白の片想い~現の体験~

黒猫千鶴

プロローグ

ep.1 出逢い、恋をしました

 いつもは地面の方が近いのに、今は空の方が近く感じる。手を伸ばせば届きそうで、あの白い雲だって掴めるかもしれない。そんなことがムリだってわかっているけど、そう思ってしまう奇跡が起きた――はずだった。


(どうしてこんなことに……)


 夢であって欲しい。そう願うけど、現実は違う。

 そう、現実は――こくな選択を私に与えた。


「さぁ、どうする?」


 私は目の前にいる一羽のカラスを睨み付ける。コイツに怒りをぶつけても、意味がないのはわかっている。むしろ感謝をしなくちゃいけない。

 白猫だった私に、人間の姿を与えてくれたんだから。


(こんなはずじゃなかったのに……)


 夢は夢だから美しいのかもしれない。奇跡は滅多に起きないから奇跡なんだ。そんなこと、誰かに言われなくてもわかっていた、つもりだった。



 こんなの嫌だ――。



 下を向くと水滴が落ちてくる。これが【涙】だと教えてくれたのは、私の膝の上で眠る彼だ。キレイな寝顔の彼は、いくら身体を揺すっても起きてくれない。涙が彼の頬を濡らすけど、ピクリとも動かない。


(こんなのが現実だなんて……)


 夏になると暑苦しい毛皮がない肌色の皮膚。自慢の白い毛の代わりに白いワンピースを着ていた。二本の腕に、脚だってある。


(私は彼に何もしてあげられなかった……)



 だから、今度は私の番だ。



「お願い……」


 顔を上げて、カラスを真っすぐに見据える。コイツが何を考えていて、何を楽しんでいるのかはわからない。でも、一つだけわかるのは、凌太りょうたを助けられるのはコイツだけ。


「彼を――助けて!」


 どんな代償だって払う。だから、彼を助けて欲しい。

 どんなことをしてでも、彼だけは――凌太には幸せになって欲しいから。


「いいぜぇ」


 クチバシを鳴らして笑う顔は、いつにも増して不気味さを帯びていたのを覚えている。

 強い風が吹いて、私を包み込む。黒い羽が舞い散り、私と凌太を切り離した。



 待っててね、凌太――。



            ★☆



 甲高いブレーキの音が響いたと同時に、私の身体はふわりと浮いた。これからやってくるであろう衝撃に耐えるため、強く目をつぶる。


「あぶねーだろ! 気を付けろ!」


 車の運転手が私に対して叫ぶと、急発進をしてこの場を去って行く。エンジン音が遠ざかっても痛みはやってこない。

 これが死んだってことなのかな? そう思いながら恐る恐るまぶたを開けると、見知らぬ男の子がいた。


「大丈夫か?」


 優しい言葉をかけられて、私は返事に困った。さっきの運転手みたいに怒られるのかと思っていたのと、さっきまでいなかった人が目の前にいる。



 彼はどこからやってきたんだろ?



 私が返事に困っていると、彼は小さな溜め息を吐いた。


「あの車も危ないな……狭い道であんなスピード出すなって。お前もお前だ、飛び出すんじゃない」


 額を指先で小突かれて、私は眉間にしわを寄せた。

 あれは私が悪いんじゃないのに……私が歩いていたらあの車がやってきたのに。どうして人間は、私達猫が悪いみたいに言うのかな?


「俺が通りかからなかったらどうしてたんだよ」


 歯を見せて笑う彼は、私の頭を撫でる。この時、私は彼に助けられたんだってわかった。


「まあ、無事で良かった」


 いつか訊いた、人間の絵本を思い出す。ピンチを迎えた女の子には、王子様が駆けつけて助けてくれるって……そんな話。



 じゃあ、彼が私の――。



 目を輝かせて見つめていると、彼の頬に切り傷が出来ていることに気付いた。私を助けた時に出来たのかな? 私は彼の手の中から身体を伸ばして、顔を近付けた。


「わっ! くすぐったいだろ~」


 傷口を舐めると、彼がくすぐったそうに笑う。舌から逃げるように顔を動かすけど、私も負けじと追いかける。


「わかったわかった」


 何がわかったの? こうした方が早く治るんだよ?

 私の顔に掌を押し付ける彼を睨み付けると、柔らかく微笑まれた。その顔、ズルイ。電撃が、稲妻が落ちたような感覚に襲われて、全身の毛が逆立つ。彼の息がかかると、あまりの近さに急に恥ずかしくなった。


「どうした? 急に大人しくなって」


 楽しそうに笑い、彼は私を地面に下してくれる。優しく、温かい彼の手が離れていく。それが寂しくて、腕を伸ばした。


「凌太ーっ!」


 遠くから男の子の声がする。彼――凌太――を呼ぶ声、友達かな? 凌太も元気に返事をして、きびすを返す。



 待って!



「わっ! 危ないだろ」


 凌太の足に尻尾や身体を絡めて、邪魔をする。まだ一緒にいたい。人間に対してこんな想いを抱くなんて、初めてだった。

 一目惚れ――人間の女の子の会話を思い出す。その子は入学時に見学に行った部活の先輩に恋をしたって言っていた。

 私もきっと、凌太に一目惚れをしたんだと思う。危ないところを助けてもらった、私の王子様。でも、知っているんだ。



 人間と猫は、想いが通じないって――。



「なんだ、寂しいのか?」

「にゃお……」


 そうだよ、悪い? なんて鳴いたところで伝わる訳がない。


「トキツバにおいで、シロ」


 私は目を丸くした。

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