第4話 ミケ


「・・・強い寒気が南下してきており、今日は各地で初雪が観測されています。この影響で・・・」


朝のニュースにシャドーイングしてみせる。22日を繰り返せども、これほど余裕のある朝は初めてだ。俺は窓の外に広がる銀世界を優雅に眺めながら、朝のコーヒーを3杯嗜み、揚々と玄関を出た。


向かったのは、近くにある小さな公園。ここに今日のターゲットがいる。


俺はいつもの場所で懐からツナ缶を取り出した。

するとまだ缶を開けてないにも関わらず、茂みからふてぶてしい顔をした太い黒猫が姿を現した。

良かった。まだ生きている。



ミケ。??歳。

この公園にかなり前から住み着いている黒猫。会社からの帰り道、いつも餌をやっている。いつぞやか、抱き抱えてやろうとして、頬に猫パンチを喰らったことがある。恩を仇で返すようなけしからんやつだ。

・・あれ?どうしてこんなやつの面倒見てやっているんだっけ?


・・なにはともあれ、こいつだ。間違いない。


昨日見た黒猫のネックレスとあの女の様子。

無意識に、生前の姿に愛着を示しているのだろう。

死者は人間とは限らない。

そういう小説を最近読んだから絶対間違いない。


あとはこいつを助けてやるだけなのだが、この猫、俺のことをエサ配給係としか見てないようで、どうにも言うことを聞かない。この公園から連れ出すのが、一番確実な方法だが、骨が折れるだろう。時間もまだ余裕があることだし、本当にこいつが死にかけるのか、確証も欲しい。俺はしばらく様子を見ることにした。




近くのベンチに腰かけ、長かった22日について物思いに耽る。呪いにかかる前は、毎日が仕事、仕事で、猫を眺めながらのんびりする時間などなかった。それが少し惜しく感じる。今日欠勤した分、明日からは怒涛の日々が始まることだろう。・・まああの女に会わなくてよくなる代償としては安いもんだが。


腕時計を見ると16時10分。

そろそろ佐藤さんのアパートへ向かわないと心配な時間になってきた。俺は諦めて、腕捲りをしながらミケに近寄った。


すると、いままで大人しく横になっていたミケが、突然何か思い出したように駆け出した。猫の考えることはよく分からないが、俺もついて走り出す。デブ猫なので、すぐ追いつけるだろう。


何度か転びそうになりながらも走ってきたのは、となりにあった駐車場。俺は嫌な予感がした。1台黒塗りのベンツが前向きに止まってある。ミケ、あれだけには、頼むからあれだけには近づかないでくれ。俺のそんな祈りも虚しく、ミケはベンツのタイヤ近くにスルリと入り込んだ。エンジンはかかってある。今にもバックしてきそうだ。俺は覚悟を決めて、ベンツの後ろに駆け寄った。


「待った!!ゼエゼエ、ゲホッ。」


全身を使って車をブロックする。

運転手が俺の存在に気づいて、バックを止めた。

ドアを開けて出てくると、つかつかと俺に歩み寄った。いかにも、という感じの兄ちゃんである。


「あ?」


「いや、猫がタイヤ近くに入り込んでいたもので。」


兄ちゃんが車の下を確認するが、何もいない。張本人はとんずらしたようだ。あいつめ。もうツナ缶などもってきてやるものか。


「なんもおらんやないか。ふざけとんのかワレェ!」


「いや、さっきまでいたんですけど。どっか行ってしまったみたいですね。はは。じゃあ急いでいるものでこれで。」


俺もとんずらしようとしたところで、むんずと腕を捕まれた。


「腕。ぶつかったよな。おれの愛車に。傷ついたわ。弁償せえ。」


「は?」


確かにバックしてくる車に少し手が触れたが、あんなくらいで傷がついた日には天下のベンツも笑い物である。


この兄ちゃんは話が通じそうにもない。逃げようにも腕を捕まれて逃げれない。ぐだぐたと付けられる難癖を聞き流しながら、俺は怖さよりも焦りを感じていた。やばい、間に合わなくなる。


「すいません。本当に急いでいるもので・・。」


「逃げたいだけやろうが。逃がさんぞ。金払えカネェ!」


「だから・・急いでるんだよっ!!」


ぶちっ。

頭の中で何かがキレた。


俺の左腕を掴んでいる相手の左手を、右手でつかんで持ち上げる。そのまま流れるように向こう側へ押し倒した。相手の左手が離れ自由になる。

大学時代に習っていた合気道を復習するように、俺は技をかけた。あまり一般人に掛けるべきではないが今は人命がかかっているのだ。師匠も許してくれるだろう。


俺は兄ちゃんには一目もくれず走り出した。後ろで何か罵声が聞こえるが、頭に入ってこない。俺の頭に浮かんでいるのは、佐藤さんの控えめな笑顔だけだ。


駅の階段を転がるように駆け降り、改札を走り抜ける。タクシーも考えたが、凍結で渋滞しているかもしれない。その点、彼女のアパートの最寄り駅は乗り換えなしの一本だ。やって来た電車に飛び乗り、地団駄を踏みながら到着時刻を検索すると、17時7分。彼女の家は駅の出口から徒歩5分なので、微妙な時間だ。どうか屋上に出てから飛び降りるのを躊躇していて欲しい。



電車が止まると、人混みをはね除けて出口に向かう。

駅前通りの信号を無視して、商店街を駆け抜けた。

佐藤さんのアパートが見えて来た。屋上に儚げな人影も見える。建物にたどり着くと、階段を掛け上がり、乱れた息もそのままに屋上の入り口のドアを開け放った。



「待った!!ゼエゼエ、ゲホッ。」


「えっ・・山田先輩の・・?」







聞きなれた彼女のセリフは返ってこない。

目の前に広がるのは、誰もいない夕暮れの屋上。

俺はとぼとぼと綺麗に揃えられた靴に近づき、そっと下を覗き込んだ。






それからのことはあまり覚えていない。

気づいたら暗い家の中にいた。

遠くに聞こえるサイレンの音だけが、生々しく耳に残っている。


眠れるはずがない。

でも眠らないとあいつに会えない。

俺は慣れない酒を何杯も煽り、布団に入ると祈るように固く目を閉じた。










「・・あのー。ちょっといいですかー?」


俺は一思いに起き上がり、声のする方を向いた。

そこにはひとりの白い女。


「うわっ。酒くさっ。さてはあてが外れたからやけ酒してましたね。」


いつも通りのからからした笑い声。

なぜだか一つ、二つと目から涙がこぼれた。


「えっ。ちょっと?どうしたんですか?」


「うるさい!!」


「す、すいません!」


耳につく彼女の声が俺の神経を逆撫でする。


22日は終わらない。


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