ep.2 「シロ」の誕生

 トキツバって確か……ここの近くの学校ってところだったはず。凌太の着ている服は見たことがある。ここら辺にいる子どもと同じ物だ。

 でも、シロって何? 首を傾げると、彼は優しく微笑む。


「シロ……お前の名前だよ。白猫だからシロ、わかりやすいだろ?」


 何、それ……見たまんま。でも、嫌じゃない。むしろ嬉しい! 私が返事をすると、凌太が笑う。


「またな、シロ。トキツバの大きな木のところにおいで」


 手が伸びてきて、私の頭を撫でる。


「教えるの、シロだけだからな」


 私だけ? 私と凌太――一匹と一人だけの秘密。この響きが何だか嬉しくて、私は何度も頷いた。


「おーい!」


 再び呼ばれて、凌太は私から離れて行く。今度は邪魔をしなかった。さっきと違って、次に逢う約束が出来たから。また、彼に逢うことが出来る。もう触れられていないのに、まだ心が熱く感じる。でも、それは長くは続かない。

 同じ格好をして、同じくらいの男の子の輪に入ると、凌太はまた笑う。

 チクリ、と胸が痛む。

 私に向けていたものは違う、楽しそうな笑顔。心から楽しんでいる証拠だ。



 人間と猫の間の壁が存在する。



「……知ってるよ、そんなこと……」

「カーッカカカ!」


 独り言を呟くと、高笑いが訊こえてきた。

 ここには私以外、誰もいないはずなのに……一体どこから? 辺りを見回していると、強い風が吹いた。私の白くて自慢の毛並みを引っ張るような強い風と共に、一羽のカラスが現れる。


「クロウ!」

「こいつは傑作だ。猫がニンゲンに恋してらぁ」

「――っ! あんた、どこから見てたの!?」

「そんなのどうでもいいじゃねぇか」


 そんなこと!? 私が凌太に対する想いをそんなことって言った。


「あんたね――」


 文句を言おうとした、次の瞬間。


「お前さん、あのニンゲンに想いを伝えたいと思わねぇか?」


 出かけた言葉が、喉の奥で止まる。私は目を大きくして、クロウを見つめた。


「俺様が、お前さんの願いを叶えてやるぜぇ」


 黒い艶のある羽、ガラスのように光る瞳。鋭いクチバシを鳴らして、私をバカにするように笑う。


「どう、やって……?」

「それは……お前さん次第さ」

「私、次第……?」

「ああ、お前さんがニンゲンとの恋愛ごっこがしたいって思ったら、俺様が叶えてやってもいいぜ」


 言っている意味がわからなかった。

 私は猫で、凌太は人間。どうがんばったって想いを伝えることなんて出来ないのに、クロウは「俺なら出来る」という自信を持っている。その自信が確実なものだってのは何となくわかるけど、でも、絶対に何かある。


「まぁ、気が向いたらお願いしにきな……ククッ」


 両腕を大きく広げて、上下に動かす。羽ばたく音と共にクロウの身体が、ゆっくりと浮いて行く。


「ただし、俺様の気が変わらない内にな」


 空高く舞い、あっという間に離れて行ってしまう。青く広い空に黒い点が、消えていく。私はただそれを見つめることしか出来ずに、固まっていた。

 私の願い……凌太に想いを伝えたい。出来ることなら一緒にいたい。こんなこと、今まで思ったことなかった。



 猫は自由が一番! って思ってた私が――。



 彼のことを考えると、胸が苦しくなる。全身の毛が逆立って、尻尾だってピンと伸びる。経験したことがない感情が渦巻いて、戸惑うけど、嫌なものじゃない。



 クロウの言葉に、私の気持ちが大きくなるなんて――。



            ★☆



「今日も早いな、シロ」


 時翼ときつばさ高等学校――通称、トキツバ――の裏庭にある大きな木の下に、凌太はいつもいた。最近は私の方が先にきているから、彼を待っていることが多い。

 凌太はいつも「じゅぎょう」時間を抜け出してきていた。私としては他の人がいないから嬉しい。二人っきり――正確には一匹と一人――になれる。


「隣、いいか?」

「にゃー」


 返事をすると、凌太は私の隣に座る。背中を幹に預けて、空を見上げた。大きく息を吸って、一度止める。ゆっくりと息を吐いて、目を閉じた。これがいつもの流れ。

 私は凌太の太ももに顎をのせて、目だけを動かした。彼を見つめると、微笑みが訊こえてきて優しく頭を撫でてくれる。


「いつもそこだな」

「みゃお」


 私の特等席はここ。凌太の温もりを感じられて、よく見えるここが好き。

 大きなあくびをして、喉を鳴らした。

 周りは静かで、私と凌太しかいない。空の雲がゆっくりと流れていき、風が草木を揺らした。

 一匹でいた時とあまり変わらないけど、好きな人と一緒にいると心が満たされる。これが恋何だろうか? 何てことを考えていると、凌太が小さく息を吐いた。


「シロはどうしてここにくるんだ?」

「みゃお?」


 どうしてそんなことを訊くんだろう? 凌太を見上げると、少しだけ寂しそうな表情を浮かべていた。


「にゃー」


 私はもちろん、凌太に逢うためだよ。凌太は?


「俺は……ここが落ち着くからかな」

「みー……」


 そうなんだ、と頷くと凌太は、私の喉を指先でくすぐる。


「それに、癒しもあるからな」

「みゃお!」


 癒しって私のこと? 凌太のこと癒せている? それなら嬉しい!

 目を細めて喉を鳴らすと、彼は私を抱き上げた。腕の中にすっぽりと収まり、私は身体を丸める。凌太の腕の中は温かくて、何となく落ち着く。でも、その代わり心臓がうるさいくらいに高鳴って、凌太に訊こえないかって心配になる。

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