第1章 ~私の声が届く距離~

ep.1 人間になれました…!?

「大丈夫か!?」


 あの時と同じ声が訊こえた。


「りょ、た……」


 彼の名前を呼ぶと、誰かが力強く抱きしめてくれる。木から落ちた痛みはいつまでもこなくて、代わりに温もりを感じた。


(どういうこと……?)


 あの高さから落ちても死なないはずだけど、もしかして――。


「おい、大丈夫か!?」


 頬を叩かれて、ようやく目を開く。視界がボヤけている中、誰かが私を抱きしめているのだけはわかった。黒髪でトキツバの制服を着ている。声が凌太りょうたに似ているから、男の子かな? なんて考えていると息が苦しくなってきた。呼吸が上手く出来なくて、勢いよく咳き込む。


「ゆっくり深呼吸して……」


 背中を撫でてくれる彼にお礼を言おうとして、あることに気付いた。



 どうして私、背中を撫でてもらっているの……?



 人間が猫の背中を撫でて、咳が治まるのを待つ……そんなこと今までなかった。


「大丈夫か? どこかケガしてないか?」


 こんな風に心配されたこともない。いや、一度だけある。私が車にかれそうになったあの日、凌太だけは私を気遣ってくれた。


「あ、ありが、と……」

「良かった……忘れ物したから戻ってきてみたら、君が落ちてきて……」

(あれ、今……?)


 お礼を言った私に、返事をしてくれた? 顔を上げてみると、私は目を大きく見開く。

 助けてくれた人が凌太だったことにも驚いたけど、何より彼の瞳に映っている私は――人間の姿をしていた。


「えっ!?」


 自慢の白い毛はなく、代わりに白いワンピースを着ている。肌色の皮膚に、二本の腕と脚。手には肉球がなくなり五本の指がある。靴もしっかりと履いていて、身体中や顔を触ってみる。凌太と同じように目、鼻、口、耳があった。頭には銀色だけど凌太と同じような肩くらいの長さの髪がある。


「これって……どういうこと?」

「あの……」

「え?」

「離してもらって、いい?」


 いつの間にか、凌太の顔を掴んでジッと見つめていた。


「そんなに見られると……照れるんだけど……」

「あ、ご、ごめん! 凌太を見てたんじゃなくて、その私を見ていて……」

「え?」


 思ったことがそのまま口から出ていたようで、凌太は眉間にしわを寄せる。


「ごめん、そういう意味じゃなくて――」

「どうして、俺の名前を知ってるんだ?」


 あ、そっちか。ちょっと安心して、胸を撫で下ろす。


「それは――」

「カーカカカッ!」


 勢いよく顔を上げると、クロウが枝に立っていた。


「なぁにやってんだ、お前さん」

「カラスがどうしたんだ?」


 私につられるように空を見上げた凌太は、首を傾げる。


「な、何でもないよ」

「おいおい、俺様をムシするなんていい度胸だなぁ」

「た、助けてくれてありがとう……」

「まぁ、いい。俺様が勝手に話すから訊いておけよ。そのニンゲンには訊こえねぇんだから」

「え?」


 凌太から視線を移して、クロウを見据えた。黒くて艶のある羽が落ちてきて、クロウはいつの間にか私の頭の上にいる。


「にゃあっ!?」

「俺様達動物の声はニンゲンには訊こえねぇ、しかしお前さんには訊こえる。何でかわかるか?」

「コイツ……っ! 離れろ!」


 彼が追い払おうと腕を振るうけど、クロウには当たらない。ヒラリと避けて、地面に着地した。


「お前さんは今、ニンゲンと猫の半分ずつを持っているっていうことだよ」

「どういうこと……?」

「そのまんまの意味さ。お前さんは完全なニンゲンじゃない、今はな」


 今は、ってことは……完全な人間になれるってこと? それってもしかして、凌太に想いを伝えることが出来る!?


「そう上手くいくといいなぁ」

「え……?」

「まぁ、せいぜい……俺様を楽しませてくれよ」


 飛び去っていくクロウを黙って見つめていると、凌太に肩を叩かれた。ビクリと身体が跳ねて、振り返る。


「あ、ごめん……驚かせた?」

「ううん、大丈夫だよ」



【そう上手くいくといいなぁ】



(何よ、感じ悪い……)


 でも、あの言葉が気になる。私の気持ちを伝えるだけなのに、難しいことなんてないはずなのに、どうしてあんなことを言うのか――。


「それで……どこかで逢ったことあったっけ?」

「え、あの……覚えてない?」

「……ごめん」


 それもそうだよね、と一人で納得すると同時に、寂しさを覚えた。猫の姿だったらわかってもらえるけど、人間になったらムリだよね。


「ううん、気にしないで」

「名前、訊いてもいい?」

「名前、は……」


 顔が引きつるのがわかった。それを見た凌太が申し訳ない表情を浮かべていたけど、怒っているんじゃない。その逆で、困っている。元々、野良猫だった私には名前がない。呼んでくれる人も、名乗る必要もないから。

 どうしたら、と視線を彷徨わせていると、あるものが目に留まった。


「シロ……」


 そうだ、私には大好きな人からもらった名前がある。


「白?」


 凌太がくれた名前、なくしたくないかけがえのないもの。ううん、なくしちゃいけないもの。


木下白きのしたしろ!」


 この大きな木の下で、私は凌太から大切な時間をもらった。そして、人間の姿を手に入れて、ここで出逢った。



 ここが私のスタート地点だ!

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