第3話 1600.2200

 なんでも屋の仕事の良い所は常に変化の中にいることだ。

というのは、今は姿を晦ませた先輩の受け売りだが、確かにその通りだと、汚れた鏡で歯を磨きながら考えていた。

 今朝は昨日とは違って朝はきっかり6時に起き、そのまま昨日遠藤宅から運び出した荷物をリサイクルショップに持って行くことにした。

 ひいきにしているリサイクショップは市の郊外にあった。隣県との境目を抜ける国道

を走ると、隣の市との境目にその店はある。開店前だが約束はある。店の駐車場に入るとエンジン音で気が付いた店員がシャッターを開けてやってきた。

 「おはようございます西宮さん」

 やってきのは誠だ。彼は数年前からこの店で働いているが、話によればオーナーの親戚か何からしい。仕事熱心で、荷台から荷物を出すと簡単に査定をすます。

 「たぶん、そんな大した額にはならないですね、どれも良い所で1000円もつかないかと」

 申し訳なさそうに答えるも、僕はとくに気にしなかった「言い値でいいよ、あと店長に見てもらって」

 「わかりました」と誠は笑顔で答える。朝も早いというのにだ。僕もその仕事熱心さは見習わなければならない。


 仕事場に30分前には到着していた。『昨日の遅刻が余程こたえたのかい?』と遠藤の婆さんは厭味ったらしくいってきたが、僕はそれにも笑顔で答え、速やかに作業に取り掛かった。


 もちろん昨日のことは反省しているが、実際はそうじゃない。

 昨晩の電話が全ての原因だ。仕事はすこぶる順調で体も軽い。まるで別人になった気分だった。腹の中には昨晩のカップラーメンと、今朝早くおきて焼いたエッグトーストと水道水を沸かした安物のインスタントコーヒーしか入っていないはずなのに体の中にエネルギーが満ち溢れている。まるでSF映画のアンドロイド。このままなら水と太陽だけで火星でも生き続ける気すらして、見上げた空は久しぶりの秋晴。まぁ、良い感じだった。


 西宮博信は生き返った。本当に死んでいたわけじゃないが、昨日の夜までは死んでいたも同然だった。あの電話のあとは興奮して、今も彼女の話した内容をずっと考えている。だから、昨日と同じようにボロ車に乗りお昼のコンビニおにぎりをお茶をほうばっていても気分が違う。頭の中も、見える景色も、何もかも、露出が1つ上になったカメラのように淡く光っている。もしかしたら、本当に瞳孔が開いているかもしれないと鏡をみて確認するが、やはりいつもより目がしっかりと開いている気がする。人が急に明るくなる時というのは、みんなこうなのかもしれない。汚れた窓から差し込む光も、かみ砕くおにぎりの米も、飲み込むお茶のなめからさも、光の筋が通っている気がして、バックミラーにうつる自分を見て自然と笑っていた。


 ストーカー調査。

 それが、彼女から依頼された今回の仕事だった。

 あの時、請求書や仕事のミスで今にも首を釣りそうだった僕の耳に滑り込んだあの声を思い出す。切れ切れでリズムも悪く、張りつめていたが、妙に浮ついた女の言葉。

 『ストーカーを調べて欲しい』彼女はそのあと、こちらが何も聞かずとも話を続けてくれた。

 彼女が言うには、一年程前から誰かに付け狙われているという。その人物については一切知らないという。その点について僕は深くは聞くことはなかった。本当は尋ねれば良かったのだろうが、そこで話を挟むよりも、彼女の声を聞くほうが大切な気がしたからだ。

 ストーカーに狙われるのはほぼ毎日だという。時折、ストーカーは気配を消すが、すぐに表れては自分を狙うそうだった。彼女は、ストーカーが常に自分を監視していると言っていた。その監視は外だけにとどまらず、自宅にいる間にも行われているという。そこで、僕にとにかく相談してみたいと言ったのだ。

