ep.2 初めましてじゃない自己紹介

「そっか、木下白か」

「うん!」

「俺は那須なす凌太。改めてよろしくな、白」

「うん……」


 彼について知ることが出来る喜びよりも、私のことがわからないのが寂しかった。

 せっかく人の身体を手にして、人の言葉を話せて、意思疎通が出来る。でも、あの時のことは、忘れてしまったの……?


「えっ!? ちょっ、どうしたの!? やっぱり、どっか打った?」


 私は首を横に振る。五本の指を動かして、白いワンピースの裾を握り締めた。目の奥が熱くなって、水滴がどんどん溢れてくる。


「なんで泣くんだよ……困ったな」

「泣く……?」

「え、だって……涙出てんだろ?」

(これが、泣くってことなんだ……この水が【涙】)


 初めてのことに戸惑っていると、凌太は制服のポケットから一枚の布を取り出す。


「ほら……これ使って」

「あ、ありがと……」

「いつもはここで逢う猫におやつあげるのに使ってるけど、今日はまだだからキレイだから」


 そう言えば、凌太は私に何か物をくれる時は必ず、これにのせてくれていた。確か、「はんかち」っていうんだよね?


「鼻水も拭っていいよ」

「えっ!?」


 鼻水まで出ていたのかと思うと、恥ずかしくなってきた。掌で顔を拭っていると、凌太の腕が伸びてくる。


「ちょっと貸して」


 そっと手を私の頬に添えて、ハンカチを持つ。そのまま優しく私の目元に当てて、涙を拭いてくれた。


「こんなもんかな」


 距離がさっきよりも近くて、ぎこちなくなる。鼓動が激しくなって、訊こえないかと不安になる。


「ついでに鼻水も拭っといたから」

「えっ!?」

(鼻水って本当だったんだ!)


 慌てて両手で鼻を隠すと、凌太は吹き出した。


「冗談だって」

「え……か、からかったの!?」

「ごめんって。反応が可愛かったから」

(可愛いって……)


 猫の時には何度も言われたことがあって、その時も嬉しかった。でも、今はもっと嬉しい。胸の奥がポカポカして、ぎゅっと苦しい。


「あ、ごめん……いきなりこんなこと言ったらキモイよな」

「そんなことないよ、嬉しい!」


 首を左右に振り、激しく否定する。


「そっか、それなら良かった……」


 そう言えば、と凌太は改めて私を頭の上から足の先まで見た。

 どうしたんだろ、首を傾げていると、


「白はどうしてここに? トキツバの生徒じゃないだろ?」

「えっ」

「迷子?」

「う、うーん……」


 迷子と言えば、そうかもしれない。凌太に対する気持ちはあるのに、どこに向ければいいのかわからない。もどかしくて、曇りの日みたいにどんより気分。


「家は、この近くなのか?」


 間違ってはいないけど、家を教える訳にはいかない。


(だって、近くの公園の茂みって言ったら、驚かれるだろうし……)


 人間の場合、そういうのって確かホームレスって言うんだよね? 昔、お母さんが生きていた時に訊いたことがある。


「場所わかるか? 一緒に交番に行こうか――」


 凌太が私の手に触れようとした、その時。


「凌太!」


 怒気をはらんだ声が飛んできた。

 彼の指先がピクリと動いて、止まる。私は声のした方に顔を向けると、息が詰まるような感じがした。視線の先には凌太と同じ制服を着た女の子がいた。海の青よりも深い色をした長い髪を風でなびかせて、光の差さない暗い瞳で私を睨んでいる。野生の勘なのか、怖いと感じてしまった。


恵香けいか……」

(知り合い?)


 お互いに名前を呼んでいるから知っているんだと思う、前に見た友達? でも、何だろう。上手く言えないけど、凌太の様子がおかしくなった。何かに怯えているような、そんな感じがする。


「誰、その子」

「……白って言うんだ。さっき知り合って、迷子らしい」

「ふーん……」


 凌太と同じように私を見るけど、何だか嫌な感じ。なんて言うか、品定めされているような、いい気分じゃない。


「恵香こそどうしたんだよ」

「先生が呼んでたから、探しにきたの」

「先生が? 何だろ」


 小さく息を吐いて、凌太はきびすを返した。私から離れて行って、恵香って子の方に向かう。


「ま……」


 待って、まだ何も伝えていない。


「い……」


 行っちゃヤダ! せっかく、人間の姿になれたのに!

 そう思った時には、凌太の制服を掴んでいた。

 顔だけで振り返った彼は、目を大きくして驚いた。


「ん? どうした?」

「あ、あの……」


 口籠もったのは、何を言おうか迷ったのもあったけど、恵香が凄い顔で睨んでいたのもあった。


(怒ってる……?)


 さっきもそうだけど、彼女はどうして怒っているんだろ? 私が何かした? でも、凌太と違って初めましてなのに、どうして――。


「白?」


 凌太に名前を呼ばれて、ハッとする。


「あ、の……また、逢える? 私、伝えたいことがあるの、あなたに!」

「俺に?」

「凌太、早く!」

「わかったって」


 恵香に腕を引かれて、少し嫌そうな表情を浮かべた。こんな顔、初めて見る。笑っていたり、悲しそうな顔は見たことがあった。でも、そんな顔もするんだ。


「放課後、またここにくるから……その時でもいい?」

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