顔を上げる。その時、あることに気付いた。

 凌太の腕の中にすっぽりと収まり、お姫様抱っこをされている状態だってことに。


「にゃっ!? ごめんな……」

「えっ? ちょっと……」


 私が暴れたせいか、彼がバランスを崩す。そのため二人して地面に倒れることになってしまったけど、お互い顔を見合わせて微笑んだ。


「てて……危ないだろ」

「ご、ごめんなさい……」

「でも、たまにはいいかも」

「え?」

「こうして草の上に寝転ぶのも……前はよくやってたんだ、シロと」


 そう言えば、そうだった。太陽が眩しくて、木陰を探すのが大変だったけど、二人――その時は一匹と一人――で並んでお昼寝。時間がゆっくり流れて、幸せだった。

 また目の奥が熱くなってきて、涙をどうにか堪えていると、凌太が私の髪を撫でる。


「シロの毛はすっごくふわふわしてるから、今度触ってみてよ。よくここにくるんだ」


 今だってこうして一緒にいるんだよ。


「アイツ、人懐っこいからちょっと不安になるんだ」


 そんなことない、凌太にしか触らせてあげないんだから。


「でも、白の毛と少し似てる」

「私と……?」

「こんな感じに柔らかいから」

「それって、褒めてくれてるの……?」

「あ、そのつもりだったけど……ごめん、嫌だった?」


 彼の手が止まり、離れていく指先を掴む。


「そんなことない、すっごく嬉しい!」


 シロと白は同じ。猫の私と人間の私。猫の私は凌太に恋をしたから人間になりたいって思ったんだ。


「そっか……良かった」


 優しく微笑む彼をまた見ることが出来て嬉しい。そんなことを考えていると、凌太は突然上体を起こして、振り返る。

 どうしたのかと、私も起き上がろうとした、その時。悪寒が駆け抜ける。全身の毛――今は鳥肌――が立ち、奥歯を噛み締めた。眉間にしわを寄せて、唇を引き結ぶ。


恵香けいか……」

「先生が凌太を呼んでたから、探しにきたの」


 さっきまでの笑顔とは違う、笑いを浮かべる。それは何だかぎこちなくて、今まで見たことがない。こんな風にも笑うんだ、それが一番の印象だった。


「凌太……?」


 あの時と同じ、悲しくてツラそうな表情を見せる。どうしてそんな顔をするの? 凌太と恵香は付き合っているんだよね? お互いに好きなんじゃないの?


「その子、誰?」


 まただ。

 あの時と同じ嫌悪感、怒気をはらんだ声。私を敵だと認識した、縄張り意識の高い猫と同じ感じがする。

 同時に、凌太が恵香を庇い車にかれた瞬間が、頭の中で再生された。


「――っ!」


 道路の真ん中で横たわり、動かなくなった凌太は、赤い液体の中に浮かぶ。私が駆け寄っても、手を握っても、抱きしめても、何の反応もしてくれない。微かに残った温もりも次第に消えていく。


(もう、あんなの嫌だ……)

「この子は白。さっき逢った子」


 凌太の声でハッと我に返り、恵香に視線を向けた。


「ふーん……」


 相変わらず嫌悪感を露わにして、私の頭の上から足の先まで睨み付けてくる。


「そうだ、先生が何の用だって?」


 話を変えようとして、凌太が恵香に尋ねる。雰囲気が少し柔らかくなり、彼に向ける視線の鋭さが弱くなった。そういうところからも、好きなんだなってわかる。


「知らない、あたしは探してきてって頼まれたから……」

「頼まれた、ね……」

「ほら、早く行こう」


 恵香が凌太の手に触れようとした、その時。私は彼女の制服を掴み、真っすぐに見据えた。光の差さない暗い瞳に私を映して、恵香は驚いた顔をする。


「な、何よ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る