 彼女は名前を名乗らなかったし、僕も聞く気は無かった。もし下手にプライベートな部分を勘繰ったりして依頼を断れるのが怖かったからだ。それに、この手の仕事に詳しい知り合いの男が、プライベートな内容の話ほど詮索は信頼を損なうと言っていたのを思い出したのもある。

 ただ、ストーカーの相談を受けたからといって、僕がストーカー対策を出来るかどうかは別問題だ。なにせ、今までこんな仕事は受けたことが無い。

 便利屋はなんでもやる訳ではないし、客は一切そんなことは知らないし、こちらも何が出来ないとは詳しくは言わない。でなければ、便利やの仕事が増えない。「なんでも出来る」と言わなければ仕事が無い、まるで無能な就活生の台詞がこの業界のキャッチコピーだ。

 けれど、僕はもう今までの便利屋の仕事にはうんざりしていた。今日の夕方に会うことにしたのは何もお金の為だけじゃない。本当の仕事がしたかった。便利だと使われるだけではない、誰かの為になる仕事がしたかったのだ。

 

 夕方4時。僕はいつもよりも早めに仕事を切り上げて事務所に戻り、服を着替えることにした。さすがに作業着のまま会うのはまずいし、何より汗臭い。シャワーを浴びたあと久々にスーツを着ようかと思ったが、やはりもっとカジュアルな服装にすることにした。チノパンにシャツにジャケット。どれもユニクロだが、このほうが安心感がある気がしたのだ。

 電話の主である彼女は神経質な性格だろうと思っていた。声から感じたことだが、そもそも、ストーカーに狙われているのなら、どんな人間だって神経をとがらせているはずだ。


 そこで、先に部屋を取っておくことにした。

 車をとばし成鳴駅につくと、そのまま商店街の優良駐車場に車を停める。料金は一時間400円。一番安い場所だが、これでも僕の財布の事情は厳しかった。


 プラーノは成鳴駅商店街にある唯一のカラオケ店だ。

埼玉県内には複数店舗を出しているローカルチェーン店だが、僕はこの店以外に行ったことはない。前に来たのは、確か先輩に連れられてだったろうか。あの時は酔っていてロクに覚えていないが、店内は特に汚い訳でもなかっはずだ。

 受付をすませて部屋に案内される。彼女の名前がわからないので、自分の名前を受け付けに伝えておいた。これで彼女が店にやってくれば、自分の所へ案内されるはずだ。

 

 カラオケボックスに入って10分がたった。通信カラオケのテレビで見知らぬバンドがけだるげに自分達の曲を紹介している姿を見ながら、運ばれてきたアイスコーヒーをジョッキで飲んでいると、ドアの窓に人影が経っているのに気が付いた。


 窓の端から女の片目が覗いていた。

 一瞬体がこわばったがすぐに彼女だと気が付き、席を立ち、恐る恐るドアを開いた。

 立っていた女性を見て僕は再び驚いた。

妙に大きな目と、白い顔。服装は今日は白いシャツに黒のスカート姿だったが、彼女は昨日、仕事場の前で目が合った女性に間違いなかった。

 しかし、彼女は気が付いていないらしい。「西宮です。何でも屋の」と声をかけると、彼女はとまどいながら頷き、部屋の中へと入った。 

 それにしても、何から聞くべきか?

 部屋の奥のソファーに座った彼女はまだ警戒しているのか、視線をあちこちに走らせ室内を見まわしていた。これがストーカー被害者の当たり前の姿なのだろうか。

 「その…まずは何か飲みます?」

 入口の前に立ったままだった僕は、そのまま話をはじめるのも何だと思い、彼女の分のドリンクを頼むことにした。彼女は少し戸惑ったものの「オレンジ、ジュースを」と、やはり歯切れが悪く答える。僕は室内電話で注文をすませ、彼女の真向かいのソファーに座った。

 「昨夜の電話のあと、何か変わったことはありましたか?」

 尋ねると、彼女は顔をあげ、僕の顔を覗き込む。

 「いいえ、それは特に」

 「そうですか、それじゃぁまずは」と、バックからメモ帳を取り出す。契約書もあったが、まだ出すには早い。

 「まずお聞きしたいんですけど、その、なぜうちに?」

 「……え?」

 失敗したと思い、慌てて話題をかえる「いいえ良いんです、その、お知り合いからの紹介ですか?それとも、ネットからとか」

 もし僕がストーカー関係の仕事の経験がないとバレたら、その場で仕事が流れてしまうかもしれなかった。質問は慎重に選ばなければと自分に言い聞かせる。

 「その、実はうちの近所でそちらの車を見かけまして」

 「車というと、シルバーの軽?」

 「ええ、そうです」

 やはりあの時の女性だ。

 ということは、家に連絡をしてきたのはただの偶然だったのだろう。もし遠藤家で仕事をしてなければ、彼女に再び会うことも無かったかもしれない。そのあと、少しくだけた会話を交わしてみることにした。遠藤家でどんな仕事をしていたのか具体的に離してみる。すると彼女はのってきたのか、ほんの少し表情が和らいできた。

 「なんでも屋さんって、やっぱり大変そうですね」

 「そうでもないですよ、フツに仕事をしてるかたのほうがよほど大変だと思いますよ」

 「そんなことありませんよ」

 「そうですか?」

 「そうですよ絶対に、間違いありません」

 彼女は強い口調で言い切った。目はとくに笑っておらず、ただの愛想とも受け取れなかった。もちろん、彼女は何でも屋について知らない。なのに僕は否定ができず、なんと言って良いのかわからずに、ただ彼女の目に吸い込まれていた。

 こうしてみると、やはり綺麗な女性だった。

 年齢は僕と近いかもしれない。子供はいるかは分からないが、いたとしても、誰も気が付かないだろう。それくらい、妙に生活感が見えてこない。

 「失礼します、オレンジジュースお持ちしました。

 ドアが開き、茶髪の女性店員がオレンジジュースをテーブルに置く。慌てて視線を逸らすと、彼女も目をそらした。

 「それではごゆっくりお楽しみください」

 店員が部屋から出ていくと、僕はここだと思い、ついに仕事の話を切り出した。

 「それじゃぁですね、そろそろご相談の内容をお聞きしたいんですけど」

 「ああ、そうですね、ええ、ごめんなさい」

 特に理由もなく謝る彼女は、ばつが悪そうに慌ててオレンジジュースを自分の手前に移す。

 「ストーカーなんですが、お電話では確か1年ほど前から狙われているとか」

 「ええ、そうなんです…本当に困っていまして」

 「相手に心当たりはあるんですか?」

 「ええと、その、わからないんです」

 「わからない?」

 ストーカーとはそういうものなのだろうか?

 「ええ、でも何人か心当たりというか、怪しいと思う人間はいます」

 「そうなんですか、ええと、その人の名前を教えてもらうことは可能ですか?」

 「はい、あ、いえ、その」

 彼女の顔が曇った。

 焦ったと思い、話を濁す。

 「いいえ、お仕事をお引き受けした時に改めてお聞きしますから」

 「そうしてもらえると助かります」

 彼女はオレンジジュースの水面を見つめていた。

 さっきから、目は一切あっていない。

 「それで、ストーカーからはどんな被害をもらっているんですか?」

 メモにペンを走らせながら訪ねると、彼女は素早く答えた。

 「盗聴です」

  

  ──盗聴?


 「あの、盗聴とおっしゃいました?」

 思わずペンを止めて聞き直してしまった。しかし、彼女はなおもうつむいたまま言葉を続けた。

 「そうです、それで盗聴器が部屋のどこかにあると思うんです』

 「それを、僕に探して欲しいということですか?」

 「その通りです、あの、できますか?」

 わずかに考えた。むろん無理だ。ストーカー調査なんかやったこともなければ、盗聴器の調査など猶更だ。といより、盗聴器という言葉すら、はじめて目の前の人間から聞いたのだ。

 けれど───と、僕は目の前の彼女を見る。迷っている僕の反応を見ることもなく、彼女はじっとオレンジジュースを見続けていた。両手は机の下にあるのだろうが、よくみると、かすかに腕が振るえている。きっと膝を掴んでいるのだろう。不安になっていた。僕に仕事を断れることを恐れているのだ。


 「その……可能です」

 「本当ですか?」

 彼女は髪が跳ねるほど勢いよく顔をあげた。驚きの口元に、目が期待で光っている。僕はうなずいた。とにかく、こうするほかないと思った。

 「それで、いつやってもらえるんです?」

 「いつ?あああ、ええと、今スケジュールを確認しますね」と、急いでメモちょうを見るふりをして考える。もちろんスケジュールなどがら空きだ。遠藤家の仕事は明日で終わる。だが、問題は盗聴発見だ。どんな機材が必要なのかもわからなければ、仕事の仕方もわからない。

 だが、あてはあった。とにかく適当に曜日を確認しながら「ええっと、すこし立て込んでいますので」とそれっぽくページをめくる。

 「それじゃぁ、明後日などいかがでしょうか?都合のよろしい時間はありますか?」

 「何時でもかまいません」 

 彼女の返答は早かった。口調も妙にハッキリとしている。

 「それじゃぁ、午後の1時などはいかがですか?仕事はたぶん3~4時間ほどで終わると思いますが」

 「それでお願いします」それと、と彼女は付け加える。

 「費用はおいくらほど必要でしょうか?」

  しまっったと、つい舌打ちをしそうになった。料金についてはまったく考えていなかった。そこで再びメモを見るふりをして考え、結局、普段の料金通りで受けることにした。

 「費用は1時間2千円です。なので、初回は8000円でお願いしたいんですが」

 彼女はすぐにうなずいた。とくに高いとすらも感じなかったらしい。

 そのあと、料金の支払いの仕組みなどを説明したあと、契約書にサインをしてもらった。彼女の本名は野宮咲。住所は成鳴市北原町234-11。どうやら一戸建てらしい。

 

 契約を終えカラオケ店から出たあと、僕はすぐに車に戻らず、そのまま商店街の奥へと進んだ。

商店街は夕方らしく買い物客や帰路につく途中のスーツ姿の人間が目立つ。通り過ぎようとした総菜屋のコロッケの匂いにつられたが、それでは手土産にならないので隣のケーキ屋に入り、ショートケーキとモンブランを包んでもらった。

 商店街の奥にまで進み、薄汚い雑居ビルに入った。目指す5階まではエレベーターで向かう。到着すると、開いた扉のすぐ目の前に、目的の事務所があった。


 『猫坂探偵事務所』


すりガラスに張られた文字を見て、ドアをノックする。

すると中から「今日は休みだ!」と鋭い声が飛んだ。ドアノブを見ると、確かに『本日休業』の看板がかかっているので、そのまま入ることにした。

 室内は薄暗い。それに少しコゲ臭い。もってきたケーキを手に事務所の中を見渡したあと、僕は叫んだ。

「猫坂さん!西宮です!」

「ああ?西宮?」

すると、事務所の奥の扉があき、中から黒シャツの背の高い男がのそりと現れた。

「何してんだお前」

彼の名前は猫坂義之。

この市唯一の探偵だ。

「それよりなんですか、この匂い」

「肉だよ、焼いてたんだ」

「はぁ?」

「入れよまぁ」

猫坂はドアの中に僕を招き入れる。ひどい匂いだが、ひとまず彼の後を追って部屋に入った。

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